相手が望んでいたウソ
- カテゴリ:日記
- 2014/11/09 17:04:37
フェルメールになれなかった男
フランク・ウイン
ちくま文庫
20世紀最大、と言われた贋作事件を起こした男、ハン・ファン・メーヘレン。
本書はフェルメールの贋作を描き、美術界を欺いた彼の伝記。
1945年5月、ハンはオランダからナチス・ドイツの高官にフェルメール(オランダで活躍した画家)作の絵画を売った罪で、逮捕・起訴される。
実は、ナチス・ドイツの高官に売ったのは、フェルメール作品などではなく、自分が作った贋作。
ここで、ハンは自分が奇妙な立場にいることに気付く。
つまり、贋作だという事を認めれば、「ナチス・ドイツを手玉にとった英雄」になる代わりに、自分の「作品」には何も価値が無い、という事を自ら宣言することになる。
逆に贋作を認めなければ、自分の「作品」が今後も、フェルメール作品として崇め奉られる代わりに、自分は「ナチス・ドイツ協力者」の烙印を押されてしまう。
芸術家としての名声か、自身の名声か。
なかなかキツイ、二者択一。
ハンも数日悩んだそうだが、自分なら数ヶ月経っても悩んだままだろう。
結局、ハンは前者、つまり贋作を認める。
が、ここでも皮肉な状況が生まれる。
ハンが真実を言えば言うほど、それを信じない(信じたくない)人々が強硬に反論するのだ。
「絵の具から○○○が検出されるかのテストをしてみろ」等のアドバイスをハンが与えて、実際、その物質が検出されたりしても。
ハンの裁判は最初こそ騒がれたものの、判決が出る頃は、あまりにもあっけなく済んでしまう。
(3年近く準備期間を設けたり、と長引いたという事情もあるが)
関係者が多く、また地位のある人も多かったため、その人たちが傷つかないように、ガッチリと裁判のストーリーが決められ、そのシナリオに沿って、淡々と進められてしまったのだ。
それは当のハンが拍子抜けしてしまうほど・・・。
ハンの贋作がまかりとおったのは、自身の絵の才能もあるが、もう一つ、大きな要素がある。
フェルメールには、その活動期間に空白の期間があり、フェルメール研究者の誰もが、その期間に描かれた作品があるはずだ、と考えていた。
その空白期間の作品と称して、ハンは贋作を作成した。
つまり、「相手が望んでいたウソをついた」のだ。
専門家が騙された最大の原因は、正にこの点をつかれたからだと思う。
だからこそ、普段なら行うはずのテストをすっ飛ばして、自分が望んでいた結論に飛びついてしまったのだろう。
恐ろしいのは、自分は「大発見」をしたのであって、短絡的な結論に飛びついた自覚がない、という点。
その後は、「あの専門家がお墨付きを与えた」という事実が引用を繰り返すうちに、「揺るぎない真実」になってしまう。
疑いを差し挟む声がないではなかったが、あまりに小さかったため、気付く人は、ほとんどいなかった。
こういう構図、どこかで聞いた事があるような・・・。
トンデモ説を唱える人達も、そうですね。
ただ、トンデモさん達だけでなく、誰もが、その傾向を持っていて、単に「強弱」の違いでしなかい、という気がします。
>七条、姫さん
専門家だからこそ、「自分の説が正しい事が証明された!」と有頂天になって、基本を忘れてしまったのでしょう。
ところで、随分、昔、大英博物館が、自らアヤシイと思っている収集品で展覧会を開いた事がありましたね。
それ以来、やってないところを見ると、やはり企画した人は、内部で叩かれたのでしょうか・・・。
専門家が望んでいた結果に飛びついてしまったという事もあったんですね~
実際、美術館だって購入してしまった後で疑わしいと思う点が出てきても
名誉を守るために本物だと言い張らなくてはいけない、という事も多そうです^^;
・・のではなくて、
自分が信じたい事を、信じたいデータだけに基づいて信じる。
それって、
東北の旧石器時代の遺跡捏造事件、東日流外三郡誌事件、
そして今年の春先を賑わした「STAP細胞」と同じパタンです~。
自分が望んでいる結果を補強する証拠だけ集めて、そうではないケースはおろそかにする、
というのは、ソフトウェアのテストでもありがちなパターンです。
>M.OBrienさん
信じてしまうと、自分が大きなミスをした事を認めなくてはならないので、むしろ「すがりたい」ような気持ちだったのでしょうね。
よく解るような気がします。
自分が有利な方を認めがち、というもの人間ならあることですね
こういう構図、大なり小なり現実でもよくありますね(´・ω・`)
客観的で納得の行く意見ほど、声の大きい人にかき消されてしまうような…