三本のドキュメンタリー①
- カテゴリ:映画
- 2009/09/14 04:09:24
最近、ドキュメンタリーばかり観ています。
ドキュメンタリーは、観ている側の人の、それぞれの想いが重なり合って初めて完成される、それが、フィクションにはない重厚さであり、面白さでもあります。
今回、バタバタしたなか『嗚呼、満蒙開拓団』『花と兵隊』『台湾人生』を数日に分けて観ました。三本とも戦争、戦後処理を深く考えさせられる作品でした。観客の年齢層、高かったです。滅多にない最年少…??
ぷっちょ会長さん、西の魔女さんのブログで、身内の方の戦争への想いというものを、読ませて戴いたせいかもしれません。
なんとなく避けていたので、真剣に考えてみる機会だと思いました。
『花と兵隊』
食糧補給のメドが立たないと知りながら、ビルマ(ミャンマー)侵攻インパール作戦は決行されました。おびただしい餓死者出し、南方戦線の中でも最悪と言われています。退路は日本兵の「白骨街道」と呼ばれました。
三十三万人の兵士が送られ、十九万人が亡くなっています。
終戦後、脱走し、日本に帰国せず残留した元兵士がいました。
ビルマやタイに留まり、土地の女性と結婚して根を下ろし、生涯を終えようとしています。彼らと彼らの妻のインタビューで構成されています。
ビジネスで成功したり、孫や親族に囲まれ、穏やかに暮らしておられる方が多いのが救いとなっています。花とは妻たちのことかもしれません。
何故、帰国しなかったか。いわば、国を捨てたのか、捨てたくなったのか。
それを語るシーンがあります。
「なんということをさせるのだと、ね。嫌になったんです。本当のことは言えません。死んでいった仲間の名誉の為にね」
温厚そうな顔が苦渋にが走りました。
妻も亡くなり、一人身で気難しそうな方が語ります。
シンガポール、華僑の女、子供を次々に殺した。悪いことだとわかっていた。
殺さなければ、命令に逆らったと自分が殺される。次々と殺した。なんも思わんかった。命令だったから仕方ない。ただ殺した。
日本語は長年話していないので、不明瞭です。もともと口下手の人だったのでしょう。生粋の軍人教育を体現した人と感じさせました。
老いて今、深く悔いて、苦しんでいるのです。語りはしませんが伝わってきます。彼は日本兵の骨を集めてきて、自費で慰霊碑を建てました。
あんなことまでして戦った兵士に、国は何もしてやらんのよ。
あんなこと。。食糧がない。飢餓、仲間を食べたと
断片的に語りだします。
あぁ…。言葉が出ません。深い深いため息が出ました。
戦争とは、人間であることを捨て去れと、命じられることなのです。
被害者も加害者も過酷すぎる現実を背負わねばなりません。
それを忘れない為に、体験した人の証言は重く貴重です。
遺して置かねばなりません。
今もなお、世界の至る所で、寸分変わらぬことが繰り返されているからです。
アフガンやイラク、パレスチナ、アフリカの幾つかの国…
決して過去のことではないのです。
日本は平和ボケとよく言われます。
陰惨な過去を背負っているのに、です。ただ、知らないだけなのだと
改めて思いました。
松林要樹監督は撮影時、二十代の青年。日本の負の遺産と向かい合う勇気に、敬意を込めて拍手を送りたいと思います。
う~ん^^;また難しいですね。軸になる書物ですか。。。
実はわたしもまだまだ勉強不足です。
歴史は時代によって見直されるんですね。そして常に時の政権に利用されやすい。
何冊か手もとにありますが、まだ読んでいないんです^^;;オヨヨ。。。
一つ事を知ったり考えるには、たくさんの資料がやっぱり必要なんですね。
ネットでもかなりの数を閲覧します。
数の中で、見えてくるものあるんですね。
ごく最近、南京虐殺の人数について、疑問視する発言が国会でありましたね。
虐殺があったことは、絶対にありました。
