みんな貧乏が、悪いんや。
- カテゴリ:仕事
- 2015/09/03 11:05:55
「なにはともあれ、金がないのは首が無いのも同じ」
嫌な言葉ですが、小さいころから商人のオヤジ様に、耳タコで言われ続けた言葉です。
ここ3つ、続いているブログネタですが、
根底は貧しい漁村の、「妬み嫉み恨み」(ねたみそねみうらみ)の3大「み」、
これは、悲しいかな「金がないのは」に続く、積年の恨みだったのかもしれません。
わたし個人は、父親が民生委員を務めていたこともあって、
「貧乏」がどういうことかは、それなりに学びながら育ちました。
同級生の男の子が、夜、兄弟を引き連れて家にいたことがあり、
親に、どうしたのかと聞くと、
「今、彼の家で差し押さえをやっている、そんな場面を子供に見せてはいけない」と、
オヤジが勝手に子供たちを引き連れてきたのでした。
同級生の男の子は、申し訳なさそうな顔で、縮こまっていましたが、
「はなこ、あそんでやれ」って、オヤジ、無理を言うな。
こんな夜遅くから、なにをして遊べというのじゃと思いました。
そして、しみじみとオヤジがわたしに言った言葉、
「あの男の子には、関係がない。あの親が悪いんじゃ。
あの子の家が生活保護なのも、今晩差し押さえがあったことも、
絶対に、学校では言ってはならん。」と、口止めしました。
金策に困り果て、首つりをした人の足元でうずくまっていた飼い犬。
アル中で、小学生の娘を追いかけまわし、団地の最上階から落ちて死んだ男。
貧困の果てに、行きついた末路を語るのに、
民生委員のオヤジを持った環境ほど、最適なものはないでしょう。
そんなオヤジがいつも言っていた言葉、
「金がないのは、首がないのも同じ」
首がない・・・人間として的確な判断ができない(目がない、アタマがない)
首がない・・・まともな発言もできない(口がない)
首がない・・・生きているとはみなされない
お金がないというのは、そういうことなんだと教えられました。
(もちろん、まっとうな反抗期には、金がすべてではない!とレジスタンスしていましたがね)
話しは戻って、
車両通行禁止のこの峠道に、鈴ちゃん一家が閉じ込められた経緯、
実は、これもこの「お金がらみの妬み」からです。
鈴ちゃんのお父さん、(先代と敬意を込めて呼んでいます)
先代は、とても商才に長けた人で、
この先代の「金儲け」話は、もはや伝説の域に達しています。
一日で、大型クーラーボックスに土まみれ埃まみれの札束を詰めたとか、
オンナを口説くのに、その女性の家の窓へ鰤(ブリ)一匹投げ込んだとか
(先代は漁師でした)
当時、一代で今の鈴ちゃんちの基礎を盤石なものにした豪傑です。
近隣の貧しい漁村では、さぞかし「うまくやったヤツ」と、妬まれもしたことでしょう。
ほんとうは、株で大儲けをしただけなのですがね。
そんな先代も、病気には勝てず、とうとう病の床に就いた頃、
鈴ちゃんが都会からSEの仕事を辞めて、親の介護のために帰って来たのです。
もともとコンピューターの仕事が専門ですから、
村の内情も、先代の漁師の仕事も分かるわけがなく、
あれよ、あれよという間に、
県の土地開発の勢い、旧道の閉鎖問題に巻き込まれ、
気がついたら閉鎖された県道に、取り残されていたというわけです。
日頃、面白く思っていなかった村の自治会に、しっかり村八分にされたのです。
冒頭の「金がないのは首がないのも同じ」、逆説もまた然り。
首がある・・・飯を食う口、本を読む目とアタマを維持できるというのは、
(ごめんなさい、横柄な言い方にも聞こえますが)金があるからできることです。
妬み嫉みの村八分を受けても、「ぼ~」としてやってこれたのは、
なによりも、これよりも、先代が築き上げた財産のおかげだと思っています。
鈴ちゃんは、先代が残した駐車場管理をしながら、
先代を見送り、お母さんの面倒を看ていました。
そこへっわたしが、会社を持って降って湧いたのです。
ここへ嫁いだ当初、
