父と私の教育の相違
- カテゴリ:家庭
- 2014/10/31 15:41:51
私の父は厳格で、とにかく父の趣味以外は否定されていたなぁ・・・
私が高校の時、あるプラモデル屋さんでフォーミュラーカーの
「ティレルフォード34」と「マクラーレン」のプラモデルを作り
最初は何に使うレーシングカーなのか分からなくてね~
ある日書店の車コーナーにその本を見つけF-1というレーシングカー
だという事が分かって・・・
それから月日も経ち車の免許を取得して、どうしてもF-1パイロットに
なりたくて父に相談したら「そんな下らんことはやらんでいい!」と・・・。
それでも諦めきれず父には内緒でダートトライアル競技に何度か
出場したり、F-1パイロットになる為の近道を探していたなぁ・・・
まあ、結局叶わぬ夢だったけど、これは今でも残念に思ってる
その後、スキーが流行りだし、デモンストレーターの夢を実現しようと
その事も父に相談したが結局「そんな事はやらんでいい!」と一言。
父の趣味はゴルフと野球くらいなもので、私が子供の頃は良く野球を
やっていた記憶があるのだが・・・
私がバッターで父がピッチャーで、とんでもない暴投でよくデッドボール
食らっていたなぁ・・・
ゴルフも高校の時、半強制的に習わされ嫌々やっていたが、当然
続くわけでもなくやめたよ。
とにかく父は頑固一徹で自分の気に入らない事は「やらなくていい!」
の一点張りだった。
後に私も結婚をして子供も出来、家庭にも恵まれたわけだが
私の教育方針は父とは全くの正反対で、子供達には「何でもやってごらん」
という方針。
とにかく興味のあるものはやらせてみる、「そのうち好きな事にぶつかる
だろうから、その時は頑張ってやってみてごらん」・・・という教育。
なので、子供が1歳の時から北海道内の色々なキャンプ場へ何度も
行ったり、色々なスポーツもさせてみたり、とにかく色々な事に
興味を持たせようと子供たちが高校へ入学するまで続けた。
これは父の間違った教育方針を真っ向から反対する疑念から生まれた
もので、父が生きていた頃から私は何度も喧嘩をしていた。
私の教育方針は、それが現れでもある。
父は飲食業を営んでいて、当時は行列のできる店として有名で
もあり、ライオンズクラブの理事も務めていたこともある。
飲食業を経営しているのならと、私は高校卒業後、大阪の
調理師専門学校へ行く相談をしたが、父は「お前は大学へ行け!」
と、意味不明な答えが返ってきた。
とにかく私の考えは真っ向から反対する父で、何も聞き入れてくれず
今のワイフとの結婚も駆け落ち同然であったことは父の性格上
分かってもらえると思う。
そんな家庭が大嫌いだった私は今、若い頃の夢とは全くかけ離れた
生き方をしている。
私たち夫婦が、息子たちの教育にフリーだったのは
息子たちには私のような生き方をしてほしくなかったからだ。
いつも長文でゴメンナサイ 彡O┓ペコリ
昭和の頃の親父というのは誰もが父と同じような考えだったのでしょう。
今はもう父はいませんが、私にどうしてほしかったのか・・・それを聞けるものなら聞きたいです。
昔の父親はみんなこんな感じで
絶対的奈存在で威張っていたのでしょうね。
この日記をよく見つけましたね^^
父はとにかく主観的な考えだったので、私が客観的に考えるようになったのは
反動だったのかもしれないです。
「人」は常に思考をしながら生きる動物です。
「思う事」も「考える事」も無限です。
出る杭はほっといて自由にしてあげる方が、時としてはいい場合もあります。
恐れて足をすくめているだけでは何も進めません。
「失敗は成功の元」と言いますので、チャレンジ精神は常に養っておいた方が
生きる先の杖としても役に立つときが来るでしょう。
どんなに小さな事でもチャレンジして少しでも前に進めることが出来れば
勇気もわいてきます。
息子さんたちに好きなことをいろいろさせてみて
自分のしたい方向を見つけさせる・・・
いい教育方針ですね。
まあ、結婚に対して親から反対されるという事はよくある事です。
でも時が経てば・・・、時と共に、色々な難題も少しずつ解決していきます。
自分が親になってみて、親の思いが初めてわかるのかもしれないですね^^
銀嶺さんの思いと共通するところが多くあります。
結婚にも猛反対で十数年も嫁ぎ先すら知らずに・・・
私の子育て関しても、当時はまったく理解されないことで心を痛めましたが、
今となっては、その子どもたちの行動や言動を目の当たりにして
私を認めてくれるようになりました。
反面教師・・・悪くないです^^
