Nicotto Town



「個」と「集団」

しろいやみのはてで
 木村裕一 作
 あべ弘士 絵


「あらしのよるに」シリーズの特別編
6巻で雪山の洞窟で身動きとれなくなった時に、メイガブがそれぞれ以前の事を回想する、という話。


急に対象年齢が上がった、というのが第一印象。
メイとガブの気持ちが、より掘り下げられている。


メイの母親がギロ(ガブのいる群れのリーダー)に殺されていた、という設定は、アニメ版では冒頭から描かれるが、原作版では、この特別編で明らかになる。
この事実を知ったメイは、ギロと同じオオカミであるガブを憎んだが、ガブはガブだ、という気持ちが描かれていたりする。


実際の社会でも「オオカミ」という「集団」(しかも自らの偏見でイメージを作り上げた集団)で相手を見て、「ガブ」という「個」では見ない人がいる。
・・・と言うより、お互い先入観なしで、個人と個人として、相対した時、「悪い人」に会う、というのは、そうそうあるものではない(と思う)


相手が個性を持つ「個」だと、あまり強く責められないのに、顔のない「集団」だと、平気で責められるのは、なぜだろう?
「個」に対する攻撃だと、その「圧力」の大きさがよく分かり、自分でもひるんでしまうが、「集団」だと、その「圧力」が分散されるのが何となく感じ取れるからだろうか?
その線引きは、どの辺りにあるのだろう?


ちなみに本書は、この事がメインのテーマではない。
一部のエピソードから、こんな事に考えが至ってしまった、というだけなので、悪しからず。

アバター
2014/07/06 15:14
絵本、アニメの他にマンガ版、小説版もありますね。
中古で、全て揃っているのがあったので、必殺「大人買い」をやってしまいました。

ところで、(今回もですが)自分の本の感想の場合、本の内容から、かなり脱線していくのも少なくないです・・・。

アバター
2014/07/05 22:48
あらしの夜にはアニメでしか見たことはありませんが、中々奥深い作品ですね。
Tuckerさんのブログで掘り下げて考えてらっしゃることに感銘を受けました。
俺は物凄くサラッと見てしまったので…。

集団を攻めやすいのは顔が見えないからに他ならないと思います。
さらに集団が集団を攻めると無責任さに拍車がかかります。自分は安全圏に居られるっていう傲慢さが出てくるんじゃないかと思います。



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