ドラマ【軍師官兵衛】
- カテゴリ:テレビ
- 2014/09/01 17:34:02
【感想】今回の目玉は、九州攻めとバテレン追放令。陣羽織のエピソード、回想で挟んで来ましたねw 九州攻めはあっけなく終わってしまったイメージですが、丹念に描くと結構面白い流れがあったようです。でもこの頃は豊臣方が圧倒的に兵力で勝っていたので、弱いものイジメの感もあるので、詳しく描くのはやめたのでしょうか。官兵衛とは直接関係ないことも多いですしね。ここで不思議に思ったのは、島津の処遇です。島津単独だったら、そう不思議でもないのですが、後の宇都宮(城井)鎮房と比べると、何故島津は許されて宇都宮はだめだったんだろうと思ってしまうんですよね。まぁこれは次回へ持ち越しましょう。恐らく官兵衛後半生で1、2を争うドラマチックな展開になると思います。が、有岡城の時と違ってどちらかというと官兵衛は悪役なので、主人公無双の大河がこの悲劇をどう描くか、興味が持たれるところです。黒田の国替えについては、報奨というよりも豊臣家になじみのない九州の地に、黒田家という腹心の家臣を置くことにより、統治の基盤にすると同時に、当時秀吉が官兵衛に猜疑心を抱き始めていたことを考えると、黒田家を大坂から少しでも遠く引き離したかったという意思もあったのではないかと思います。両者は相反しているように思えますが、黒田家は九州攻めで先鋒を務め戦ったため、周囲の九州を地盤としてきた武将たちと、結束する可能性は低いと見たのでしょう。勝手な推測ですけどw この国替えは、後の江戸幕府の転封に通じるものがあるように思います。江戸幕府は強大な外様大名を江戸から遠地に置き、間に親藩や譜代の大名を置くという政策をとっています。織田の時代まで国替えというシステムがなかったことを考えると、秀吉がこの当時行った国替えが、後の江戸幕府の政策に影響を及ぼしているのはほぼ間違いないと思いますね。家康は先人の悪い部分は切り捨て、よい部分は積極的に取り入れている感じがします。そして、もう1つの目玉、バテレン追放令。官兵衛がキリシタンに改宗していなければ、そう大きな影響はなかったんでしょうけどね。ただし、西洋諸国との貿易が重要視されていた当時、この時発布されたバテレン追放令はあまり強制力がなく、段階的に厳しさを増し、江戸時代には完全に禁教になったようです。今の感覚で言うと、新興宗教のようなイメージだったのでしょうね。正直、当時のキリスト教は、神社仏閣を打ち壊すなど、他の宗教を受け入れない一神教ですので、あまり日本には合わないと思います。人を正しい道へ導くはずの宗教が、宗派の違いでいさかいや殺し合いをするなど愚の骨頂と言わざるを得ず、私は宗教に寛容な国に生まれて本当によかったと思いますね。それを思うと、秀吉や江戸幕府が当時キリスト教を禁教にしたのは、日本にとってプラスだったのではないかと思ったりもしますが、もしキリスト教国家になっていたら、歴史も相当変わっていただろうし、一概には言えないなとも思います。まぁ、歴史にifは禁物ってことですね。