夏休みの読書
- カテゴリ:勉強
- 2014/08/04 22:42:59
最近、読んでいるのは…
般若心経 (^^ ; ☆\(ーーメ) 冗談もたいがいにせーよ
いえ、本当に般若心経を読んでいるのです。
もっとも般若心経はとても短いですし、
読んでも、その真意がすぐにわかるわけではないので、
佐々木閑『100分de名著ブックス 般若心経』などを
テキストにしながら、
岩波文庫版の『般若心経』を読んでいます。
でも、煩悩にまみれた安寿のこと、
何か企みがあるに違いない…
そう思います?
ご明察~ ☆\(ーーメ) 嬉しそうに言うな!
何を企んでいるかと言えば、
来年の3月、
今月始まったばかりの仕事が
ようやく終わりを迎える頃、
女一人で歩き遍路に出てみようかと…
そう、四国八十八箇所を
てくてくと巡ってみようかと企んでいるのです。
…で、そのためには、
般若心経が空で読めねばいかんじゃろう…
…ということで、
観自在菩薩行深般若波羅密多…
色即是空、空即是色な夏休みの読書をしております。
☆\(ーーメ) なんのこっちゃ!
そして、安寿さんの時のこと。
教えてくださってありがとうございます。
さかしまだったんですね・・。
安寿さんのおばあさまも、安寿さんもおつらかったですね・・。
今のアクティブでパワフルな安寿さんからは、考えもできないです。
安寿さん、すごい・・・。私もそれぐらい元気になれるといいなぁ・・。
我が家は、浄土真宗(大谷派)です。
多分、西?東??いつもどちらかわからなくなります。
ようやく、小さな仏壇がやってきたので、お茶のお世話とお経のお世話が
今の家でもできるようになりました。
母の死は、エンディングノートたるものもない、伝言もなく、
実家でひとり、くも膜化でぽっくりと逝ってしまったので(幸い発見が早かっただけよかった)
私も、母の死が、ようやく自分の時間を楽しんでいる最中だったから、無念でなりませんでした。
母に最期に会ったのは4日前。父の月命日。
亡くなる前日に電話しようと思ったんですが、ここで遊んでしまっていたことを後悔しています。
ネットしすぎだっていう、神様からの戒めなんでしょうね。今は前ほど、できなくなりました。
私自身、母と仲がよく、過保護な一人っ子だったので、
心に開いた穴が、父を亡くした時と比べるとかなり大きく、
(父は、ガンで余命宣告されてからの死でしたし、父とは複雑な親子関係だったと思います)
病院に通いながら、お薬飲まされながら、今は、毎日をなんとかやり過ごしている感じです。
安寿さんの
哀しむことに心のエネルギーを使いますから、
結構たくましい心をしていますし、
今以上に心がたくましくなっていきます。
という言葉が、今日はとても胸にきました。
泣くだけ泣いてもいいんだなって、さとされた気がして・・
(間違っていたらすみません)
父の話題は、普通に話せれるようだけど、
まだまだまだ母の話題をするとしんみりしてしまいます。
でも、思い出すこと、話題にすることも供養になりますよね。
安寿さんと違って、まとまりのない文章でごめんなさい。
ゆっくりでも元気になっていけたらなと思っています。
ありがとうございます。
まずはお母さんのために…
如是我聞
一時 仏在舎衛国
祇樹給孤独園 与大比丘衆…
…
…仏説 阿弥陀経
「阿弥陀経を唱えている」とのことなので、
おそらくマリンスノウさんのお宅は
浄土教系が御宗旨なのでしょう。
もうかなり以前になりますが、
私の母が亡くなった時、
私は母が哀れに思えてならなくて、
六ヶ月ほど、家の底の方で
寝そべるようにして泣き暮らしておりました。
母は自らの母、
私の祖母よりも先に亡くなってしまいました。
母方の家は浄土真宗だったので、
もうお互いに見舞うことができなくなっていた母と祖母は
電話で「あの世でまた会おうね」と言い交わしていたようです。
浄土教では、亡くなった人は、
阿弥陀仏の力によって西方浄土に生まれ変われますから。
…なもので、母が亡くなった頃、
私は浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)を読み、
歎異抄や蓮如の御文集なども読んで、
この世に残されてしまった自分への慰めを探していたような気がします。
亡くなった人に対して、なにかしてあげたい。
でも、なにをしたらいいのかがわからないし、
なにをしても、もう遅い。
それでも残された私は、なにかしてあげたいのです。
そういう想いを
一連の所作を通じて形として与えるからこそ、
宗教は深く悲しみ、傷ついた人の慰めになるのだと思います。
ですから、私は、
神仏への信仰や帰依の問題とは別に、
亡くなった人を哀れに思う私の心の慰めとして、
お経を唱えたり、お盆の用意をしたりします。
続く。
続きです。
7月9日に私はドイツから帰ってきましたが、
そんな私が日本に帰ってから、まずしたことは、
父の命日に日本にいなかったために、
訪ねることができなかったお墓をお参りすること、
そして、お盆の用意をすることでした。
(このあたりは7月がお盆です)。
父母が帰ってくると信じているわけではないのですが、
父母のために盆棚を設え、
お供え用に精進料理やそうめんを取り分け、
あたかも父母と一緒に過ごしているかのようにお盆の日々を送ることは、
亡くなった人を哀しむ私にとって、
ひとつの慰めとなるからです。
ですから、
「両親がいないという現実」は
私も未だに受け止められてはいないように思うのです。
ただ、いない父母を哀れに思う私の想いを
一連の所作によって慰める、
例えば、お経を唱えたり、
盆棚を設えたりすることで、慰める術を見出しただけです。
ですから、
マリンスノウさんの今の状況は、
それはそれでいいのではないでしょうか。
それがマリンスノウさん自身の哀しみの表現なのですから。
哀しい時は、しっかり哀しまなければいけません。
忙しさにかこつけて自らの哀しみを回避したり、
何かで気を紛らわせたり、
立ち直ったかのような振りをするよりも、
哀しい時は、哀しみの淵に沈むべきです。
たとえ、廻りの人が心配しようとも、そうすべきですし、
哀しみをしっかり哀しむ人は、
哀しむことに心のエネルギーを使いますから、
結構たくましい心をしていますし、
今以上に心がたくましくなっていきます。
哀しみを回避してしまう心の方がもろいです。
ですから、マリンスノウさんの今の状況は、
それはそれでよいのです。
安寿はそう思います。
般若心経が夏休みの読書でも、OKだと思います。
般若心経の関係の本は、たくさん出版されていますしね。
(それだけ、興味をもつ人も多いのでしょう・・)
名前を変えてから、ご挨拶していなかった、元千鶴@ゆきです。
訪問ありがとうございます。たまには近況をばと思いまして・・。
ちょっと、鬱気味でこの頃は、弱り切った状態です。
・・なんというか。両親がいないという現実が受け止められないでいる
情けない状態が続いています。来週はお盆だというのに、情けないです。