Tommyさんはそうでしたか、父の存在を・・・。
子供達にはとにかく沢山興味を持たせたかったので北海道中色々キャンプに出かけましたよ。
私があまり経験できなかった分、子供達には・・・ってね^^
Σ(◕ˇω◕ノノゑゑ パパに?! 今ではもう手遅れかと・・・ (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
私は父を知らないので
銀嶺さんみたいな父親だったら子供時代も楽しかっただろうな~。
今から銀嶺さんにパパになってもらおうかな( 艸`*)♪
結構若い時期に結婚しましたので、後が楽でしたよ^^
その頃の彼は、今、東京にいるわ。
彼は、私の45kg→55kg→65kg→55kg→48kg→43kgと、私の変化を知ってる人物です。
それだけ付き合いが長かったのか、変化が激しかったのか…o(〃^▽^〃)oあははっ♪
理由もなく「あれはやらなくていい」とか「これはやらないくていい」とか一方的に
言われてもただ反感を持つだけですね。
そういう教育は良くないんだという事を、身をもって知ったからこそだと思います。
広く沢山学ぶことで本当の知識も学べますからね。 ^^
子供はどんなに不満に思っても結局従ってしまうものですよね;
私もそうだったかも。
県外の大学いきたかったなぁ。
銀嶺さんの教育方針は私の理想とするところです^^
もしかすると、唯一親から離れて大学に通っていた時代が一番楽しかったのかもしれないです。
一応下宿生活でしたが、門限も無し、結構自由でしたので、今迄不自由だった分、伸び伸びと
過ごしていましたよ。 ^^
今のワイフはこの時に知り合いました^^;
私の周りの環境があまり良くはなかったので、結果自分で答えを導かざるを得なかったと
言えるかもしれません。
結局誰もが自分の事しか考えていない人ばかりだったので、こういう自分が出来たのだと
思います。
心の師・・・なんてまだまだ、100年は修業しないと ^^;
Lunaさんのお父様はきっと、 「自分の行動の責任は自分で取れ!」の言葉の意味を
成人になるまでの間言い伝えていたのだと思います。
そういった大事な事を伝えてきたお父様は素晴らしい人だと思いますよ。
それに引き換え、私の父は何一つ教えてはくれなかったので、私は常に自分で答えを
探し出していました。
子供達には、とにかくフリーな状態にさせ、色々考え、色々な方向からものを見る習慣を
身に着けてあげたかったので、このような教育方法を取りました。
いつまでも、ずーっと、いい子じゃ、つまらない人間になりますよね~。
人生に起こった様々なことを、御自分で分析し、それにきちんと答えを出し、
立ち向かっていく所です。
そして、そんな色々な事を、こうしてブログにまとめて読ませていただくと、
自分も頑張ろうという気になります。
心の師の一人です。
また、寄らせていただきますね~
そのことに 感謝できるようになったのは 成人してからですが
子供のころは とにかく怖くて 自分の気持ちを上手く伝えることができませんでした。。。
親子だから どんな言葉であっても 気持ちは伝わるはずなのに
父の気にいる受け答えをしようと 必死になっていたように思います^^;
ただ、成人してからは 「自分の行動の責任は自分で取れ!」と
びっくりするほど 放任してくれました^^
なので 自分の考えで行動できるようになり
父に対する反発も なくなっていきました。。。
銀嶺さんの子育てのように
子供に多くのことを経験させてあげて 選択の幅を広げてあげるのは
とてもいいことだと 思います^^
多くの経験は 素敵な財産になりますものね^^
昔から、「可愛い子には旅をさせろ」という言葉がありますが、それすらさせてもらえなかったですね。
私は大学の時、実家から離れましたので、その時に爆発しましたけど^^;
私も、がんじがらめで、育ってきたから、社会人になって、爆発しましたよ。
何時に帰ってきても、次の日、ちゃんとお仕事に行くことはしていたので、門限は、ありませんでしたが、
さすがに、朝帰りだけは、やめてくれ~~~。と、言われたましたね。
連休があると、出かけたら、休日最終日まで、帰ってこないという。
友達と、ぶら~~~と、どこへでも、出かけてしまう、あてなき旅をよくしていました。
結婚して、子供が、生れてからも、その旅は、してたな~。o(〃^▽^〃)oあははっ♪
でも、元旦那の会社の休日が少なすぎて、それもいつしかできなくなりました。
子供は親を選べないです。
なので全ては親に託されているのに、どうしてその気持ちを掬ってあげようとはしないんでしょう?
