Nicotto Town



一人で一日一升の米を食べた時代

『戦国時代の足軽は合戦のある時期は一日一升の米を食べた』

とは NHKラジオから流れてきた ”米食の歴史を考える”とかいう

コーナーに登場した「食文化史研究家」さんのお言葉でございます



『確かに 明治以前は ”三食とも白い米の飯を食べる”なんてのは 

最高の贅沢だったわけだし 戦国時代の合戦はマジで体力勝負

だったわけで 文字通り ”腹が減っては戦ができぬ”だったわけだ

”米の飯を腹いっぱい食わせるぞ”といって足軽を集めたんだろうし』


『そもそも米ってのは【稲作文化=日本文化】っていってもいいくらい

日本人にとって重要なモノだよなぁ 米で給料を貰ったり身分を石高

で表わしたりしたもんなぁ』


『江戸時代の農村なんかじゃあ(地域によって明治大正時代でも)

”稲作百姓(年貢を納める農民)こそが百姓であってそれ以外(畑作

しかできない農民)は差別された”っていうしねぇ』

などというようなことを 研究家さんの言葉を聞いて想ったわけです



ちなみに ”一人で一日一升の米を食べる人”が現代にいるとしたら

「大食い選手権」でかなりいいところまで行くのでしょうかねぇ?w

そっち方面のTV番組に詳しい方がおいでなら ぜひジオに教えて

いただきたいもんだなぁというお話でございました (^ー^*)フフ♪

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2014/05/21 20:28
こんばんは
あの時代に一人1日1升ってすごいですね。
それくらいしないと人が集まらなかったのかな?
でもおかずがなかったらそれぐらいは食べないと運動量の多い人は持たなかったんじゃないかと思います。
あったとしても味噌だけとか漬物数切れとかだったかも…

学生時代は俺もご飯は山盛りにしたうえおかわりを繰り返し、母親にいい加減にしなさいと怒られたのを思い出しました。
そのころは1升以上食べてました(笑) 1日5食!
(運動部だったのでお腹が常に空いていたのです…ちなみに昔から太ったことはありません)
母は家族5人で1日2.5升ご飯を炊いていましたよv
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2014/05/21 07:11
ブログ広場からおじゃまします。

常々不思議に思っていることがあります。
「軍師官兵衛」を見ていて、兵庫県の上月城跡に行ったのですが、
あの山間の土地に、どうやって3万人もの兵が集まったのか、
食事はどうしていたのか、誰がどう準備するのか?
どこで寝たのか?・・・
合戦の様子は、さらりとしか描かれていないので、
いつももやもやとしたままです(笑)



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