Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


瞬く刹那に住まうこと、一期一会の黄昏色 2


二つの展覧会に出かけてきた。といっても、どちらもあまり展覧会については書くことがない。だが今回みたいな時には、ちょうどいいかもしれない。締切のあいまの短い時間で書くという、あまり頂けない理由もあるのだけれど、書こうとおもっていることは、ささやかだけれど、それでも心にのこったことたちだから。ちょっとした時間…というのが、束の間につながるかもしれないと、思いつつ。
 まずは日本国宝展(東京国立博物館、十月十五日~十二月七日)。少しは付き合いでいった感もある。そして時間的な制約もあり、いつもなら割と時間をかけて廻る常設展にも行けず…。そして色々な関係でわたしの好きな土偶…国宝の土偶たち五体が凡て集結する後期(十一月二十一日~十二月七日)にはゆけなかったことも、書くことがあまりない、といった理由につながる。だが、その国宝の土偶のうち、ともかく二体には出逢えた。 縄文のビーナスと呼ばれる土偶(縄文時代中期、前三〇〇〇年~前二〇〇〇年、長野県茅野市棚畑遺跡出土)と、合掌土偶(縄文時代後期、前二〇〇〇年~前一〇〇〇年、青森県八戸市風張1遺跡出土)だ。実はこの二体も他の三体も、以前、ここで開かれた「国宝・土偶展」(二〇〇九年)で見たことがあったので久々の再会だった。
 ぼってりと丸いお腹と下半身に、優しさというか温もり、温かみが感じられる縄文のビーナスも、なにかしら、柔らかいものが伝わってきて、よかったけれど、合掌土偶。両膝を立て、両腕をその上に置いて、胸の前で組んで合掌している…、見上げるような顔、さらに顔や体のあちこちに見られる装飾的意匠…。祈りの重さが、やはり夕景のようにまじって、うつくしく見えたのだった。刹那たちが重なりあい、土偶そのものが中間領域そのものの体現であるかのような。祈る彼女に出会えただけでも、きて良かったと思った。
 常設にほとんど時間を割くことができなかったけれど、平成館の考古展示室だけは覗いてきた。重要文化財の遮光器土偶(縄文晩期、前一〇〇〇年~前四〇〇年、青森県つがる市木造亀ヶ岡出土)に会えた。ゴーグルをつけた宇宙人みたいな子だ。
 日本国宝展の第一会場と第二会場の間に、ミュージアムショップが特設されている。そこにガチャがあった。国宝展に出品される五種類の土偶が入っている。何が出ても一回だけ…と、まわしてみる。中空土偶(縄文時代後期・前二〇〇〇~前一〇〇〇年、北海道函館市著保内野遺跡出土)が出た。中が空洞になっている立像。顎から足にかけて、やはり土器に共通する複雑な模様がある。この立ち姿も、好きな土偶だったから、良かったと思う。 ミュージアムショップで、ガチャとほぼ同じサイズであろう、そしておそらく八戸で売っているのであろう、ポリエステル樹脂の小さな合掌土偶が売られていたので、買った。ちなみに、以前、やはりここのガチャで手にいれた遮光器土偶もあるので、三体とも近くに置いた。こうして書いている机に置いたので眼の前に見える。
 わたしは本物の力を信じている。そうした意味ではこれらは偽物だろう。けれどもこうして眺めていると、あの本物たちを眼にした瞬間の記憶がよみがえってくる。記憶のよすがになる大切なものたちだ。わたしが展覧会にいったときに買って帰る絵ハガキのように。うちにいる三体の土偶のおみやげたちは、そうして瞬間をあける鍵として、わたしのそばにいてくれている。おそらくいてくれる時間が長くなるにつれ、彼らもまた別の人格を持つだろう。そうしてモノたちは、またわたしの大切な友となるのだった。
(続く)




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