「田舎のムラ社会というのは、こんなものか」と村八分のことも気にならず、
居宅のある隣村の区長さんには、えらく気に入られ、
1から10まで、手とり足とり隣村での人間関係を教えてもらい、
この隣村の区長の後ろ盾があるので、いっぱしの口がきけるようになりました。
(それもこれも,曲がりなりにも会社を経営し、金があったからできたことです)
わたしは、鈴ちゃんのお父さん(先代)にお会いすることは叶いませんでしたが、
何年か前に、鈴ちゃんが、
「はなちゃんは、おやっさんが連れてきた」と言っていたのを思い出します。
「そんなことあるかいっ!自分で来たんじゃ!」と言っていましたが、
ここで起きる事件事故の数々を見ていますと、
あながち、間違っていないのかもと思う今日この頃です。
「金がないのは、首がないのも同じ」好きになれない言葉ですが、
「金がすべてじゃない!」も、青臭い言葉です。
貧乏の苦労は、周りとのギャップが生じたときに,とても辛いものです。
昭和30年代、高度成長の直前のころ、
回りはみんな、貧乏でした。
貧乏は、当たり前。
だから高度成長へ一丸となれたのではないでしょうか。
この貧しい漁村も、みんな貧乏だったら平和だったかも知れません。
まあ、でも、そんなこと、あり得ませんから。
民主主義の経済成長というのは、こういう副産物も付いてくるのでしょう。
「どうぞ、わたしを貧しくも金持ちにもしないでください」
誰かの祈りに、こういうのがあったなあ~。
道具に操られるような死に方は嫌だなあ とは思う。
それでも生きて学んで人付き合いするのに
エライお金がかかるご時世で困ったもんだわ。
幸い家族がそこそこ健康だし、
先祖代々の地に居るので
いろいろ削られながらも、なんとかしのいでいるけれど。
うちの死んだ親父は
「金儲けか死に病か」
が、口癖でした
それと
「家は金を生まん」
で家には金をかけませんでした
「家は金は生まないけど、幸せを生む」
と母などは申しますが
結局、親父は破産して、葬式代も残さずに
保険金もなしで、借金だけ残して死にました
逃げてきた一家が
子どもが小学校に上るときに、そのころは個人情報保護法もありませんでしたから
バレて、や印に追い込まれ、一家心中したのが私の小学校の時、同級生でした
金が全てではない!だけど、他人の命よりも金を上とする人間界
真面目にやっても一家心中とは・・・・・せめて子どもだけは道連れにして欲しくなかった
けど、こういう話はゴマンとあるのです
チャップリンじゃないけど、サムマネーは必要です
が、人の命よりも金が大事という社会は間違っていると思います
私も、祈ります
「どうぞ、わたしを貧しくも金持ちにもしないでください」
あれも、金がないのは首がない、で
計画なしなんですよね・・・
私の実家のそばの幼馴染がそうです。
16で彼女が子供産んで、そのままポコポコ。
私がスーツ着て、ハイヒール履いて、バリバリ仕事して、遊んでいる時に、
彼女は普段着が毛玉だらけのスウェットで、化粧もしたことない状態。
それも幸せなのかもしれないとは思いますが、バカガキ増やすな!
ほどほども難しい。
上を見ればキリはないですが、こどもに貧困のツケを押し付けたい親は居ないと信じたいし、必死で、そうあるべきだと思うのです。でも、現実は・・・。空腹で学校の授業に支障をきたしてしまったり、給食費を滞納したり・・。
弱者って、その鬱屈した怒りや哀しみを糧に頑張れればいい方向にも向かって行けるでしょうが、間違った方向にはけ口を持っていくと厄介なんですよね。もう、真の出口を見つけられない。どうしようもなくやるせない思いです。
人生の出逢いって偶然ではなく必然なんでしょうかね。「縁」って不思議です。
お金は目に見えない。
・・・という言葉を初めてみたときは「はあ?」
全く分けがわかりませんでしたが、目に見えるお金にこだわると
ろくな事になりませんねー。実るほど頭をたれる稲穂かな。季節柄
そんな言葉も田んぼを見るたびに思い浮かびます。黄金の実る頭の低い人間になりたい♪