アメリカでも、日系の皆さんには「OBON」あり。
- カテゴリ:占い
- 2014/08/14 08:13:53
お盆には、死んだ人の魂が帰ってくると、
日本では、信じられているようですが、
クリスチャンであるわたしには、もう一つ、
「ほんとかな」という疑いが残ってしまい、
お盆ムードに浸ることができません。
でも、死んだ人の魂が、
ほんとに帰って来るなら、あのブッダファニチャー(仏壇)にだって、
それ相応のデコレーションをしてあげてもいいと思ってるんですが。
けいちゃん(母)は、ことし初盆にあたりますが、
どこに、帰ってくるのでしょう。
絶縁状態の弟は、母の死さえ、私には知らせませんでした。
弟は、わたしが結婚したことで、
わたしの財産の相続権が無くなったことを恨み、
「絶縁する」と一方的に言ってきました。
当時は「なんのこっちゃ」と相手にもしませんでしたが、
兄弟は他人の始まりとはよく言ったものです。
わたしと弟は、一つ違いの兄弟ですが、
父と母の財産は、すべて弟が相続し、
父と母から、「生きて行く知恵」をわたしが相続しました。
皮肉なものです。
いつも目先のお金のことばかり耽々と狙っていた弟は、
あっさり自己破産し、子供8人は全部離婚した奥さんたちが連れ去りました。
わたしは、弟の人生と比べると、
地味で、確実なことしかできませんでしたが、小さな会社を残しました。
数年前、腎臓移植が必要なほどの大病をし、
手術の成功率が低いと分かったとき、
「会社が無くなるくらいなら」と、
今の夫、鈴ちゃんと電撃結婚しました。
(詳しくは、去年の8月のブログで)
弟は、そのことを人づてに聞き、
「自分には、姉の財産が入らない!」と激怒したのです。
「なんのこっちゃ」です。
わたしが長期間、アメリカで暮らしていた時も、
国際電話が入るとしたら、
会社の経営権を「自分がみてやる」というものばかりでした。
会社の運営はインターネットでできましたし、
社長印や決済の必要な時は、日帰りで日本に帰りました。
会社経営には、何の不便もありません。
それなのに、強盗に金庫の番をさせるようなことを、
いったいだれがするでしょうか。
弟のことは、問題外でもういいのですが、
わたしたち兄弟のことを、
今、もし両親が生きていて、知ったら、
いったいどう思うのだろうかと考えるのです。
今日のお盆day
「親が死んでいて、知られずに良かった」というのが、
親孝行だというのが、悲しいではありませんか。
私のイメージとしては、暗闇の中に降りてきた蜘蛛の糸か?小さな光?のようなものが頭に浮かびました
只今、残りを読ませていただきました
隠し立てすることなくフツーに育ったと自然に思えるのは、
事実を知っており、他人の痛みが分かるように育ったことが幸いしたのでしょうか?
ああ、その乳母さん「槇村てい」さんがはなこさんのマリア様ですね
その人がいてくれたことで他人をうらやむ気持ちが芽生えないほど愛されたのですね
それに、ご両親も見直しました
世間の中傷に耐えて、腕を失った女性と生涯添い遂げた人生はすばらしいことと思います
惜しむらくは、仰るとおり弟さんの育て方ですか・・・「人を呪わば穴二つ」を教えることができなかった・・・
事実も知らされずに理解もできない頃から植えつけられた、金への執着と怨恨はフツーに生きられない、
隔たった性分に定着してしまったようですね?
何はともあれ、良いお話を読ませていただきました
>いまのわたしを形作るためには、
>どんなに悲しいことも、嫌なことも、辛いことも、幸せなことも、
>どれ一つも欠けてはならず、全部があったからこそ、今のわたしがあるのだと思います。
>そういう意味では、両親に心から感謝する、本来のお盆に思うべきことでした。
は、紛うことなき真理だと思います
蓮の花は仏教では、この世で一番美しいものだそうです
仏壇には必ず、蓮の花を象った造花であり仏具の一種である「常花(じょうか・トコハナ)」があります
通常、左右一対で使用される常花は「枯れない花」「永遠に咲き続ける花」を意味します
黒い泥に沈んでもキレイな花を咲かせる
その姿に、この世で一番美しいものと、仏教界において最上の花とされる所以でしょうか?
