Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


小骨が黄昏のなかで影をのばす。(ヘルンさんへ)1

 図書館で『小泉八雲集』(上田和夫訳、新潮文庫)を借りた。これは小泉八雲の著作から数編ずつ収めた、作品集。怪談や日本に関する印象記、考察文などが収められており、彼を知るための足がかり、入口的な書物となっている。
 中学生の時、英語の教科書に、「むじな」が出てきた。顔をつるりと撫でると、のっぺらぼうの顔が…というあれだ。作者は明治の頃に日本に帰化したラフカディオ・ハーン=小泉八雲…、一八五〇年─一九〇四年。その話が特に面白かったわけではないのに、なぜかずっとどこかにひっかかる名前となった。実際『小泉八雲集』には、『怪談』から収録されたものとして「雪おんな」や「ろくろ首」などと並んで「むじな」も載っていたけれど、さして感慨はなかった。
 彼が一年八カ月住んだ松江…出雲(後述するけれど、八雲という名前は、この地に由来している)に、彼のこととは関係なく、行ったことがある。小泉八雲記念館は通りすぎただけだったけれど、堀を周遊できる小さな遊覧船から、建物を見た。たしか、なぜか、どこかのお土産屋さんで、彼の栞か何かを買った記憶がある。
 話は飛ぶけれど、現在小泉八雲著『神々の国の首都』(平川祐弘訳・講談社学術文庫)を読んでいて、松江や宍道湖の描写を読み、たいていは失われた時代のことではあるのだけれど、夕陽のにじんだような美しさ、宍道湖に浮かぶ小さな島の逸話などを見て、かつてわたしが訪れた時の記憶を呼び覚ます…。呼び覚ましてくれるのも、心地よい。こんなふうにも、彼と語ることができるのだと思う。
 いや、『小泉八雲集』近辺に戻ろう。あるいはその前に。
 出雲…神無月に、神在月の地のことを書くのも奇妙な縁を勝手に感じてしまうが…、その松江に行ったのがもう十何年前だ。その時も、とくに、彼がどうと思ったわけではない。だが、ともかく彼のことは小さな骨だった。心のどこかに、喉にささった魚の骨のような、存在。
 その骨をすこしだけ意識させてくれたのが、やはり数年前…、と思ったら二〇〇七年だった、ともかく『言霊と他界』(川村湊、講談社学術文庫)で、異邦人としての彼の存在を知った。だが、まだ彼の著作自体には触れてはいない。
 『言霊と他界』で、小泉八雲は、特に「八雲の耳」という文章で語られていた。母国語は英語だけれど、二歳で離ればなれになった母の言葉はギリシャ語…、その母の言葉を母国語とは違う、「母語」として、筆者は語っている。「「人間の口から出る最もやさしい甘え言葉」(註・ハーン自身が、クリ―オールの言葉語る婦人の話として、子どもをあやす黒人の乳母について語った言葉)であったはずの母の言葉は、彼にとって懐かしいながらも、どこか異国語の不思議な響きを孕んでいたものとして、耳に残っていたのではないだろうか。」
 その異国語への耳の傾け方が、最初は西インド諸島などへのクリ―オール文化へ向けられたものであった。その後、日本へ。一八九〇年(明治二十三年)、三十九歳の時だった。彼の複雑な出生。ギリシャ、アイルランド、アラブの血の混じった、どこか蝙蝠的な(もちろん好意的な意味で、わたしはそう言っている。なにせ自身の最新詩集の題名が『かわほりさん』(“かわほり”は蝙蝠の古名)だ)、異国を内に保ちづづけた人物…。その彼の耳が、日本語を聞くとき、そうした幼年を含んでもいたのではないかと語られていたと、何となく記憶していた。
 そう、何となくだ。今のこの文章は、七年前に読んだ本を探してきて、手元に開いているから、はっきりと書けているにすぎない。




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