Nicotto Town


すずき はなこ


細腕繁盛記「プルメリアの花は白い・・・」

2004年から4年間、
いい歳をして、アメリカはHawaii州で学生をしていました。
「Hawaiiに留学!」と聞いて、
勝手な想像をしてはいけませんよ!
常夏のHawaiiどころか、
朝の8時から夜9時半まで、びっしり授業がある殺人的な学校でしたから。

土日はボランティアで、日系移民の方たちを訪問し、
旅行中にトラブルに見舞われた日本人観光客の通訳をしていました。
州立の学校だったので、授業料は無料でしたが、
Hawaiiでは、ワーキングビザではないので、
就労はできません。
ここまでド貧民か!というような貧乏学生でした。

そんな生活でしたが、
Hawaiiで学んだことはたくさんあります。

まず。
さすがHawaii。
わたしは貧乏でも、世界中から多くのお金持ちの人たちが、
観光でやってくる小さな島です。
(Hawaii島は,bigislandですがね)

世界中の超一流のレストラン、ホテルがありました。

それらの飲食店の特徴や、
何が人を魅了するのか、
店のイメージ、レイアウト、戦術、
目まぐるしく変わる流行・・
それらを、通学の行きかえり、ボランティア活動のさなか、
ずーっと見続けてきました。

日本へ帰ったら、こういう飲食業ができるなあとか、
これは、日本にはなかったなあとか、
いまでいうエッグスンシングス(パンケーキ)ブームなんて、
ちゃんちゃら可笑しいアイデアがいっぱいできました。

話しは突然ショートカットしますが、
日本には、どうしても取り壊したい家が1件あったのです。
それは、前夫と最後に暮らしていた家でしたが、
離婚してからというもの、
この家だけは、どうしてもこの世に存在させたくなかったのです。
すみません。
かってな言い分ですが。
もう、この思い出を処分したかったのです。

ところが周囲が反対する。
まあね。
輸入建築で当時1億6800万の洋館でしたから。
もう、壊すな、もったいない、そんなことばかり言われて、
自分の所有なのにちっとも自由になりませんでした。
そっかー、
壊すなと言うなら、考えがあるとばかりに、
わたしはその洋館を、もっと高級路線のインテリアにかえて、
バイキング形式のレストランに変えました。

シャンデリアは、イタリア製の手工芸、それを2基、
壁面にはメインシャンデリアとお揃いの間接照明。
高級家具の腰板を使った壁。
床は金モールでフレームを取って大理石です。

そのころ女ひとりで生きていくのに、
不動産会社を立ち上げたばかりでしたから、
改装費はぜーんぶ会社の経費、
新規事業と言うことで、大型レストランをいきなり開業したのです。
飲食店なんて、走り出したらイメージ戦略ですから、
そりゃあ、(自分で言うのもなんですが)
イメージ作るのなんて、簡単ですよ、
人が望むイメージを、くり広げればいいんですもの。
1億6800万の洋館が、突然レストラン!
大々的な工事、搬入されるテーブル、椅子は全部外国製、
食器はノリタケ。
しかも、オーナーシェフは食材の買い付けに、
週3回ベンツで神戸まで行く!
一番大きな黒のベンツに野菜がドーン!肉がドーン!
オーナーシェフは、いつもクックコート(コックさんの服)に、
真っ赤のタイ(オーナーシェフのトレードマーク)
黒のスリムパンツです。

話題にならないわけがありません。
すぐに雑誌の取材が入り、
有名観光ガイドブックにも名を連ねました。

料理はどうかって?
おまかせください。
日本料理以外なら、インドの宮廷料理から、
アフリカ、メキシコ、イタリアン、中華も北京ダック程度なら、
フランス料理もコースでお作りいたします。
素人ですけどね。
もちろん素人ですが、
世界は一周してきていますし、
Hawaiiには、それらすべてのレストランがあったんです。
それを学校へ通いながら、4年間見てきていました。

くわえてバックアップに、
某有名ホテル出身のコックを2名雇い入れました。

さてさて、突然、降ってわいたこのレストラン・・・



つづきは、あした。
GWで、仕事がきつくて・・・
今日は、もう寝ます。




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2015/05/02 11:42
レン姫さま、こんにちは。

