千社札神社から、Hawaii地獄めぐり。
- カテゴリ:人生
- 2014/08/22 09:50:33
…とにかく3泊5日の格安ツアーですから、
入学手続きを済ませた途端に、いったん帰国しなければなりません。
こんな忙しい旅行は、久しぶりでした。
忙しい旅行といえば、
わたしの人生で、後にも先にも「一番忙しい旅行」記録があります。
カナダ日帰りです。
飛行場に着いてすぐ、タクシーでアメリカ大使館に向かい、
難民移民の行列にチンと並んで、
就労ビザの発給を待ちました。
この旅行の思い出といえば、ぼったくりタクシーの運転手が、
何度も同じ交差点をクルクル回ったことを怒ったら、
突然、フランス語になって「英語がわからない」とぬかしやがったことです。
当時、ソルボンヌ大学を出ていた友人ちの犬が、
(どう見ても、日本犬の雑種の癖に!)
フランス語しか、命令をきかなかったので、
わたしが話せるフランス語は、その犬用の言葉でした。
タクシーの運転手には、
「お手!」「おすわり!」「伏せ!」って、
流暢なフランス語で、怒鳴りつけてやりました。
話しが、おもいっきりドライブしましたね。
とにかく、改めて長期チケットを取り、
またHawaiiにトンボ返りです。
それからの、最初の3か月、
これはもう、はっきり言って「地獄」でした。
受験でだって、こんなに勉強したことはありません。
しかも、いい年なのに、記憶力の衰退も何も、
壁中に単語カードを張り付けて、
目が覚めれば一番に、暗記ができるようにと、
天上にまで、単語カードが張られていきました。
そう、わたしのコンドミニアムは、
まるで日本の神社の千社札のようでした。
そして電子辞書が、2か月で故障しました。
キーボードが磨滅して、感知しなくなったのです。
そりゃあ、もう、ある種の洗脳作業のような状況でした。
この時期、わたしにとって日本語というのは、凶器でしたから・・・
元夫は、離婚届に判をくれず、
30年近い夫婦の歴史は、わたしにとって全てでした・・・、
何を見ても、何を聞いても、日本語を通して得る情報は、
「夫婦が壊れたこと」ばかりを責め苛むのです。
元夫は,ちょっとは名の通ったミュージシャンでした。
テレビをつけていても、突然、夫の音楽が流れたり、
新聞や、雑誌にも、隠れた罠のように夫の話しが出ていました。
そのたびに心臓をえぐられるような痛みが走り、
涙が突然止まらなくなり、
声を殺して、感情が収まるのを待たなければならなかったのです。
それで、日本に、住んでいられなくなったのですね。
海外移住の根本的理由は、そーゆーことだったのですよ。
「真実」というのは、
ときに、ほんとうはカッコ悪いモノなのです。
元夫の浮気で、別居したものの離婚には応じてもらえず、
1年間、抗うつ剤を飲み続け耐えましたが、
もう日本になんか、住んでいられない!と、飛び出した・・・
ただ、「転んでもタダでは起きない」、
これが、わたし流です。
転んで、骨折して,膝すりむいて、おでこを打って、
泣いて泣いて、泣き続けて、目が見えなくなって、
薬漬けになって、やっと泣き疲れたら1年も経っていました。
まだ、離婚届には、はんこを押してくれない、
だけど、待っていてもテレビやメディアは攻撃の手を緩めてくれない・・・
外国に行くしか、生き残る方法はなかったのです。
じゃあ、おんなじ行くなら、
行って、なにか掴んで来ようと思いました。
行って、自分をリセットして、
きれいさっぱり、別のわたしを手に入れよう!
領事館で「バカ」をやるのも、わたしですが、
今さら,この歳で学生を英語でやるのも、わたしです。
(しかも、パンキョー!から)注:パンキョー=一般教養。
どうせ人生のどん底なら、
とことんどん底を極めてくるのが、理想的です。
底を打ったら、上がってくるしかありませんものね。
プールも人生も同じです。
すごくステキな冒険譚みたいですよ!
え~、これ、ほんとに「どん底話」なんですよ。
「当たって砕けろっ」て言う言葉がありますが、
みごと木端微塵になった話です。
学校も2年目までは、やっぱり英語地獄だったし、
3年目くらいから、へらず口もきけるようになりましたが。
大恥かきまくりの学生生活でした。
多国語のスラングというか、怒りの言葉も知識に無ければいけないな!