(仏教ではこの泥を私たちが生きている世の中として喩え、人は現世の悲しみも辛さもすべて吸い込んで強く生き、いつかは豊かな大輪の蓮華のような真の悟りを得ると考えられているのです)
長々とコメントしてしまいました 言葉を尽くしきれていない箇所もあるとは思いますが
はなこさんの優れた洞察力で補完して解釈していただけると助かります
「生きて行くための知恵」に答えてくださりありがとうございました
フツーの境遇に、フツーに育ったと思っています。
ダイジョブです♪
私は凡人であるから、はなこさんの境地には遠く及びません
生まれてきたことに罪は無いはずなのに、周りの大人の都合で邪険にされて・・・
祖母に「お前さえ、生まれて来なければ、みんな幸せであった」と告げられたときの
気持ちを考えると周りの大人達に怒りすら覚えます
ただ、死神に憑かれた女給が身を投げたときに右手が飛んで我に返ったのも不思議です
そのまま死んでしまっていれば、違う展開になっていたことは容易に想像できます
堕胎せずに身を投げて、お腹の中にいたのでしょうか?それなら、なお奇跡と思います
どのような状況であれ、生まれてきたことは奇跡であり、何がしかの使命があるのだと感じます
読み進めていくうちに私は先を想像するクセがあって、この子供が後の○○です!
なんて、不遇な生い立ちさえも糧にした蓮の花のようなリンカーンのような歴史的人物を想像しました
はなこさんだったとは思いもしませんでしたが、蓮の花のような人という想像は当たっていたようです
客観的に見て、はなこさんに罪はないと思います
誤解を恐れずに申せば、ご両親は身から出た錆び
御曹司の奥さんも被害者で御曹司を離縁したのも女給親子を哀れんでのこと?といいますから
この女社長も被害者でしょう?
はなこさんを愛さず、見返すために男の子に偏愛をして育てたのも罪のように思えます
徳川家康にも出てくる酷(むご)い育て方は、世の中の理(ことわり)も教えず、欲しいものは何でも与えて
蝶よ花よと、おだてて育てることとありますが・・・それに類する育て方だったような気がします
それでも、はなこさんが両親を恨まず、両親がうしなったものを弁償したいと思えることが不思議です
たとえ、私を愛してもらいたいとの願いからと言うことですが、わからんでもないですが不思議です
失ったものを返すなど誰にもできることでは無いと思います
私は、はなこさんは今のままで十分だと思います
(前半部分を読ませていただいてのコメントです、出勤時間ですので、
後半は帰ってきてから謹んで読ませていただきます)
あまりに事実が大きすぎて、非行には走れませんでした。
それよりも、心底両親に同情しました。
わたし自身が、その立場だったら、きっと同じように感じて、
とてもその子を愛おしいとは思えないでしょう。
曲がりなりにも、乳母をつけてくれた両親には、本当に感謝します。
その夏休みの終わり、
祖母が一緒に家に連れて帰ってくれ、
家出したことを謝ってくれました。
わたしが、夏休みに自分探しの旅に出ていたことは言いませんでした。
両親は、死ぬまで、わたしがすべてを知っていたことに気づいていません。
父はよく頑張ったと思います。
「あほボン」「道楽息子」と呼ばれていたのに、
生涯そのカタワになった女と添い遂げました。
母は、町内でも評判の美人でしたが、その美人に腕のない理由を知りたがる世間から、
いわれのない差別を受けながらも、片腕で貧乏な家庭を守りました。
どちらかというと、可哀想なのは弟です。
両親の過大な思い込みが無かったら、きっと普通に育ったでしょう。
甘やかされ、周囲への恨みを植え付けられ、お金さえあればと教えられたのです。
「事実を知る」ということが、一番強いように思います。
事実を知ると、嫌なことがあっても理由が分かるので、許せるのです。
理由が分かると、我慢もできるようになります。
我慢強さは、底力を産めるようになります。
事実を知り、理由が分かると、相手を許せるようになり、逆に相手に感謝できます。
わたしは親から、愛されなかったからこそ、
愛されようと子供心に必死でした。
成績を上げること、賞を獲ること、世間から認められること、
それは親に認められたいがためだったのです。
これが「生きて行くための知恵」でした。
この知恵が、いまのわたしの基礎を作っています。
あ、申し遅れました、
乳母の「牧村てい」さんの全身を込めた溺愛が、わたしを優しく包んでくれました。
