11がつ30にち
- カテゴリ:ショッピング
- 2015/11/30 20:13:18
早いもので明日からは師走
あと一月で2015年が終る
あーー ほんま早いねー
さて、お題に答えてみましょう
お題:欲しい秋冬もの、、、
こたつ
恋しいです
温かさが
さて、本日の記事はこちら
http://ameblo.jp/geneumi/entry-12097683840.html
消費税に追い回される消費者という生き物
少数民族の楽園に消費者は一人もいない。
生産者と消費者に分ける仕組みは、人間を家畜に落とす前提で始まるのである。
世界中、つい数十年前まで、生産者と消費者の区別はなかった。
主に米を作るグループ、主に畑作グループ、ニワトリや養豚を得意とするグループが明確に色分けされたのもつい最近。
昔の普通の家庭の庭先はニワトリが走り回り裏庭には豚がいた。
消費者は食べるために買い物(消費)をしなければならない。
大型量販店のあふれんばかりの商品、小金持は一段グレードの高い店でお買い物。
いい大学、一流企業、これを突き詰めればより良い食い物の争奪戦。
庶民もたまには一流レストランで食事がしたい。
と、思いつつ、現実は世界の半分がやっと食い物にありつける程度。
およそ2割は餓死と背中合わせの毎日である。
豊かな自然と水があれば、人間たるもの、好んで消費者に成り下がる必要はない。
必要なものは自作する。
余るほどとれたら物々交換。
などと言おうものなら、なんと原始的な考え方?と、小馬鹿にされる。
小馬鹿にされるのは構わないが、消費者の分際でこのような考え方を小馬鹿にするのは筋違いである。
価値観は人それぞれというものの、当ブログ管理者から見れば、消費者は任意に消滅しうる家畜同然である。
生かされている間、税金を納めるオマケ付きの・・・。
いやいや、俺は押しも押されぬ大企業の幹部、あるいは公官庁のお偉いさん。
よもや餓死することはあるまい・・・。
ま、それはどうでもいい。
他人様がなんであれ、一人の人間として消費者でひとくくりにされて平然としていられる神経は既に重篤な病気である。
まして、毎日美食、飽食、まるでホテル暮らしの消費者ほど惨めな存在はない。
彼らは決してマクド○ルドのハンバーガーは食さない。
ヤ○ザキパンの社長が決して自社の製品を食さないように。
だが、彼らも消費者の一部である。
要するに、何も生産しない人間は消費者として暮らす以外選択肢がない。
さて、いよいよ食い物がなくなった。
どうするの?
飢えた人間は喜んでマクド○ルドのハンバーガーを頬張る。
製造後数年経っても腐らない優れもの・・・。
だが、彼の腸内菌は既に取り返しのつかない壊滅状態である。
こうなれば、いくら満腹になっても意味がない。
人間(動物)は食べることで腸内細菌を肥やす。
ところが、20世紀になると、腸内細菌相の肥やし方に2つの流儀が定着した。
一つは昔ながらの生産と消費が一体化した暮らし方。
もう一つは、消費者と呼ばれる暮らし方。
さて、どちらも同じくらい腸内細菌相を肥やすのだろうか?
答えはNO.
消費者は八割以上、あなた任せで「食べる」人。
そうでない人は、少なくとも自作した食物は自分でコントロールできる人。
いくらお金があっても、自作した食物を自分でコントロールしたければ、消費者を止めるしかないのである。
余ったお金はマトモな自然保護活動に寄付されたし。
地球環境はおよそ、人類の平均的腸内細菌相レベルと相似する。
消費者が大勢を占める国や地域に豊かな自然環境は存在しない。
最初は華やかな町並みも数十年もすればスラムと化す。
消費者の胃袋を満たすために酷使された土壌もやがて固化してペンペン草も生えなくなる。
確かに今の日本で消費者から足を洗うのは難しい。
現実的にできることは依存度合いを1%でも軽減すること。
それならばヤクザが組織から足を洗うより簡単。
そしても、もうひとつは、消費者を止めた人々の活動を支援すること。
そうすればいずれ、自らの生き方のお手本になる。
ダメなのは、消費者であることにすら気づかない従順が取り柄の思考力ゼロの人々。
グローバル企業は、家畜のエサを二束三文で調達し、死なない程度に添加物を混ぜて高く売る。
日本人はそれに10%の上納金を添えなければ生きていけないのである。
消費者である限り消費税。
消費税に追い回される消費者という生き物。
これほど非人間的な仕組みはない。
頭では分かっていても行動に至ってないサンタも消費者ですね、、、
でも、食糧難になってもサンタは生き抜くと思います
そんな時代、、水の確保も大事だと思います
物々交換のみで生活出来たらいいんですけどね……。
いずれ食糧難の時代がきそうですよね。
将来強いのは農家な気がします^^;