向こうは全く知らないと思っているから、
スペイン語で「オトラベス!」はホームステイのファミリーがブラジル人だったので
スペイン語と英語のチャンポンでしたので覚えました
「イプアプータ!」はこれは訳すととんでもない言葉ですが、
こちらが言葉がわからないだろうとなめてる相手に牽制になりました
話しが、おもいっきりドライブしましたね(笑)
>そう、わたしのコンドミニアムは、
>まるで日本の神社の千社札のようでした。
この表現は私の琴線に触れました
>「真実」というのは、
>ときに、ほんとうはカッコ悪いモノなのです。
はハードボイルドの小説なんかで出てきそうなセリフですね?
でも、心底カッコ悪いモノとは私は思わないけど・・・
違う世界に飛び込んで一から始めてる人を笑う人って、
人を羨むか蔑むかしかできない、薄っぺらい人生の人間だと思います
どん底を味わって這い上がろうとする人を、
批判中傷する資格のある人はこの世に存在しないと思います
思いきった はなこさんに私は拍手を贈りたいです!
テレビをつけても、英語、
町を歩いても英語、バスに乗っても、道を尋ねても、買い物しても英語、
やっと家に帰って、寝たと思ったら夢まで、英語!
アラウンド50歳でしたが、「知恵熱」を出して寝込んだもんです。
この対価が「離婚」(実際には、まだハンコはもらえなかったけど)、
離婚するって、ものすごいストレスなんですね。
精神医学でも、ストレスMaxは「配偶者の死」ですが、2位は「離婚」でした。
離婚は、ほんとうに、人間を変えますよ。
「壮絶」という言葉は、こういうときに使うのかもって思いました
今、久しぶりにO'ahu島の地図を開いてみました。
どのストリートも懐かしいです。
わたしはKEWALOに住んでいましたが、
もう地図を見ただけで、Hawaiiにいる気分です。
あ~、今晩、学校の夢を見て、またうなされそう~♪
すっごい感激です!
そのどうしようもない、そしてどうにもしない悲しみを共有できるなんて!!
私は涙なくしては「アロハ・オエ」を聞けなくなりました。
また、そんな歴史を語ってくださる方に出会えたことも感謝しています。
そして今、それを語れるはなこさんに出会えたことも感謝します。
一緒です、一緒!
そうなんです、それ!
あんな悲しい島は、世界中探しても他にないと思います。
そして、それを、真っ青な空の下で、どうすることもできない悲しみを、
ただ、手に持って立ち尽くしていることしかできないのです。
ただ悲しいのでもない、戻ることの決してできない郷愁、
それを青い空の下で、からりとした風の中で、
ただ、ただ、手にしたまま突っ立っているだけなのです。
いつかこころの傷に薄膜が張って、
かさぶたになって、
何度もひび割れて、また血を流して、
それを繰り返して、ひきつった傷跡になってしまうまで。
ハワイの風に癒されました。
昼は海から、夜は山から吹いてくる風・・・
山手の住宅地の灯り。
それまでぼんやり聞いていた『アロハ・オエ』がリリウオカラニの、そしてハワイ王朝の、
悲しみの歴史を物語っていることも。
崖から突き落とされた昔のハワイの人達の歴史も。
全部ひっくるめて、私は癒されて日本に帰ることができました。
泪珠さんの理由と、甲も乙も丙も丁もありませんよ。
ましてや「アホみたい」だなんて思ってもいませんよ。
外国で生活するって、
生易しいものじゃありませんよねえ。
泪珠さんが、「ぼんやりした時間」を過ごされたのは、それこそ言葉の綾であって、
その「ぼんやりした時間」をすごすために「緊張した時間」も、
「ご苦労された時間」もおありだったことでしょう。
Hawaiiは、たしかに「癒しの国」ですね。
最初は信じていませんでしたが、
あのキラウエアのペレの伝説は本当の話しだと思いました。
Hawaiiの歴史も、悲しみの歴史です。
人を癒せるのは、その悲しみを本当の意味で知っている人だけだと思います。
Hawaiiの「ALOHA SPIRIT」には、それが脈々と受け継がれているのだと知りました。
泪珠さんも、きっと癒されたでしょう?
ね、ね。
私の「ハハオヤに贅沢のために金を使わせたくない」という理由がアホみたいです。
でも、散々滅私奉公みたいなことして、散々苦学して、お小遣いも一切もらったことがないばかりか、学費・仕送りも一切なかった灰色の生活を塗り替えるために、私のハワイのぼんやりした時間があったのですよ~