でも犠牲者数となると、これはかなり曖昧です。
政治的に利用している観は否定できない感じがしますね。わたしには…。
ユダヤ人のホロコーストですが、これも虐殺はあったことは疑いのない真実です。
しかし、犠牲者数や、悲劇を産業化しているという批判はユダヤ人の間からも出ています。
パレスチナ問題も絡んできますが…。
ユダヤ人と同じくらいの人数、ロマの人(ジプシー)が、虐殺されているんです。
まず、迫害と虐殺はロマ人から始まりました。
ロマの人は現在の弱者が多いし、代弁者がいないわけです。
それが伝わってこないことは、意識的に消していることになりますね。同列に並ぶのが嫌なんですね。
隠された真実は、興味を持つだけで数珠つなぎのように出てきます。
驚きの連続ですよ。常識だと思っていたことが覆ります。
ある意味で真実がどこにあるか、謎だらけです。
確率でしょうか。真実を照らし合わせて、できるだけ感情に流されない
そうすれば、なんとなくですが、自分なりの真実を感じることはできます。
だからこそ、世界中の真実の歴史を共通認識として、客観的につくる作業を
世界中の知性を集めて、未来への遺産として作って欲しいものです。
そう、日々、勉強不足だと思い知らされている、わたしなのです。。。
国民を守るのが国ではないか
だからこそ、国の為に自分を犠牲にする
その為に戦場に行った、沖縄出身の人がいました。
沖縄が戦場になったと知り、本当に辛い辛い思いを語られていました。
何一つ、守ってはくれなかったんですね。
それが日本を捨てた理由でもあったのでしょうね。
民間レベルでの交流の成果は、あまり知られていませんが
いろんな所で発揮されているようです^^
人と人の繋がりは大切にしていきたいですね。
アメリカには、原爆を落とした国としての記念館があると、だいぶ前に深夜のドキュメンタリーで見ました。投下国としての反省の意でなく、「唯一の核実施国」というスタンスで、被爆地の広島長崎の方の一部が抗議しているという内容でした。「核の傘」を信用して、アメリカには政権が変わっても、やっぱり何も言えないのかなぁ。
日本がアジアに行ったことについて、文献によって、データが違う気が私はするのですが、真実はどこにあるのでしょう?歴史の授業では習わなかった事を、自分で知ろうとする時に、どれが本当なのか、迷う時が私は多々あるのですが、そういう事ってないですか?軸にする書物などあったら、教えてください。
命令により非道なことと分かって
いても、そうしなければならない
人、そして、それを許し助けてく
れるのも、やはり国ではなく人で
すね
国は利害を守るためなのでしょう
が人と人とのつながりが国を保っ
ており、つながりを破壊したり利
用するといった政治的な手腕は国
事態を崩壊させるかなっと、三本
のブログを見て、そんなことを思
いました^^
わたしは中学一年の時に「宇宙人よ攻めて来い」という作文を書いて
職員室で一躍有名になり、びっくりしましたことがありました。
阿衣さんと同じです^^
地球侵略に宇宙人が攻めてきたら、冷戦や核やそんことを言ってられない。
米ソ、世界中が協力して地球を守るために戦わなきゃいけない、ということを書きました。
広島にオバマが来るのか、軍縮会議を広島に出来るのか、
とっても注目しています。
昔ですが、二年ほど米国に住んでいました。
原爆について、米国の一般市民は無知に等しいと思います。(これは日本人が日本軍がアジアで何をしたのか、真実に対して無関心であるのと共に考えなければなりません)
軍隊があり徴兵制度がある、軍人といのは米国では国の柱の一つです。
それを揺るがすことは難しいのでしょう。情報操作。
日本政府がもっと原爆についてアピールせねばなりません。
米国人は、真実を知れば変る可能性が高い国民性でもあります。
まず知って戴きたい。