いまのわたしを形作るためには、
どんなに悲しいことも、嫌なことも、辛いことも、幸せなことも、
どれ一つも欠けてはならず、全部があったからこそ、今のわたしがあるのだと思います。
そういう意味では、両親に心から感謝する、本来のお盆に思うべきことでした。
ありがとうございます。
女給は、女給で、親に内緒でカフェでバイトし、ちょっとした火遊びが妊娠。
男に結婚を迫ろうとも、相手は子供二人もいる資産家、妾扱いが関の山。
あてつけ自殺で、御曹司の製材所の製材機に身を投げたのです。
とっさに出た右腕が、吹っ飛んで我に返り、泣き叫んで病院に連れられたのですが、
当時、「カタワ」「テテなし子」を哀れに思った御曹司の奥さんが、この男を離縁、断絶し、
莫大な相続権は、時すでに遅し息子に受け継がれていました。
女遊びが元で、本家から放り出された男、
ちょっとした遊びが元で、望まぬ妊娠、障害者になった女、
この二人の間にできた子供に、愛情を注げるはずもありません。
子どもは、乳母をつけられて育ち、
次にできた男の子に、二人は本家を見返す人間に育つようにと、仇と盲愛を与えました。
兄弟は、そういう出生の秘密をしりませんでしたが、
ある夏の暑い日、「なぜ、わたしは両親に愛されないのか」と悲しんだ上の子は、
家出をし、一晩町を彷徨い歩いて祖母の家に着きました。
もともと、男のことが好きでなかった祖母は、すべてのことを子供に喋り、
「お前さえ、生まれて来なければ、みんな幸せであった」と告げました。
その子供が、わたしです。
中学1年の夏休みのことでした。
その夏、わたしは祖母の話しを裏付けるために、家には帰らず、
父が持っていたはずの財産、土地、材木会社、家、すべてを一人で周りました。
遠巻きに見た大きな屋敷には、腹違いになる兄弟と女社長の3人が暮らしていましたし、
大阪の中心地に大きな土地もいくつもありました。
父は、わたしが生を受けたことで、これらすべてを失ったのです。
母は、二十歳までは蝶よ花よを育てられた世間知らずで、
戦後のモノのない時分に、綺麗な服を着て美味しいものが食べられる女給で、
お金を得たかっただけのことでした。
羽振りのいい若旦那に、札束を見せられて、ちょっと遊んだつもりが、
思わぬ妊娠、堕胎の恐怖、いっそそれならばとあてつけ自殺を図ったら、
腕がもげてなくなったのです。
両親がうしなったもの、
わたしは、これらを両親に弁償したい。
全部、弁償して返して、そして私を愛してもらいたい、そう願いましたが、
土地も、腕も、とてもわたしが返せるものでは…
昔、アグネスチャンが言った言葉を思い出しました
ひとたび戦争が起こればお金や財産は盗られることもある
けど、頭の中の知識や経験は盗まれない
だから、お前達には教育を残すんだと父に言われたと・・・
>父と母から、「生きて行く知恵」をわたしが相続しました
は感慨深いものがあります
私は西本願寺ですが、お盆に花が高いのは興ざめです
お優しいお言葉、いたみいります。
このお盆day,宗教宗派は別にして、
亡くなった人たちのことを思い出して、
今、生きている自分が、恥ずかしくないかを考える機会にしたいと思います。
鈴ちゃんは、仏教徒なので、
「仏花が2000円!」って、叫んでます。
ダブルで飾るものなので、4000円するんですか、
米10キロ買えますね~。
ま、日本国憲法に「信教の自由」は保証されているわけですから、
鈴ちゃんの宗教も、尊重いたします。
そもそも、宗教というのは欧米の概念で、我が国にはあまり馴染みがないと思います。
神道はどちらかと言えば、日本古来の生活や文化そのものだし、伝統的な仏教も似たようなものだと思います。
だから、何も知らずにクリスマスやハロウィンを祝っても全く問題と思います。
私は人間の実体は魂で、不滅だと考えています。
亡くなったご両親は今でもあなたを見守っていると思います。
盆灯篭、きれいですよね~。
アメリカ人の友人たちは、みんな、日本みやげにあの灯篭や、
ハス型のキャンドルを欲しがりますねえ。
用途を説明すると、がっかりして諦めますが・・・。
わたしも実家はなくなりました。
お盆の時期の帰省ラッシュ…とかって、聞くと、
たいへんだなあって思いながらも、ほんとは羨ましいと感じています。
室内の盆灯篭が走馬灯のように回ってキラキラします~
私も実家とは絶縁状態なのですが、実は実家にいた時は私が全員を扶養していたのでそれはもう・・・