Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


生と死が連綿と


一月に義母が亡くなった。享年九十歳、ほぼ老衰、安らかに逝けたようで、それが救いだった。私は死に目には会えなかったが一足先に行っていた連れ、義母に一番愛されていた息子は、間に合った。まるで、彼の到着を待って逝ったかのように。東京から義母の居た関西へ。家では、きれいな顔の、義母が安らかに横たわっていた。ああ、父も亡くなったばかりの時は美しかったなとぼんやりと思う。そしてお通夜、告別式。生と死は、とてつもなく近いのだ、連綿と続いているのだと、どこかで思っていた。義母は父と違って美しいまま、冷たい眠りを横たわっていて。ところで映画『おくりびと』的な湯灌の儀、あれはいつから行われるようになったのか? 身体を清め、丁寧にお顔に化粧も施され…。彼女と最後に会った時のことを思い出す。厳しい人だったらしいが、私には、生前殆ど会うことがなかったこともあったが、優しくて。父の時は、私が若かったからか、死と生の間で、とてつもない分裂を感じたものだった。死は奪い去る恐怖だった。けれども、今は義母の優しい、けれども冷たくなった顔を眺めながら、ずっと、死と生の繋がりを考えている。お骨になった時も、まだ実感がなくて。ここが喉仏だと教えられ、座禅を組んでいる仏に見えたような気がしたが、お骨と義母が結びつかない。四十九日、百ケ日がすぎ、いないことで、少しずつ実感がわいてきたけれど。七月に初盆がある。




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