ドバイ
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2008/12/21 20:46:31
12月の初旬、ドバイに行ってきました。
仕事がらみなので、ホテルは、ごく普通のビジネスクラス。
枕が合わなくて苦しみました。^^;
建国記念日にもあたり、運河を船上パレードやお祝いの国旗を掲げた
ヘリコプターが上空を旋回していました。
すでに資金が底をついているのに、国内は表向き平穏そのものだった。
パレードを見ている人々も、拍手やら、手を振ったりしないで、漠然と
眺めているという感じでした。
それもそもはず、労働移民には決して国籍を取らせないお国柄。
建設中の巨大ビルも工事がストップしたままが、数知れず。このまま放置
されたら、SFの荒涼たる世界そのままじゃないか…。
先行きを考えぞっとしました。
この国はどこにむかうのだろうか。
四十代にして、母に対する異常な嫌悪に苦しみました。
父の暴力から守り、いい娘であり続けたわたしですが
それを否定するかのように、顔を見るのも嫌になったんです。
とても苦しい体験でした。
わたしは自分を信じる人間だからなんです。
その他、自分を揺るがす様々な心理的なことが起こり、
人というもの、危うさを自ら知りました。
自信を失ったんですね。
そのことで、父や実母の生き方を見つめ直し
新しい視点を得ました。
最中に実母が亡くなった病で入院したり、で
おい、やってくれるな、と、思ったものです^^;
自分を再編成しなければ、母との老いを受け止める自分になれない
今でもその作業の最中です。
まずは父という、わたしの軸になっている人物を整理せねばなりませんでした。
その過程で、学んだことはたくさんありました。
疲れ果てたの事実です。
逃げる、ということを本当に嫌うわたしが
体調の悪さも重なって、とりあえず、休憩を知ったのは
歳のせいかもしれません^^;
本当に、老いるって実感がありますね~~ヤダヤダ。
それで、ちょこっと興味本位で入り込んだのがココ^^;
みんな、自分を特別だと思って生きています。
特に、痛みや辛さを体験した人は。
ところが、特別ではなく普遍的であると、ニコで不特定多数のみなさんと知り合って
実感したことでした。
傷は空気にさらさなければ、完治しないんですね。
それを知りました。
招きさんは怒った。
ユミさんは泣いていた。
弱い方に味方せねばね、間違っていたとしても。
そこから先の展開は、読めませんでしたけど^^;
傷のあるもの同士は逆鱗、触ってはならぬ場所を持っています。
リアルな現場なら、修復は難しいでしょうね。
ここには距離がある。
だからこそ、お互いが独りで考えられる。
あとは成り行き。
みんな幸せになって欲しいですね^^
幸せは与えてくれるものではないんです。
掴まなくっちゃね。
でないと、苦労が苦労のまま残っちゃう。
魔女様、ありがとう^^御心配おかけしましたね。
早いものですね。わたしたち、この仮想空間に迷い込んで、長く居座っている^^
いろいろとありがとうございました。
本音を引き出すには、こちらも本気にならないといけないので
ちょっと疲れちゃいますね^^;
まぁ、あちらこちらで、わりとしてて、毎回、もうやめよう、などと思うんですが
これも性格でしょうかww
わたしは、実は、招きさんのことは心配していないんです^^;
彼は、大丈夫だと思うんです。
痛みの原因が、愛だと、それも自分の中に愛があるんです。
時間がかかっても、きっと立ち直れる、
自分の中に愛の枯渇があっても、人をちゃんと愛せる人です。
そこが、ものすごく大事なんです。
生きていくことって、歳を重ねれば重ねるほど
愛されるよりも、愛することだと、実感してきます。若いころは絶対にが逆だけど。
キアヌ君もいるしね。
ただね、今が、まだ早いから。こうなるんだともね^^;
心配したのはユミさんの方でした。
彼女はわたしたちと変わらない年齢なんです。
とても微妙な時期です。
本当に長いこと、閉じていた自分を開き始めた直後なんです。
わたしがそそのかしているのも一因かもしれませんが。。
自分の意思で、開き始めました。
ところが、この件で、自分の迂闊さゆえに、招きさんとあんなことになりました。
また、急速に閉じてしまう。
わたしたちにはあまり時間がありません。若くないから。
心の傷は、少しでも若くないと、越えていくことが難しくなるのではないか
自分の経験から思うんです。
四十代は父の死や母の交通事故を経て、自分がいっぱいいっぱいになった時期でした。
それで、ある所で、いわば自己を晒す為の修行に(変なとこじゃありませんよ^^;
覚悟を決めて、やっていたことがありました。
