Nicotto Town


すずき はなこ


むかし、むかし、あるところに。

滅多に書きませんが、昨日からの続きで、
少し昔の音楽シーンの話をしましょう。

わたしには、忘れられないバンドがあります。
そのバンドは、当初、全然売れず、
グラッフィックデザイン部門だったわたしが、
ロードマネージャー(ツアーの間だけつく臨時のマネージャー)をやり、
仕事の合間をぬっては、
バンドの成長を見守っていました。

みんな、貧しかったけど音楽だけは大好きでした。

わたしはその後すぐ、デザイン部門に戻りましたので、
直接マネージメントはしていませんでしたが、
バンドのメンバーたちとは、よく会っていました。

事務所の意向で、
ボーカルを、女性に変えると突然通告され、
まあ、実力のある女性だったので、
もともといた男性ボーカリストは、無言でバンドを去り、
そのバンドはブームに乗り、売れ出しました。

ところが、人気というのは、
本人たちが思っているよりシビアなもので、
「もっと売れる!」という錯覚のまま下降線をたどりだすのです。
そんなもんです。
世渡りの上手かったギタリストは、
さっさとラジオのパーソナリティの仕事を得、
女性ボーカリストは、ソロに変わり、
バンドは事実上、解散したようなものでした。

それからしばらくしてからです。

年長者だったドラムスが、病気で亡くなり、
奥さんと子供たちが、ひっそりと葬儀を出されました。
その後を追うように、
もう一人のメンバーが、
大阪の淀川に身を投げたのです。

手に、ヤマハの請求書を握りしめて。
楽器のローン返済に困っていたようでした。

あんなに楽しいバンドだったのに、
悲惨な最期になりました。

音楽で飯を食うなんてことは、
本当に大変なことです。
わたしは、このバンドに限らず、
悲惨な最期を迎えた人たちを、他にもたくさん知っています。
成功するのは、ほんの一握り、
成功しても、すぐ忘れられるのがこの世界です。
そして、テングになり、
人格を崩壊させる人も良く出てきます。
魔物が、うようよいる世界です。

わたしが初めてロードをしたバンド、
今は、誰の記憶にもないことでしょう。
風を追いかけるように、
風を追い駆けて、虚しく去って行きました。
いまでも、ときどき、
あのバンドの、へたくそな音楽が思い起こされるのです。

風を追うヒュ~ヒュ~という虚しい音を聞くときに。

アバター
2015/04/08 18:10
華やかに見える世界ほど、ドロドロしてる部分が多く隠されているのかもしれませんね・・・
私は、庶民でいいですww
アバター
2015/04/07 23:35
どこに幸せを見つけるかですね。
お金、名声、安らぎ要因はいろいろありますもんね。
アバター
2015/04/07 08:30
どの道を進んでも大変だと思います。
それなら「好きな道」を進めという方針で
子育てをしました。カテキョという仕事をしておりましたので
好きな道を親から断念させられて、結局は学校も行かなくなった
というケースをあまりにも目にしたり耳にしたりしてきたもので・・・(^_^;)
まあ人生というのはそれぞれ乗り越えていく試練がありますし
どんな道も楽じゃないはず。ただ夢と希望は常にもって
いけたらいいですよねー♪
アバター
2015/04/06 18:16
人生ってなんだろう?
有名無名に何の意味があるのだろう?
生きていけるだけでもひょっとしたら奇跡なのに・・・?
無名でも好きな音楽ができて
笑って生きられるだけで幸せなのに・・・?
アバター
2015/04/06 17:59
私の従兄も実はメジャーデビューしていますが、全国区では
中々・・・・、バンド好きの若い子には一応名前は知られていますが
それと売れ行きは別物。

まあ地元のラジオに出たりして、一軒家も立てたのでそれなりに
食えているみたいですが・・・。



カテゴリ

>>カテゴリ一覧を開く

月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.