商才?ないない!
今思えば、「道楽!」と言われても仕方がないです。
飲食店に、手を出すものではない!ということだけは、
骨身にしみて、理解できました!
コリゴリ~~~~。
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2015/05/02 11:05
帰宅して初めてみました。
1億6800万の洋館をレストランにする発想がすごい!
でも、壊せない、売れないとなったら
はなこさんのようにするしかないのでしょうね。
私は商才はありませんが、
はなこさんにはきっと商業の神様がついているのでしょう。
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2015/04/30 18:29
大喜さん、ありがとうございます。

この4年は、わたしを大きく変えました。
今でも、ときどき学校の教科書をめくっては、
当時の書き込みに、胸が熱くなります。
当時の担任の先生とは、今でもつながっていますが、
彼女は、わたしの人生の師匠ともいえる存在になりました。
あの4年は、わたしの財産になったと思います。
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2015/04/30 18:17
「黙然師容(もくねんしよう)」という言葉があります
「武術を学ぶには優れた武術家の優れた動作を見なければならん
それが自分の頭の中に残り、基準となるからだ」と学びました
はなこさんは、まさしくそういう秘訣を体得なさっているようです

考古学の先生に本物を見る目はどう養われるのか?
と質問したところ、本物に常に接することだ!と言われました
その先生のポケットには、本物の古代の陶器のかけらやコインがいつも入っていて
暇があれば触って見ていました

人は年代によって風格が異なるといいますが、
Hawaii時代のはなこさんは若くてスポンジのように吸収力があって
チャレンジャーだったのですね!
脱藩して黒船に乗ろうとするような
「若者よ!狂いたまえ!そして行動しろ!!」と言った
吉田松陰の若い頃とダブります
(笑)
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2015/04/30 08:21
Mt.かめさん、ちがうんだって。
そんなに褒められること、なーんにもないんです。
Hawaiiに行ったのも、日本にいることが辛かったからで、
単なる逃亡者です。
逃亡してるだけじゃつまらないんで、入学試験を受けて学校へ行ってたんです(タダだし)
日本で、泣いているだけなら、
アメリカで苦労しているほうが、まだ楽だったから。
しかし、いま思い返しても、
あの苦労は、日本ではなかったなあ。
全授業、当たり前だけど英語でしょ、
それにレポート、試験もみんな英語。
試験なんてね、一人1台PCがあてがわれて、
パソコンで実力テストやらされるんですよ。

成績おとしたら?
もちろんクラス降格です。(落第)
担任の先生が、
「はなこ、ここはHawaiiだぞ」(Hawaiiで遊ばないでどうする?の意)と言いました。
たしかに、わたしはダイアモンドヘッドの崖っぷちに立っているような人生でした。
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2015/04/30 08:07
すごいなぁ。
やっぱり只者じゃないですねぇ・・・
そういう行動力をみならいたいです(*^_^*)
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2015/04/30 06:21
泪珠さんこそが、リッチなHawaiian lifeです。

わたしなんか、家賃払ったらスッカラカンでしたから。
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2015/04/30 06:20
まぎまぎちゃん、おはようございます。

はて?
なぜこれで「高貴な生れ」と?
ド貧民学生生活だったってば。
遠洋マグロ漁港で、マグロの背骨のぶつ切りを5ドルで買ってきて、
中落ち、ユッケ、最後は骨スープにして1週間食べていました。
ランチはセロリでしたよ。

ボランティアで観光ガイドやるときだけ、
お客様に食事を御馳走してもらえるんです。
注文も英語だしね。
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2015/04/30 04:02
ハワイはごった煮のハッチポッチですよね~

私はそんなびっちりスケジュール組まない、怠け者ステイでした~
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2015/04/29 23:14
うぉーっ!はなちゃんって高貴なお生まれ?
世界が違う、一般ピーポーとは違うよ。

この差はなんなんでしょうか。庶民すぎる私・・・。貧困すぎる発想力・・・。

つづきを楽しみにしています。お疲れ様です。おやすみなさい。



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