長期滞在ビザの申請。
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2014/08/19 20:47:40
もうすぐ「わたし記念日」の日が来ます。
ちょうど10年前の8月23日、
わたしは、自分をやり直すためにアメリカ・Hawaii州に移りました。
アメリカへは、基本ビザ(査証)なしで渡航できますが、
わたしは長期滞在予定でしたので、ビザが必要です。
これがまた、たいへんで、ビザ申請には専門の業者がいるくらい、
面倒でややこしい手続きがあります。
当時、業者に頼むと10万はかかりました。
自分がアメリカに住むのに、それくらいの手続きを
「自分一人でできないで、どうするか」と、
わたしは全部、みずから書類を揃えましたが、
まあ、あろうことか、大阪のアメリカ領事館で、
この性格、大ケンカをする有様、
誰もが、ビザ、くれるわけがない思いました。
もちろん、わたし自身も!
まあね、でも、聞いてくれます?
これがケンカをしないで、いられましょうか。
手続きに窓口で並ばされること、数十分。
見ていると、第三国(どこかマレーシアかフィリピン)の女性が、
居丈高な領事館員に呼びつけられ、
えらく怒られていたんです。
女性は、日本語も英語も分からないような様子で、
おびえて泣き出してしまいました。
なんだかね、
それを見ていて、
(黙ってりゃあ、いいものを!)
黙ってられなくなってしまったのです。
怒鳴りつけている領事館員に、突然、わたし言っちゃいました。
「あなた、女性に対して、態度が悪い」(英語で)
それは、それは、その一言は、
辺りの空気をいっぺんに凍らせてしまって。
そりゃあ、そうです。
アメリカ領事館にいて、領事館員に逆キレするようなものです。
ざわついていた周りの空気は、し~んと静まり返り、
その領事館員は、わたしに言いました(英語で)
「ここへ何しに来たのか」
「ビザの申請に」
「ビザの申請に来て、わたしに文句を言うのか」
「それと、これとは別、
アメリカはレディファーストの国と聞いた、
なのに、あなたは、公衆の面前で、女性を扱う方法が間違っている」
領事館員は、憮然として言いました。
「わたしに、たてついてビザ申請が通ると思うか」
「わたしは、ビザ申請をしに来たからといって、間違っていることを、
間違っているといわない人間では、ない。」
そういいながら、
あ~、もうダメだわ。
書類を取り戻して、帰ろうと思いましたが、
いったん申請書類を提出したら、2週間は返却しないというではありませんか。
こんどは、窓口で、
「返せ」「返さない」「返せ」「返さない」の応酬です。
結局その領事館員は、わたしの書類を返してくれず、
わたしは「ふん」といって帰途につきましたが…
「この性格、なんとか治さないとダメだなあ~」って、
本気で落ち込んで電車に乗って帰ったのです。
事の顛末を友人に話しても、
みんな「バ~カ」というのですよ、ほんと、その通り。
事情も何も分からないクセに、
よその国の人をかばったって何にもならないのに・・・。
もう、すっかり落ち込んでしまいました。
ところが!
これが、アメリカンドリームですねえー。
それから10日ほどして、
郵便受けに入っていたパスポートには!なんと!
10年間の滞在ビザが付いていました、
しかも、さらにもう10年の延長が可能なヤツ!
信じられませんでした。
わたしは、結局、タダに近い費用で、
あっさり(ほぼ永住権のある)ビザを貰えることになったんですね~。
夢みたいでした。
思えば、あれが「アメリカ流」だったんです。
ああ、アメリカってなんてデカい国なんだろうって、
本気で知った、アメリカの始まりでした。
領事館でのいきさつですが、当時は、ほんとうに「バカ」のすることなんです。
賢い人たちは、第3国の人たちのために、自分の心証が悪くなるようなことはしません。
それに、その女の人が何をして怒られているのかさえ、分からない状況で、
突然割って入ったのですから・・・。
やっぱり、「バカ」だと思います。
領事館の人が、「おりこう」さんで、
訳の分からない「バカ」が、突然割って入った理由を斟酌してくださり、
尚且つ忍耐強く聞いてくださり、
他の人の手前、「手続き通り」という作業の上で、
追ってビザを発給してくださったのだと思います。
そういう意味では、アメリカンスピリットというのは、
「個人」を「個人」が尊重してくださるベースができているのですね。
コミュニケーションが、何とか取れれば、
たいていの場合、人は親切です。
それが、郵送で分かるくらいのタイムラグがあっても。
単なる職権乱用か・・・?
私も見て見ぬフリができないほうですが、自分で処理できる範囲が狭いのでw
書類、返されなくて、結果オーライですね^^
こんな状況に出くわしたら見てみぬ
フリしてやり過ごすと思います。
ましてや英語で啖呵きるなんて
カッコ良すぎです。
時代は昭和。主人公は学生運動に参加して結構顔が知られていて、ビザが下りるか下りないかの瀬戸際。
領事館で「僕は平和主義者です」のセリフが、倉橋先生らしい
はなこさんの大冒険は続くのですね。うふふ。
私は「バ~カ」とは思いません
権力をかさにきるやつが大キライだし、許せません
「バカ」はバカでも「素晴らしいバカ」です
それに、ビザが送られてきたことは
心ある誰かがその小役人の後ろで見てたんだと思いますよ!
こいつは骨のあるヤツだ!と・・・・・
序章が終わって、これから本編ですね?
楽しみが一つ増えました(笑)
じつは、この8月23日の「わたし記念日」、
わたしにとって、本当に思い入れ深いものです。
どうぞ、ご辛抱なさって、お付き合いください。
拍手~パチパチパチ~
ちなみに東京の領事館は紳士的でした~
というか、父親みたいに心配してくれましたよ~
「ふん」と言って去っていく後姿をみて、ほほが緩んでいる大使館の人の映像が目に浮かびました。
外国の人は自分の意見をはっきり言う人を好むらしいし、理念のないいいがかりだったわけではないから好感をもち、申請書類を返さない時点で既にビザを発給しても大丈夫な人物だと確信していたように思えます(^m^*)
自分を変えたい時は海外に行くのが良さそうですね。
20年間のビザ、何があったか気になります。
海外はロサンゼルスに海外研修で一回行っただけです。
道路が広かったのが印象的です。