なつみさんのお父さんは厳格な中にも優しさがある。
私は思い出しても父の優しさが思い浮かんでこないんです。 どうしても・・・
もしかすると私は父と母の子ではないんじゃないかとさえ・・・
怒鳴るのは子供を委縮させてしまうので、いい事は何一つないですね。
しかも子供は親を選べない。
私の父は規律は厳しかったけど、基本的には優しい人です。
そんな環境なので「怒鳴る人」は恐くて心から苦手です・・
コメントありがとうございます。 <(_ _)>
人の家庭が羨ましいというのは、人それぞれ考え方が違いますからねぇ~ ^^;
しつけが厳しすぎると子供菜必ずどこかで発散をしようとしますので、その引き金が
何時どういう状況の中で起きるか分からないです。
正に私がそういう状況に近い状態でしたので、親に手をかける子供の気持ちは
分からなくもないのですが…。
大体は親が成し遂げられなかったことを子どもに託そうとします。
これは大きな間違いで、親も子供も「人」ですので、子供も考えはそれぞれ持っているものです。
窮屈な家庭空間より空間を広げてあげた方が子供もよりのびのびと成長していけます。
父は私に何かというと「お前に何が分かる!?」と怒鳴っていましたが、怒鳴っていた理由はきっと
図星を言われたからだったんだなぁ・・・と勝手に解釈しています。
子供の心はちょっとしたことで傷つきやすいですから、心苦しかったでしょうねぇ・・・ ><
私もよく誰かと比較をされたりしたものです。
そのたびに思う事は、「私は生まれてこなければよかったのに・・・」と。
私には厳しかったですが、父の兄弟には優しかったですね。
思い出すと今でもにくく感じる事はありますよ。
両親とも、あー産んじまったぁ..みたいな感じで、テストもみてくれない、懇談にも年一回いやいやくる。高校もえーっ行くの?働いて家に金いれてやぁー( ´△`)ですよ。
どんな形であれ、教育,育児に参加してくれたお父様はすばらしいとおもいます。
(。-∀-)とはいえ、所謂頑固オヤジ様相手では
お疲れだったでしょう。 こないだ北海道で躾が厳しすぎで母親とお祖母さんを手に掛けてしまった女子高生もいましたね。
子供を道具扱い、自分が生んだのだからどう扱おうが勝手と
勘違いしてる親が多いのは日本の古い習慣も影響してるのでしょうね。
(´・ω・`)いいなずけとか、家徳を継ぐとか。。長男なんだからとか。。消えてきたとはいえ、親の言い付け,親の為の~まだまだ根強いですね。
私はというと、やはり過去の経験からか
子供に構いすぎて(;^ω^むしろ、ほっといてーと言われてしまいます。
自分がかまって欲しかった反動でしょうね。
子育てに成功なんて、きっと無くて。
親子であれ、どんな人間関係を築いていけるかが子育て&教育なのかもしれません。
(* ̄∇ ̄)ノなんも分かってないアホがアホなコメントしてるはーと読み流してくださいませ。
我儘で甘ったれで、一人っ子の私には負担の大きい人でした。
子供の心を踏みにじる発言は茶飯事だし・・・
ある意味、母のお陰で、子供に対し母親らしい接し方が出来てるかなと思ってます。
子供の頃、一緒にテレビを見ていて
同じ年頃のタレントさんが活躍してるのを見て
「あんな子だったら、私は幸せだったのに」って真顔で言われた時は、ショックでした。
そういう発言を平気でする人でしたよぉ(^_^;)
でも、大事な親ですもんね。
当時はまだ一家の主というのは、家の中での権限が大きかったですからね。
テレビのチャンネルも父の観たいものしか見れなかった時代でしたよ。
父も反面教師的な感じでした。
店にいる時は笑顔でしたが、家に帰ると怖いでしたよ。
何の相談だったか父に相談をしたら真っ先に反対されたので、それ以来父とは話が
合わなかったです。
結婚式もやる、やらないで結構もめましたし、何せ父の思い通りではければ
気の済む人ではなかったので本当に嫌いでした。
飲食業をもっと拡張しようと専門学校へ行こうとしたのですが、とにかく大学へ入れ!
の一点張りで何を考えているのか全然分かりませんでした。
そんな思いでしかなかったので私は、子供達には色々な経験をさせようと思ったんです。
自分は半強制的に動かされている人形にしか感じられなかった。
それは今も思い続けている事です。
もしもまた生まれ変わったとしたら、同じF-1パイロットを目指すでしょうね。
と同時に、いい環境の家の子に生まれて育てられたいです。
家の主が一番エライ人、自分の思いが通じないと一喝しておしまい!
