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朔旦冬至


朔旦冬至、19年に一度、冬至の新月

 古代中国(殷の時代)において、1年の始まりは冬至だった。太陽が最も短くなる瞬間が1年の終わりであり、同時に、はじまりでもあった、ということ。古い時代には、地面に棒を立て、南中した時の影の長さを計っていたわけであるが、寒くなるにつれて、太陽はだんだんと低くしか昇らなくなっていき、昼の時間は短くなり、日の出の方角も、日の入りの方角も南に寄っていく。そして南中の影はだんだんと長くなってくる。その影が、ほんの少し短くなった日があれば、その日を冬至と定めていたと考えられる。(観象授時暦であったため。古い時代には、月初は新月(朔)ではなく、月が見え始める朏(ひ)が、2日月か3日月であり、その見えはじめをもって新たな月がはじまっていたことと同様。) 
  
 弱まった太陽が再び蘇る冬至こそが、年初にふさわしい時であるとされていたわけである。しかしそのうちに、人々は1年が約365.25日であることを知り、毎年の観測記録から、冬至がいつやってくるのか、がだいたいわかるようになってくる。そして暦が作られるようになる。 
 古代中国では、天子(皇帝)は冬至には、臣下や属国に来年の暦を配った。暦は、天が定めた最高権力者しか作成することができなかったからであり、暦が作られたということは、政治が天文を把握したということでもあった。属国は、貢物を持って、暦を貰いにやってくる。これが冬至使(年貢使)であった。その後冬至は新年ではなくなり、立春が新年のはじまりとなったため、太陰太陽暦では、冬至を含む月は11月となった。が、冬至を暦計算の起点とすることには変わりない。また、日本でも「御暦奏(ごりゃくのそう)」といって、毎年11月1日に陰陽寮が宮廷に翌年の暦を奏進する儀式が行われていた。 
  
 さて、冬至を年初としていた時代のことであるが、太陰太陽暦なので、実際には、冬至の後の朔の日から、新しい年がはじまっていた。年のはじまり、元旦である。しかし、冬至の日が必ず新月になるというわけではない。冬至の日の月齢は、年によりさまざまに変化する。が、19年に1度、冬至の日が新月(朔)となる。これを朔旦冬至(さくたんとうじ)と称する。年のはじまりである冬至が朔と重なる、いかにも区切りがよさそうである。そしてこの区切りのよい朔旦冬至は、19年に一度、訪れる。 
  
 1年365日(閏は366日)の太陽暦と、朔望月の月齢とは、19年に一度、同じとなる。19年に一度太陽暦と月が一致するメトン周期である。つまり、19太陽年は365.242 194日×19=6939.601 686日という長さを持つ。235朔望月は29.530 589日×235=6939.688 415日であり、その時の長さがほぼ等しくなる。しかし、12か月×19年=228か月となるため、235には7カ月足りない。そのため、19年間に7回の閏月を入れることで、19太陽年の長さと等しく調整する方法がとられた。太陰太陽暦における19年間に7回の閏月を入れる、(19年7閏)、これを章法という。 
  
 そして、19年ごとに訪れる朔旦冬至から新たな章がはじまるとした。朔旦冬至は、章のはじまり「章首」でもあった。19年ごとに、冬至に朔が訪れる。これは、天文と暦が一致していることを示す吉兆であり、天文と暦が一致していれば、作物が実り、政治がうまくいくと考えられていたので、朔旦冬至を祝う儀式が行われた。ただし、章法ではなく、破章法を採用している暦法では(19年単位で調整しているわけではないので)、19年7閏とはならず、19年のうちに朔旦冬至が複数回発生してしまうようなこともありうる。 
  
 メトン周期によらない破章法として、玄始暦では600太陽年=7421朔望月、南朝の大明暦では391太陽年=4836朔望月などが用いられた。日本でも儀鳳暦(唐の麟徳暦)以後は破章法が導入された。それにより、冬至が旧11月2日になってからやってくるようなことも起こり、その場合には、冬至の前に大の月を1つ増やして11月2日を11月1日に修正するような改暦が行われている。日本では承平6年(936年)には、冬至が旧10月30日にやってきてしまい、「暦家の失」と非難され、不吉とされたことは歴史的に有名な事実である。 
  
 また、章首以外の旧11月1日が冬至になってしまうことを「臨時朔旦冬至」と称するが、これもまた不吉であるとして、改暦して1日にならないようにしていた。ただし、朝廷儀礼の衰退に伴い、応仁2年(1468年)以降は、章首を朔旦冬至とする改暦は、行われなくなった。それどころか、戦国時代の弘治元年(1555年)には、儀式を行うには財政難であるとして、朔旦冬至を回避したということである。 
  
