ネパールのこと
- カテゴリ:ニュース
- 2015/04/29 06:25:19
仕事を始めてうれしい、大変だ、緊張する、と仕事中はてんやわんやだが、家に帰ってくると子供に目をかけつつも心をしめるのはネパール地震だ。
首都カトマンドゥ、ダルバール広場、タメル地区、何度も通った地域、初めて行ってからもう20年も経っているのに、ついこの間までほとんど景観が変わっていないのをテレビや写真で確認しては「いつかまた行こう」と心に誓っていた場所だ。
当時から「ここは地震が来たらひとたまりもないな」と旅行者同士で話していた。
石造りの建物も多かったし、コンクリートで固められていても、そのなかに鉄筋なんてほとんど入っていないのだ。
タメル地区のホテルはどこもエレベーターなんかないから、5階とか6階の部屋になると大変だった。
毎日停電の時間があったから、かもしれないし、もしかしたらエレベーターが入れられるだけの強度がないのかもしれないね、なんて思っていた。
首都直撃とはどれだけのことだろうか。
死者の多さ。最初はそれだけが心配だった。
今はネパールという国自体を憂いている・
なんと言っても、隣国は中国とインドだ。
この国の立場は、昔のチベットととても似ている。
貧しく、観光だけで細々と生きていて、周りの国は「ぱくっと食べられるけど、そうするとあっちの大国がうるさそうだし、ま、いいか」くらいに思っていたはずだ。
昔、中国領のチベットから数人でランドクルーザーをチャーターしてネパール国境まで行ったことがある。
そこからは乗り合いバスがあるから心配はない。
私が言いたいのは、併合するなんて屁のカッパだってことだ。
しかも領海のように武器すら必要ない。
「お困りでしょう、私たちが手伝ってあげますよ。建物でも道路でも作ってあげましょう、そして私たちが住んじゃいましょう。政治も行ってあげましょう。勝手に開発してあげましょう。」
ネパールとチベットの間にはかなりの国境警備隊がいた。
チベット人は、ネパールに亡命すれば自由になれる。
中国ではほんのちょっとダライ・ラマの話をしたら、即強制労働だから、今でも亡命を企てる人は多いはずだ。
チベットはこの20年で胸が痛むほど蹂躙されてしまった。
今のネパールの体の痛みを悲しんでいる。
どうか、この先のネパールが心まで蹂躙されないことを切に願う。
私に出来ることが、何かないだろうか。
先日、京都へ行ったとき、東寺で写経をしてきました。
家族の健康や長寿を願うとともに、東日本大震災や今回のネパール地震の被災者のことに
思いを馳せながら、写経しました。
今すぐに何かができるわけではありませんが、いつも彼らの心に寄り添う気持ちを
持ち続けたいと思いました。
去年HISの旅行権が当たった時、マレーシアでなく、本当はネパールに行きたかったのに、「今はマオイストのお陰でガイド必須だから、予算がな・・・」と思った頃の私はのんきすぎました。
人生に同じ瞬間はないというのに。
山岳バス、チベット国境からカトマンドゥまで乗りましたが、雨季のため何箇所も道路が分断されていて、崖の中腹の幅10センチの道を崖肌にしがみつくように通らないといけなかったりして本当に怖かったです。
10メートルくらい下を速い流れの川があり、落っこちたら命はないよね、というところ、親切なネパール人がバックパックを持ってくれ、ほかの方が途中から手を引いてくださり。
地盤がゆるく、毎年雨季になるとどこかがだめになるのだと、上のほうはトラックをバス代わりにしていましたが、今も同じなんですね。