本当は子供のこと思っての事でも言葉が足りない。
同性には厳しいものですね。
私も母親に反発してて、母は反面教師だったんですよ~^^
今でも母のようには生きたくないと思ってます。
でもね~子供にとっては親は親ですもの、親にわかってほしくて、わかってくれないのが寂しかった思いもあったんです。親から大事に思われてることを実感したかったんですね。
お互いに話し合えて理解しあうのが理想なんですけど・・・難しいです。
親だからこそ反発したり否定したりするんですよね^^;
親は子供にとっては帰るべき故郷です。
反面教師の母が生きていたならといつも思います。生きていてくれたなら。。。。
大事なことはお父様に相談されてたんですもの、お父様のお店を手伝おうと専門学校に行こうかと思っていたのですもの^^
飲食業は大変なことを知っていたから、大学へ行くように言ったのでしょうね^^
息子には自分のような生き方をしてほしくなかったのかもですね。。。。。。
銀嶺さんも反発しながらも親は親なのはわかってらっしゃるのですね^^
どんな風に生きるのかは周りの影響も大きいのですけど、もって生まれた性格というものもあるような気がします。
もしも、もう一度やり直せたなら全く別の道を進んでいるのでしょうか?
自分に問いかけてみましたが、悩んだすえに同じ道を歩いているような気がします^^
文章がヘタなので長くなってすみませんでした^^;
もしも失礼なことを書いていたのならごめんなさい^^;
子供の考える事は大体分かります。
でもそれをあえて止めないで体験させてみるという、ちょっと遠回り的な事でも
それはそれでいい体験を積めますので、興味の枠物はどんどんやらせました。
子供を四方八方塞いでしまうといつか爆破するのは目に見えてます。
ただ、私はそれをじっと我慢してきただけです。
まあ、車の免許を取ってからは結構遊びましたけどね ^^;
子供が小さいうちは何でも興味の持つことはさせてみたほうがいい方向へ行くそうですね。
ある研究結果にもその報告は出てるようですが、私はそれを20代の頃、既に実行してた
のかもしれません。
子供は子供なりの考えを持っていますので親はそれを尊重してあげる必要がありますね。
何の疑いもなく・・・ですかぁ・・・?
自分の夢とかはなかったのかなぁ・・・と思いました。
私もそれを聞いてみたいです。
なぜ必要以上に反対をしたのか・・・。
父は私に何を求めていたのだろう・・・と。
結婚の話も父は、「いい人がいるからその人と結婚すればいい」とか勝手気ままな
ことを言ってましたが、同意する気持ちはさらさらなかったので今のワイフと結婚の
話をした時は大喧嘩になりましたよ。
流石に何度も結婚を反対されると最悪の行動に出ますよね。
私は自分の夢を何一つかなえられな方ですから、せめて子供達には自由を与えていました。
今は息子たち二人共、大手企業で働いてます。^^
当時はそのことしか考えていませんでしたから、きっと乗れると信じてましたね。
確かに当時は日本人ドライバーはいなかったですね。
ブログ広場からようこそ <(_ _)>
コメントお待ちしております ^^
単なる頑固親父でしたねぇ~ それしか思い出せないです。
あれもダメ。これもダメ。
おかげで、社会人になって、いろんなことに体験しまくりましたよ。
遊んだ。遊んだ。o(〃^▽^〃)oあははっ♪
門限無視で、遊んだ。遊んだ。毎日睡眠時間3~4時間で、遊びまくった~。
で、我が子には、銀嶺さんと同じで、やりたいと思うことを何でもさせて、いろんな体験をさせてあげた。
今は、どうだろうね…。
ま、小さいころの経験が生かされることを祈るしかありません。
昔のおやじ~ですね^^
私も放任主義ですから
したいことをさせてあげたいです。
困った時は相談に乗るからね~
っては言っています。
今は頑固おやじでは、殺人になりかねないかもですね
本人の気持ちを大切にして~
公私共に言える事ですよね^^
父親とは 喧嘩した事も 叱られたことも無いです^^;
でも 小学校から短大卒業までは 親の引いたレールの上を歩いて来ました。
何の 疑いも無く 今から思えば それが親心だったような気がします(✿ฺ◕ฺ‿◕ฺ)ウフッ♥
もしお父様が生きていらっしゃったら、何故そのときにそう言ったのか聞いてみたい。
だって、「結婚しろ」ってうるさかったのに、いざ相手ができると反対するんですもの~
流石銀嶺さんは、息子さんには好きな事をさせましたね。
こう言う親が、一番良いかも知れませんね。
実力があっても、F1シートを獲得できない日本人が何人もいてます。
後程、ゆっくらコメントに。