アラスカ沖のアメリカ領海を中国艦隊がパレード
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- 2015/09/11 22:40:15
9月3日、北京で抗日戦争勝利70周年軍事パレードがこれまでにない規模で実施された。毛沢東時代が終わって以降4度目の大軍事パレードでは、初めて「人民共和国誕生の祝賀」が姿を消して、「抗日戦勝利」を徹底的に強調したものとなっていた。
かねてより米軍の中国専門家や一部の連邦議会・政府関係者などの間では、「過去のV-J(抗日戦勝利)を過剰に強調することによって、現在のアジアの盟主は中国であることを世界に見せつけようという魂胆に違いない」との見方があった。その懸念がまさに的中した。
そして軍事パレードと時を同じくして、中国海軍にある動きがあった。5隻の軍艦で編成された中国海軍艦隊が、中国海軍としては初めてアリューシャン列島線を越えてベーリング海へと進出した。ちょうど、オバマ大統領がアラスカを訪問中であった日程に合わせて、中国艦隊がアラスカ沖に出現したのである。とりわけ米海軍関係者の注意を引きつけることになったのは言うまでもない。
抗日戦勝利軍事パレードの開催前には、中国海軍の7隻の艦隊が対馬海峡を北上して日本海に入り、ウラジオストックを本拠地にするロシア艦隊と大規模な合同演習を実施していた。
また、軍事パレードの直前には、中国海軍東海艦隊と南海艦隊の100隻以上の大小艦艇、多数の海軍航空隊と空軍の航空機が東シナ海に繰り出して、実戦さながらの大規模軍事演習を繰り広げた。
中でも米海軍の目を引いたのは、中国海軍がロシアから手に入れたソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦「福州」(同型艦「泰州」は日本海での合同演習に参加)が「サンバーン」艦対艦ミサイルを実射テストしたことであった。
「サンバーン」(ロシア名「モスキート」)は、元々はソ連がアメリカ空母を撃沈するために生み出した超音速対艦ミサイルである。最新バージョンのものは飛翔速度マッハ3、最大射程距離240キロメートルと言われており、極めて強力な艦対艦ミサイルである。
「サンバーン」の実射テストを東シナ海でこの時期に実施したのは、日本とその“親分”であるアメリカにこれ見よがしに見せつけて、過去の「抗日戦勝利」と現在の「対日戦必勝」をリンクさせるためだとも考えられ、米海軍“反中派”は憤慨していた。
ベーリング海に侵入し海軍力を誇示
ところが、そのように憤慨していた米海軍将校たちの神経を逆なでするように、「抗日戦勝利パレード」当日に、それもオバマ大統領がアラスカ州を訪問していた日に、中国艦隊がベーリング海のアリューシャン列島沿岸12海里内のアメリカ領海を“堂々とパレードした”のである。米海軍将校たちが「アメリカをなめきっているのか!」と怒り心頭に発しているのも当然であろう。
アメリカ領海を含むアラスカ沿岸海域で「予定通りの航海訓練」(中国当局発表)を実施したこれら5隻の軍艦は、日本海でのロシアとの合同訓練に参加していた7隻のうちの以下の5隻であった(残りの2隻は対馬海峡を南下し帰投した)。
・駆逐艦「瀋陽」(識別番号115:北海艦隊所蔵)
・フリゲート「臨沂」(547:北海艦隊所属)
・フリゲート「衡陽」(568:南海艦隊所属)
・輸送揚陸艦「長白山」(989:南海艦隊所属)
・補給艦「太湖」(889:北海艦隊所属)
8月29日、それら5隻の中国艦が日本海から宗谷海峡を東航しオホーツク海に抜けたことは、海上自衛隊P-3C哨戒機ならびにミサイル艇が視認しており、翌日に統合幕僚監部が公表していた。
余談になるが、アメリカ当局は、ベーリング海を遊弋した5隻の軍艦の詳細情報を発表しなかった。そのため、統合幕僚監部の情報に気付かなかった米メディアなどは「どの艦艇がアラスカ沖に接近したかは特定できない」などとしている。
国際法的には領海内航行は合法
もちろん、軍艦といえども他国の領海における「無害通航権」は保証されている。中国艦隊がアラスカ沖であろうがアメリカ西海岸沖であろうが12海里領海内を航行しても国際法的には何ら問題にはならない。領海国に対して軍事的脅威を与えるような領海内航行でなければ、全く問題はないのである。
実際に、アメリカ軍当局は「アメリカは国際海洋法を最大限尊重する。したがって、中国軍艦のアラスカ沖アメリカ領海内通航は何の問題もないし、アメリカ軍が何らかの反応をすることはない」との公式見解を述べている。
しかし、北京で軍事パレードが開催されていたのと歩調を合わせて、そしてオバマ大統領がアラスカを訪問していたのとも時を同じくして、さらには習近平国家主席が国賓としてアメリカを訪問する直前に、なぜ中国艦隊はアラスカ沖で海軍力を誇示する必要があったのか? 軍関係者やシンクタンク研究者などでは議論が続いている。
「対米戦必勝」というメッセージなのか
そうした議論の中では、中国艦隊が接近したのが、アメリカ軍にとってはあまり語りたくない嫌な思い出のある西部アリューシャン諸島であったということから、中国特有の“歴史を引き合いにした”何らかのメッセージではないか? という勘ぐりもなされている。
中国艦隊が周辺を遊弋したアッツ島ならびにキスカ島は、第2次世界大戦中にアメリカが唯一占領された領土であった(当時アラスカ州は準州であった)。
1942年6月3~4日、日本海軍空母機動部隊はアリューシャン列島のウラナス島ダッチハーバーに設置されていたアメリカ海軍基地を空襲し、大損害を与えた。引き続き日本海軍は上陸部隊を送り込んで6月6日にはアッツ島を、翌7日にはキスカ島をそれぞれ占領した。
その後1年近く日本軍は守備隊を配置して占領を続けたが、日本側にとっては戦略的価値がなかった上に補給が困難であったのと、アメリカ側が占領されてしまった自国領土の奪還に大規模戦力を投入し続けたため、占領継続は困難になった。結局、1943年5月12~29日にかけてのアメリカ軍によるアッツ島上陸作戦によって、兵力わずか2638名の日本軍守備隊は全滅(重症を負ったため捕虜となった生還者27名)してしまった。
一方、キスカ島も米軍の大兵力に取り囲まれ孤立無援の状態に陥っていたが、アッツ島玉砕の1カ月後の7月29日、キスカ島周辺が濃霧で視界ゼロに近い天候を利用して、日本海軍の守備隊救出艦隊がキスカ湾に突入した。海軍上陸戦隊は上陸用舟艇を用いて5200名の守備隊全員の収容に成功し、救出艦隊は再び危険な濃霧の中をついてアリューシャンを離脱した。このキスカ島撤収作戦は、今でも水陸両用作戦(撤収)の大成功事例としてアメリカ海兵隊や海軍では語り継がれている。
アメリカ海軍は、太平洋戦争当時も現在も「敵には我が海岸線を一歩も踏ませない」ことを鉄則としている。それにもかかわらず海岸線を踏ませないどころか島嶼を占領されてしまったという“最悪の汚点”を残してしまったアッツ島周辺海域に、中国艦隊が、それも水陸両用戦用の新型揚陸艦「長白山」まで加わった艦隊が領海内まで接近してきたということは、「嫌な歴史を思い出さずにはいられない」のだ。
やはり、東シナ海での威嚇的演習と同様に中国艦隊のアラスカ沖出現も、過去の「抗日戦勝利」と将来の「対米戦必勝」をリンクさせるメッセージなのかもしれない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44738