いままでのこと、これからさきのこと、
- カテゴリ:日記
- 2015/08/09 09:33:18
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
今日は、故郷 長崎へプルトニュウム型原子爆弾が落ちた日です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長崎市への原子爆弾投下
今年は2015年、実に70年経ってなお、
広島、長崎の原爆以上に強力な兵器が、
複数の国に保有されていて、使われるのを待っている状態です。
兵器として行使されたのは、広島、長崎だけ、でも、
実験と称して使われた数は2,000を超えるそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/核実験の一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/広島市への原子爆弾投下
平和利用されている、原子力発電所は、日本だけでも
稼働/休止:44、廃止/解体:15
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の原子力発電所
運用自体は問題無いでしょうけれど、
某IS等のテロの対象になった場合や、大規模な地震・津波の際には、
どういう結果がもたらされるのか…対策は現在進行形でなされているの
でしょうけれど、そこにある放射性物質の量は、原子爆弾の比では無いとだけ、
発電所は、
熱量を少しづつ、長い時間を掛けて取り出せる様に、
核反応の連鎖反応を遅くする工夫がされている。
放射線を閉じ込める物質で多重に囲んでいる。
爆弾は、
核連鎖反応を瞬時に最大の反応をさせて、暴走させる。
両方を同じ様に危険だとは言わないけれど、
どんな危険があるのかは、過去の原発事故の事例を見たら判るでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スリーマイル島原子力発電所事故
https://ja.wikipedia.org/wiki/チェルノブイリ原子力発電所事故
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:原子力発電所事故
真核生物(←ここで言う核とは、遺伝子を格納した部位のこと、)
にとっては、放射線は細胞機能を損なう危険なものである、
の、ですが、原初の地球上にあっては、地上の岩石の含む放射能、
宇宙から降り注ぐ宇宙線、最も身近な恒星、太陽から吹いて来る
太陽風などに壊されつつも、自己修復と進化を繰り返して来たことを思うと、
単純に遠ざけてしまうだけで良いとは思えません。
人類としての身内との争いを無くして、
安全に使える様になれればと思ってしまいます。
はたして、生物としての人類が続く間にそういう境地に立てるのでしょうか。
犠牲者を悼み、平和への祈りを捧げる時間です。
反物質星→人工ブラックホール→超空間航法
という流れで、人類が宇宙へと拡散していく。
確立してしまった技術を手放すことは難しい。
消し去ることはできないだろう。
とすれば、次に行うべきなのはたしかに、
さらに先へ、安全へと進んでいくことかもしれない。
ただ、放射能は「火」と違い、目で見ることができない。
見えないものに立ち向かうということは、
とてつもなく難しいだろうね。
原発による電気を少しでも使わなくしたいと、
借金して乗せたうちの「発電所」も、もうじき10年。
昨日の朝5時過ぎ、カチッと音をたてて発電しはじめた
まさにその場に初めて居合わせました。
ひとつの方針を決め、
それに沿った計画を立てるのは不可能ではないはず。
しかし、それが安易にできないことこそが「民主主義」だと、
今、目の当たりにしている気がします。
遠くを見つめれば、足元が見えず。
しかし、逆もまた然り。
政治と無関係に生きられる人間って、
やっぱり誰もいないんだなあ。
いい文章だなぁ。
のどが変で、ずーっと風邪っぽいんですが
時々セキが出る・・・
やばい気がする
今かなり本気で九州か奈良・・・・・へひっこそうかと考えていますが
家族を説得できそうもないです
同じ理由で福島の子供のいる家庭も動けないようです
もうそろそろ本州は紀伊半島以外まずいことになってきてる感じなんですが
何しろ政府が隠してるというか、計測すらしていない
福島第一30キロ圏内以外はほとんど放りっぱなしです
東北関東はほぼ見捨てられている状態ですかね
これで本気でオリンピックとかする気なんでしょうか
グリンピースも鯨のことばかり言ってないで、放射線量でも測りに来いよと思っているのは
私だけではないと思います
兵器としてのものは、廃絶を願っています。
私たち、人類として過ちを繰り返すことなく、進んでいけますように...。
「大いなる力を手にした者には、大いなる責任が伴う」
ということですね。
未来の原子力エネルギーは、放射線防護の難しい現行の原子炉ではなくて、
核融合型の原子炉、あるいはトリウム溶融塩型の原子炉(↓)に期待しましょう。。。
http://wired.jp/2012/05/03/thorium/
人類にとって原子力はまだ早すぎた、なんていう人も居ますが
そうしたテクノロジーを上手く扱えるようになる事も、人類の進化にとって必要な事なのでしょう。
技術的にも、精神的にも。
二度と同じ過ちを繰り返さないように祈るばかりです。
その手法には使う人の心が現れるのでしょうか・・・
二度と悲劇は繰り返されないのを願い犠牲者に黙祷を捧げます。