むかし、むかし、あるところに。
- カテゴリ:人生
- 2015/04/06 15:37:30
滅多に書きませんが、昨日からの続きで、
少し昔の音楽シーンの話をしましょう。
わたしには、忘れられないバンドがあります。
そのバンドは、当初、全然売れず、
グラッフィックデザイン部門だったわたしが、
ロードマネージャー(ツアーの間だけつく臨時のマネージャー)をやり、
仕事の合間をぬっては、
バンドの成長を見守っていました。
みんな、貧しかったけど音楽だけは大好きでした。
わたしはその後すぐ、デザイン部門に戻りましたので、
直接マネージメントはしていませんでしたが、
バンドのメンバーたちとは、よく会っていました。
事務所の意向で、
ボーカルを、女性に変えると突然通告され、
まあ、実力のある女性だったので、
もともといた男性ボーカリストは、無言でバンドを去り、
そのバンドはブームに乗り、売れ出しました。
ところが、人気というのは、
本人たちが思っているよりシビアなもので、
「もっと売れる!」という錯覚のまま下降線をたどりだすのです。
そんなもんです。
世渡りの上手かったギタリストは、
さっさとラジオのパーソナリティの仕事を得、
女性ボーカリストは、ソロに変わり、
バンドは事実上、解散したようなものでした。
それからしばらくしてからです。
年長者だったドラムスが、病気で亡くなり、
奥さんと子供たちが、ひっそりと葬儀を出されました。
その後を追うように、
もう一人のメンバーが、
大阪の淀川に身を投げたのです。
手に、ヤマハの請求書を握りしめて。
楽器のローン返済に困っていたようでした。
あんなに楽しいバンドだったのに、
悲惨な最期になりました。
音楽で飯を食うなんてことは、
本当に大変なことです。
わたしは、このバンドに限らず、
悲惨な最期を迎えた人たちを、他にもたくさん知っています。
成功するのは、ほんの一握り、
成功しても、すぐ忘れられるのがこの世界です。
そして、テングになり、
人格を崩壊させる人も良く出てきます。
魔物が、うようよいる世界です。
わたしが初めてロードをしたバンド、
今は、誰の記憶にもないことでしょう。
風を追いかけるように、
風を追い駆けて、虚しく去って行きました。
いまでも、ときどき、
あのバンドの、へたくそな音楽が思い起こされるのです。
風を追うヒュ~ヒュ~という虚しい音を聞くときに。
私は、庶民でいいですww
お金、名声、安らぎ要因はいろいろありますもんね。
それなら「好きな道」を進めという方針で
子育てをしました。カテキョという仕事をしておりましたので
好きな道を親から断念させられて、結局は学校も行かなくなった
というケースをあまりにも目にしたり耳にしたりしてきたもので・・・(^_^;)
まあ人生というのはそれぞれ乗り越えていく試練がありますし
どんな道も楽じゃないはず。ただ夢と希望は常にもって
いけたらいいですよねー♪
有名無名に何の意味があるのだろう?
生きていけるだけでもひょっとしたら奇跡なのに・・・?
無名でも好きな音楽ができて
笑って生きられるだけで幸せなのに・・・?
中々・・・・、バンド好きの若い子には一応名前は知られていますが
それと売れ行きは別物。
まあ地元のラジオに出たりして、一軒家も立てたのでそれなりに
食えているみたいですが・・・。