はん幽霊論
- カテゴリ:日記
- 2014/11/29 22:32:26
「超常現象」を本気で科学する
石川幹人
新潮新書
「超常現象」をこれまでの科学では説明のつかない未知の現象、という意味で使えば、科学者が毎日研究している対象そのもの、になる。
ただ、一般的には「幽霊」「超能力」などといったオカルトものと、同一視されるので、「超常現象」と聞いた時の反応は人それぞれでバラバラ。
自分は(一般的な意味での)「超常現象」に対しては、「ちゃんと調べれば、面白い事が分かるのでは?」という気持ちと、オカルト肯定派を茶化したいので否定したい、という気持ちが混ざっている。
著者は「似非科学」に対しては、厳しく撲滅を目指しているが、「超常現象」に関しては、ある/ない、という観点ではなく、人間にとって役に立つかどうか、という観点で見ていった方がいいのでは?と主張している。
そして、その「ある/ない」に関しても、3つの段階に分けて考えている。
「存在」にも段階があるので、分けて考えたほうがいい、というのだ。
それは
「心理的存在」
「社会的存在」
「物理的存在」
の3つ。
「心理的存在」は個人の希望や信念など、個人にとって有効であるもの。
対して、「社会的存在」は文化、制度、法律など、ある集団内が共有しているもの。
そして「物理的存在」は物体、物理法則など、人類に普遍的な存在。
「超常現象」も「社会的存在」になるものであれば、"存在する"とみなしていいのではないか、というのが著者の主張。
超常現象を肯定する本、否定する本は本屋に溢れている。
また、テレビでオカルト肯定派と否定派の人を揃えて、言い争いをさせる、という番組はたまにある。
ただ、どちらの主張も相手に伝わっていない。
テレビ番組に至っては、カブトムシとクワガタにケンカをさせて、周囲で野次馬が囃し立てているのと同じレベルのものを繰り返しているだけ。
そういう中、著者のこの観点は新鮮な感じを受けた。
序章で語っているが、著者は、このようなスタンスを「はん幽霊論」と呼んでいる。
「はん」がひらがなになっているのは、「反・半・汎」の3つの意味があるからだそうだ。
本書の構成もこの3つに別れている。
「反」:非科学的主張には反論する。
「半」:半信半疑で検証する。
「汎」:科学と超常現象の折り合える点を探す。
頑なにオカルトを肯定もしていないし、否定もしていない。
が、自分の主観ではあるが、やや肯定側に傾いている感じも受ける。
まあ、この辺りは微妙なので、読む人によって、感じ方は違うだろう。
個人的には、オカルト肯定派を茶化すネタが増える方向に行って欲しいが・・・。
「神がいる事を証明できるか?」
と聞いた時に、神父に
「両親を愛している事を証明できるか?」
と聞き返されたシーンを思い出しました。
一方的に、相手をやり込めるのでなく、こんな感じで話ができたら面白いですよね。
オカルト肯定側からのお話、否定側としてのお話、どちらも構築が楽しそうです。
へなちょこもの書きでも、いやだからというべきか、結局お客さまが文章をどう受け取るかを
指定はできません。だからこそ面白いというのは、少し偉そうですけれど(^m^*)
こちらは時間が短いので、物足りない感じがします。
あれ おもしろいです。
ちょっとは科学的に検証するので・・・
以前、バチカンのエクソシストの本を読んだのを思い出しました。
エクソシストの中にも「温度差」はあるようで・・・。
>M.OBrienさん
ある/ないの観点だけだと、一歩も進まないですよね。
テレビ的には、「対決」の構図の方がいいかもしれませんが・・・。
テレビ番組に至っては、カブトムシとクワガタにケンカをさせて、
周囲で野次馬が囃し立てているのと同じレベルのものを繰り返しているだけ。』
とても解りやすいです。
私は色々ありまして、色々信じている所があります。
それはそれとして、総じて[オカルト]というモノの立場があったとして、
自分の家の中を無断で覗かれたり、手前勝手に呼ばれたりしたら、
絶対に返事はしないと思うのですよ。
オカルト的存在の心理的、社会的存在を認める・・
という立場ね(↓)。
http://irorio.jp/yasumyg/20140709/147801/
信じる者は救われる~~ということかしら???(苦笑)