辛い経験でした。自分の過去を、それも自分の一番辛い時期をしっかりと思い出すのは
追体験すると同じなんですね。
基本的に負けず嫌いで、前向きですから^^;
がむしゃら大行進。メゲそうになりました。
わたしには依存体質の母がいます。
彼女を何としても、看取ってやらねばなりません。
快く。わたし自身の為にも。
しかし、彼女はあまりにも無邪気にわたしを傷つけ疲弊させました。
世界を飛び回ってタフだなぁ・・・五十肩以外は元気そうですね^^
五十肩はねぇ、痛い方の腕を、(痛みがマシな時に)真横の斜め上方に伸ばして
指先が、ず~と先に引っ張られるような感じで、さらにジワ~ッとのばすと
少し楽になります(⌒^⌒)b
あの長いコメ合戦、拝読しました。
傍観してるとね、喧嘩しているように見えて
お互いを心配し合っているのが、良くわかります。
招き猫さんが引っかかっていたのは
実は、ただ一箇所。
「死」という言葉だけです。
彼は今、その言葉に過敏になっています。
彼には、母娘の独特の葛藤や
ユミさんが、その言葉を発した時
まだまだ未熟な若さだったことに思い至っていただけるように
チャットの時に、少しお伝えしておきました。
みんな、それぞれ重たい荷物を背負っていますが
ぜひ、幸せになって欲しいと願っています。
自分を不幸と思う心が不幸。
そう思いながら、前へ進むしかないですよね?^^
たぶんね、7月25日が過ぎたら
招き猫さん、またしばらくお仕事に熱中して
その後、ケロリと帰って来ると思う。
この先何年続くかはわからないけれど
彼は毎年、真夏のこの日に生まれ変わるんです。
どうなっていくんでしょうね。
テレビも観光取材、いっぱい流していましたからね。
異国はその地に行かないと
わからないことが多いかもしれませんね。
今は荒地ってイメージかな。
国民は富豪で、労働者は外国人って本当なんですね。
どこまで、その体制でいけるのか?
仕事といっても、かすめるようなもので、お疲れ様などといわれると赤面、冷や汗ものです。
もう、休暇といってもいいようなのです。混乱を招き、申し訳ありませんでした。
中国、といっても北京なのですが、オリンピック前に何度が行きました。
もう、そこらじゅう高層ビルを建てて、大丈夫かなと思いました。
中国での仕事はタフさを要求されると聞いています。
ライダーさんこそお疲れ様です。
ルルさん、おくささん
コメントありがとう。
ドバイの近代化は40年前から始まりました。
それまで、砂漠だけの極貧の国だったようです。
産業といえば、真珠採りぐらいで、これも命がけの
つらい職業だったようです。
運良く、石油という宝くじに当たった。
その力で世界一を追いかける
成金的感覚に陥るのも仕方なかったのかもしれません。
ドバイのあるアラブ首長国連邦は7つの小さな国が集まっているんです。
アブダビが石油がよく出ます。国土も広いので常に中心、首都です。
ドバイは二番手。すでに石油が枯渇しつつあったドバイは観光に
力を入れたんですね。
しかし、遊びを知らなかったから
リゾートたるものも研究不足。
お金は、非常に強い力ですが、使い方を誤ると
何も生み出しはしない。
もっと他に方法はなかたんかいな。ホント。
とにかく派手なものを作るのが大好きなイメージがあります。
建築バブルがはじけてどうなることやら・・
不景気の余波は殆どないだろうと思ってましたよ~ビックリ!
確かに今原油は5年前の価格まで下落していて、
去年の異常な高値から1/3の価格まで下落。
それでも減産すれば、暴落することもないし、良い国だよなぁって
思っていたんですよ。
そこまで不景気の余波が現われているのに驚きました。。
海外出張お疲れさまでした。
ドバイですか遠いですね~
私は同じ海外出張でも中国です。
中国も急激に景気が悪化し資金難から工事中断のビルが
あちらこちらに
世界的不況なんでしょうねー
とにかく体をゆっくり休めてください
強い通り雨があり、相棒のミケも心配みたいで
そわそわした顔で空を見上げていました。
あいつ、腕白やからんね。
何もかも新しいドバイはここ40年でできた国。
今、ドバイで買ってきた(なんと日本語です!)
本を読んでます。
ちょっこと、ドバイを含めたアラブ首長国連邦の
歴史とこぼれ話など、書けるかな。
黒は、どこの家のおやつがおいしいか調査中かな^^
出張・・・ 職場は出張がほとんどなく海外出張は絶対にないので「出張」って憧れます^^;
ドバイはネットで調べると観光地化に力を入れてショッピングモールやら高級ホテル、はては海中ホテルまで開発中ってなってますが、建設途中のビルが放置されてるんじゃ・・・
せっかくのパレードが楽しめない状態ってのがちょっと寂しいですね^^;