ドラマ【軍師官兵衛】
- カテゴリ:テレビ
- 2014/06/16 16:21:45
軍師官兵衛
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】補給路を断たれ後がなくなった別所の三木城に、使者として官兵衛と重棟がが訪れ、降伏か徹底抗戦かの二者択一を城主・長治に迫った。長治は降伏を選び、家臣一同の命を救う代わりに、長治の一族は自決した。一方御着では、政職の煮え切らない態度に、家臣たちが次々と離反していた。小寺家家老の小河良利は弟・信章を連れ職隆の元に訪れ、自分はどうなっても構わないからと、弟の行く末を頼み込んだ。同じく家老の江田は、政職に三木の落城を知らせ、政職にも切腹を勧めるが拒否されたため、呆れて出て行く。そして政職も嫡男・斎を伴って城から逃亡した。 【感想】今日もよかった~。今年の大河はぶっちゃけ面白いですよ。たまーに史実無視もありますが、出来としてはかなりいい方だと思います。でも視聴率がついてこない…(;´Д`) さてそれはいいとして(よくはないんだけど)、今回はいろいろ書きたいことがあります。まずあらすじの中でも書いた小河の弟ですが、ネタバレになっちゃうかもしれないけれど、今後出てくるかどうかわからないので今一応書いておきます。この時より黒田に仕えた信章は後に黒田二十四騎に数えられるほど活躍しますが、あまり長生きはできなかったようです。実は私の知り合いに小河と書いて「おごう」と読む人がいるのですが、何か関係があるのでしょうかね…。地理的にもそんなに遠くはないですしね。しかも結構やり手で地元の名士みたいな人ですよ。さて、次はなんといっても今回の目玉、官兵衛と小寺政職の対面です。ま、最初からぶっちゃけてしまうと、創作なんですけどねw どこを見ても政職が官兵衛に捕らえられたとは書いてません。それに敵方の城主を一度捕らえておきながら逃がしてしまったら、さすがの秀吉もあんなに簡単に許してはくれないでしょう。もし信長の耳に入りでもしたら、大変なことになりそうですからね。ま、あくまで創作として楽しむにとどめておいた方がいいでしょう。前回、足が治らないことから自暴自棄になっていた官兵衛が、半兵衛が託した軍配を受け取り奮起し、半兵衛のように時には心を鬼にして軍師に徹しようと決意しますが、どうも気負いすぎたようで、周囲はそんな官兵衛に戸惑いを覚えます。そして、一度は主と慕った政職をどうしても斬れませんでした。この政職を演じた鶴太郎の演技が巧すぎるんですよね。一言で言ってしまえば、とても人間臭い。いい加減で日和見的だけどバイタリティに溢れていてどこか憎めない。中播磨の雄と言われた小寺の当主が、まさか本当にこんなだったとは思いませんが、武士だからといって皆ためらわず切腹が出来たとは限らないと思うんですよ。彼みたいな武将がいてもおかしくはないと思わせる人間臭さです。そして、それを受けての官兵衛と秀吉のシーンが、今回一番いいシーンでしたよね。それでこそ官兵衛、だから自分は官兵衛が好きだし、信じていると。半兵衛の分も軍師としてがんばらなければならないという思いで固まっていた官兵衛の心に染み渡る言葉だったと思います。そして、さすが人たらしの秀吉と思いましたよ。こんなこと言われたら、一生裏切れませんよね。そして最後にちょっと気になったこと。信長による佐久間信盛追放のエピソードです。正直今まであまり目立ってこなかった人物のエピソードなので、ここにきていきなり差し挟まれた感が強いですが、結構有名な話のようです。そして、蘭丸が読んでいた覚書は19か条の折檻状で、信盛への糾弾と処置について書かれていました。ただこれに関しては諸説紛々で、信盛が追放された理由が本当にここに書かれていたものかどうかは疑わしいという説が有力です。恐らくドラマにこのシーンが取り入れられたのは、織田家家臣の中でもトップクラスの武将がいきなり処罰されたということで、その後明智光秀が謀反を起こす動機への布石ではないかと思います。そう考えると、村重が信長に不信を抱き始めた頃の感じに似ていますね。
当時家臣とはいえ元は独立した豪族だった場合も多く、
信長のように目まぐるしく家臣の配置換えや処罰を行った武将も珍しかったでしょう。
今考えると、この時の信長のやり方が、後の江戸幕府に影響を与えたような
気がしないでもありません。
小寺政職にしろ荒木村重にしろ、実に人間臭い武将が多いですね。
それだけに官兵衛の清廉さが際立ちます。
個人的に、歴史上の人物で一番DNA鑑定をしてみたいのは、
秀吉と秀頼の親子鑑定ですw
秀吉も今は有能な武将の1人ですが、人は上り詰めると
ないものねだりをしてみたり、失うことを異様に恐れたりするように
なってしまうんですね。特に秀吉の場合認知症もあったかもしれませんねぇ。
役に立たない者は、重臣と言えど、容赦なく切り捨てると言うやり方は、光秀の心に、
少なからずの影と、心理的負担を与えたのは、まず間違いないでしょう。
何かしらの手柄を立てなければ、うかうかとしてはいられない。
とんでもない緊張感が、家中を走った事でしょう。
あまりにも、人間臭くて、とても無様で生々しい。
でも、こう言う武将が、嫌、武将とは言えませんが、皆が皆、潔い人ばかりではありませんもの。
歴代の武将の辞世の句なんか、見ると、ふと、溜息が漏れますね。
この句を詠む為に、今まで生きてたのって。
話が外れてしまいましたが。
考えたら、太閤に上り詰めるまでの秀吉が、一番良かったのかも。
人たらしの天才でしたから。
太閤亡き後、淀君が、秀頼をもっと前に押し立てていたら、秀吉恩顧の武将は、家康側に
付く事はなかったと思いますね。。。