 今回の冬至は2014年12月22日08:04(JST)である。そして22日10:37(JST)が朔となる。だから、日本においては(また、台北においても、北京においても)、朔旦冬至となる。 
  
 が、GMTでは冬至は2014年12月21日23:04(GMT)であり、そして朔は12月22日01:37(GMT)であるので、厳密には朔の同日に冬至があるわけではなく、旧10月晦日に冬至がやってきてしまうケースとなる。が、このような場合、(歴史的には)朔の日付を調整するなどして朔旦冬至とする操作を行うケースに当たっている。 
  
 なお、前回の朔旦冬至は、1995年、19年前に起こっている。その時、冬至は12月22日8:17(GMT)であり、朔は12月22日2:22であり、占星射手座宮の終わりに月がある朔であったが、同日に冬至と朔があればよく、朔と冬至のどちらが先になるかなどの順序については問題とはならない。 

占術研究家 秋月さやか

冬至に太陽が沈む方角を向いているというストーンヘンジ

古来、冬至は極限まで弱まった太陽が復活する日、すなわち「復活の日」とされてきました。太陽と月の復活の日が重なる朔旦冬至は、非常におめでたい日だとされ、古来朝廷では盛大な祝宴を催したといわれています。

冬至と太陽の知る人ぞ知る関係

 

1日の長さがもっとも短い冬至ですが、日の出がもっとも遅く、日の入りがもっとも早いかというと、そうではありません。

実は、地軸の傾きや、地球の公転軌道が楕円であることから、日の出がもっとも遅いのは冬至の半月ほどあとになり、日の入りがもっとも早いのは冬至の半月ほど前になるのです。

もうひとつ、冬至の時期は寒いので、太陽が遠くにあるように感じます。しかし、実は夏よりも太陽と地球との距離は短いということをご存知でしょうか。

地球の公転軌道は楕円なので、太陽と地球との距離は年間を通じて変化します。太陽が地球に最も近づく「近日点」は、1月上旬です。

冬が寒いのは、太陽との距離ではなく、太陽と地面が成す角度が小さいから。
懐中電灯を真上から照らすよりも、斜めから照らした方が、照らされた面は暗くなります。
これと同じ原理で、太陽と地面が成す角度が小さいと、地面は太陽からのエネルギーを少ししか受け取れなくなり、気温も上がらないのです。

 

 


 

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2014/12/23 11:12
派手に盛ってますね~^。^
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2014/12/23 04:04
朔日冬至 全然知りませんでした✿ そして… 知らないうちに終わってました…

ここで知りましたからww.゚σ(´_`):;* ポリ  なんだかもったいなかったです(>ω<)
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2014/12/22 20:49
新月の願いもパワーアップしてくれるかな~w
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2014/12/22 20:19
今晩は2%の新月だから、まったく見えないといっても良いお月さんですね^^
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2014/12/22 20:12
さくたん(*´∀`*)
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2014/12/22 17:51
かぼちゃを炊きました^^
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2014/12/22 09:16
朔日冬至ってそういう意味だったんですねー
しらなかったです。
勉強になります
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2014/12/22 09:06
月は新月から始まり29.5日を費やして満ち欠けをします。暦がまだ確立しない古えの頃は、月の満ち欠けを頼りに日読みをしたとされています。一方、太陽の運行からも日読みをしていました。棒の影の長さを測るという単純な方法で、一番影の長くなる日は、比較的誰にでもわかりやすい目安だったからなのかもしれません。その一番影が長くなる日は「冬至」と呼ばれるようになり、北半球の多くの地域では一年の始まりの日として、そして太陽が再び復活する日として大切にされてきました。
その太陽が復活する冬至と、月の復活である朔日が重なる特別な日が「朔旦冬至」なのです。


朔旦冬至が祝われた理由
古代中国では王朝が成立するたびに、その国の暦を決めていました。前漢武帝以前は、一年の始まりは征服王朝により違っていたのです。例えば、殷では一二月を正月としていましたし、周は十一月、秦は十月にするといった具合です。その後、漢の武帝の時代からは一月を正月と定めたのですが、これらはすべて、旧暦でのお話です。
古代中国では、太陽の作る影の長さや一日の長さなどに規則性があることを気づいてはいましたが、その正確性は長年の研究と測定によりなされていきました。王が立つたびに暦が編纂されることから、正確な暦であればあるほど、その王の政治が素晴らしいものである証となったのです。王権は暦と共にあったわけですね。
ですから、19年に一度の朔旦冬至が予測通りに訪れるということは、素晴らしい暦を持った王が正しく政(まつりごと)を行っているという証拠になりました。そして、朔旦冬至を祝って宮中では宴が設けられ盛大にお祝いをしたのだそう。



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