Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


小骨が黄昏の中で影をのばす。(ヘルンさんへ)2


 ちなみに松江では、ヘルンさんと親しみをこめて呼ばれている。これは松江に来た時、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように 呼ばれることを気に入っていたことから来たらしい。そして日本名である八雲は、「出雲」の枕詞「八雲立つ」から八雲とつけたらしい。あまり丈夫ではなかっ た彼は、出雲の国、松江に永住しようと思っていたのに、健康上の理由で一年八カ月しかいることができなかった。もしかすると、そのことも八雲を日本名にし た理由のひとつなのかもしれない。名前に出雲を感じたかった…。そして、八雲は「ハーン」とも読める。ただ、このことについては、本人には、その意識がな かったと、のちに教え子が文章を寄せているので、偶然だったのかもしれない。けれども、この偶然は、言葉たちがこっそり、彼の名前として、響き合い、呼び 合ったようにも思えるのだった。偶然のなかで、必然のように響き合って。
 どうしてか、話しが飛ぶ…、これはわたしのこのごろの注意力散漫から来 るのかもしれない。ごめんなさい。だが、いいわけがましく、「小泉八雲」という彼の名前もまた、“小泉”は彼の妻の苗字だし、なにかたちがたくさんつまっ た名前だと感じたのかもしれない、と言ってみる。あるいはラフカディオ・ハーンという名前とふたつの名前をもつことに、彼の境界性を感じているのだと。
  この七年前に、『言霊と他界』を読んだ時、わたしの中で、心の喉にひっかかっていた骨は、すこしだけ姿を現した。けれども、まだ小泉八雲自身の書いた書物 を読んでいなかったから、また骨のまま、あらかた記憶に沈んでいったのだった。けれども、その時、いつか読もう…と二冊ばかり本を買っていた。今読んでい る『神々の国の首都』は、その時に買った本のひとつだ。
 そして、とうとう、先日、図書館で見つけた『小泉八雲集』によって、つまり、彼自身の著 書を読むことで、ようやく小骨は、浮き上がってきたのだ。なぜずっとひっかかっていたのか、そのわけがわかったのだった。おおまかにいえば、そこには、 『言霊と他界』で論じられたような、彼の詩的に研ぎ澄まされた耳を如実に示す、八雲自身の美しい言葉があった、そのことで、小骨たちが、名前をもって浮か び上がってきた、ということかもしれない。
 「門付け」(『心』より)の歌う、意味のほとんどわからない歌(声)に感動する自身について、彼はこ う語っている。「おそらくこの歌い手の声のなかに、一民族の経験の総体よりもさらに大きな何ものかに──人類の生命のようにひろい、また善悪の知識のよう に古い何ものかに、うったえることのできる力があったのであろう。」
 そして、そのことから、彼は二十五年前、ロンドンで聞いた見知らぬ一人の少女の「グッドナイト」という言葉…、その声について、忘れられないと、続けて語る。
  「こんなふうに、たった一度しか耳にしない声に魅せられるのは、それがこの世のものではないからである。それは、無数の忘却の淵にある生のものだ。(中 略)愛情から出た言葉には、全人類、幾百億の声に共通するやさしい音色がある。受け継がれた記憶によって、生れたばかりの赤ん坊でも、こうした愛撫の調子 の意味はわかるのである。同情、悲哀、憐憫の調子をわれわれが知っているのも、疑いもなく、遺伝によるものである。だからこそ、極東のこの町の、一人の盲 女の歌が、一西洋人のこころに、個人的存在よりもっと深い感情を(中略)よみがえらせるのであろう。死者は、まったく死ぬことはない。(中略)ごくまれ に、彼らの過去を呼びもどす何ものかの声のこだまによって、目ざめるのである。」
 そう、それは八雲自身の、言葉だった。七年どころか、数十年を経て、わたしははじめて、八雲という小骨の正体の一部を、知らせてくれる言葉(=文章)だった。この耳は、たとえば「草ひばり」という、虫について寄せられた美しい文章でも、顕著だ。
  籠の中で美しく鳴く草ひばり、「もちろん、歌など、教わりはしない。それは、有機的な記憶──夜ごと、露に濡れた丘の草葉のかげから、その魂が声を張り上 げてうたうとき、いく千万もの同胞の、深い、おぼろげな記憶なのである。(中略)したがって、こいつのあくがれは、無意識のうちに、昔にむかっているので ある。これは、過去の朽ちたものにむかって叫んでいる──沈黙と神々とにむかって、過ぎた時のふたたび返ってくることを呼びかけているのである。」
 これらの言葉によって、開かれた心は、彼の明治初期の日本を眺める目、聞く耳の詩的な発見にやさしい驚きを感じるのだった。
 門付け、紙と木でできた家、下駄の音、物売りの声、微笑み、心中、お地蔵さんと地獄絵図…。新鮮な面持ちで、過ぎ去った昔の日本を見つめるわたしがいる。それは彼が描きだしてくれたから、でもある。あるいはもはや失われた世界でもあるから、かもしれないけれど。
  思うに、わたしが彼を小骨としてずっと食い込ませていたのは、相反する二つの理由からだったと思う。ひとつは、彼の異人性にひかれたから。けれどもこれは わたしの驕りというか、島国根性の悪しき典型でもあるのだが、どこかで、日本のことなど彼には判らないだろうという意識があったのだと思う。あるいはジャ ポニズム的なものの見方への偏見…。
 惹かれつつ、どこかで敬遠していた、それが長らく小骨にしたままだったのだと思う。なんという長い年月だったのだろう。相反しながら、けれども、彼は小骨として、存在してくれていた。
 『小泉八雲集』を読んで、思ったのは、彼が異国人、つまり境界をゆくものとして、日本を見て、暮らしたこと。それは日常にありながら非日常をみる、そうした態度にもつうじるのではないか、つまり創作…、日常と文学とのあわいにも言えるのではなかったかということだった。
 もっとも、今回読んでも、やはり「むじな」的な、昔話の類に、興味を持てなかった、ということもあったので、彼の著作に長らく触れなかったのは、そのせいもあったのかもしれない。どちらにせよ、中学生の時に端を発しているのだけれど。
  「むじな」や「雪おんな」は、伝聞をほぼそのまま収録しただけのような形で、八雲自身の言葉が希薄だ。同じく伝聞の要素があるだろう、心中を扱った「赤い 婚礼」(『東の国より』から)には、ほとんど小説を読むように、心をひらいた。そこには彼の創作が、随所にちりばめてあったから。子どもの頃の二人の会 話、そして二人を引き裂く、心中の原因を作った継母の、片手落ちではけっしてない、優れた描写。継母は悪人ではないのだ。長所のめだつ人間なのだ。ただ、 心中する二人と、わかり合うことが決してできないという価値観をもつだけの…(それは決定的ではあったが)。
(続く)




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.