真実がどんなに惨く恐ろしいものか。
スイッチ一つで
全世界のどこの国でも、ヒロシマ、ナガサキを遥かに超える、
悲劇を招きかねない可能性がある時代に生きていること。。
戦争を過去の物にしてもいいくらい、人は戦いを繰り返してきました。
いつも、殺し合うのに疲れ果てて、どうしようもなくなって
終戦を迎えます。
本当に負の遺産ですね。
負の遺産は大切にしなければいけません。
たくさんの人の犠牲で成り立っているんですものね。
それを無駄にしない為にも、そこから多くを学びとっていかないと
あまりにも、失われた命が悲し過ぎます。。
どうぞ、無理しないでね。
本当に大手の映画館では流れません^^;
放映するのが、それ用の知る人ぞ知るという、小劇場限定が多いのが現実です。
テレビでも、日曜日の深夜とか、よくぞ人目につかない時間帯を選びました、という放映です。
過去の出来事ばかりではなく、現在進行形のドキュメンタリーもたくさんあります。
真実は恐ろしい、というものが多くあります。
知っておかねば。。と、時期を逃し、何かをするべき機会を失ってはいけない、
そう感じさせてくれます。
ブログを感慨深く読ませて頂きました。ありがとうございました。
書く作業で、それぞれの人に想いを馳せることで
リアルな何かを感じ取られたんだと思います。
わたし達は前しか見ない教育を、受けていたんだと思うのです。
物が溢れ、後は振り返らなくてもいい、そんな感じがします。
神風が吹いたことはよく覚えていますが、日本軍がどのような敗北をし
何をし、被害などは全く記憶にありません。
ドキュメンタリーには残酷な映像もありません。
ただ、語るだけです。それでも、深く胸に迫ってくるのは
真実という重みだから、ですね。。
わたしもごく最近になって、ドキュメンタリーを観に映画館に足を運ぶようになりました。
無理やり、映画館の座席に自分を縛りつける感じでしょうか^^;
テレビだと、続けて観れないことも多いのです。
とても疲れてしまうこともあります。
それでも、観ておいてよかったと、必ず感じます。。
人間の歴史は血で彩られています。近代に入って武器能力が上がったから
犠牲者の数が凄まじく増えました。
わたしはフェミニストではありませんが、男性優位の歴史が長かったのではないか
そのせいもあるのかも、と考えてしまいます。
男性種として、宿命的に戦い奪うという遺伝子が組み込まれているのではないか。。
歴史上、政治や統治に女性参加が半数を超え、共存した時代はあったのか。。
後進国で、国を安定させるには、女性の地位を上げるのが一番効果があるそうです。
女性の地位が上がり、職を持ち、発言権を持つと安定を求める方に流れていくというのが
データーで立証されているようです。
すべてが正しい訳ではなく、すべてがコインの裏表でベストはありません。
それでも、試してみる価値はあるのではないか。そう思ったりしています。
神さまは何故、人にそっくりなんでしょう。たぶんそこですでに傲慢が顕れてますね。。
本来は人を赦し、救う目的のはずなのに、と。人間とは本当に因果な生き物です。。
『火垂るの墓』はあまりに可哀想すぎて、最後まで観れないんです。
涙で顔がぐちゃぐちゃになるから^^;;
平穏な日本で、なぜ、今更、過去の悲惨な出来事を観て、
悲しい思いをしなくてはいけないのか、ずっと若い頃はわたしもそう思っていました。
でも、悲惨な体験をされた方々が生きておられるのです。
自分の意識の中で、どうしてこんなに遠いのか、この違和感。
いろいろ考えている最中です。
とくにパレスチナ問題は、日本のジャーナリストの方が長期に渡り追いかけています。
そこに日本を見るからだそうです。
現在進行形の悲劇と過去の悲劇は似ているんですね。
未来の為に、子どもたちにしっかりと伝えていく、それは今の大人の責任かもしれませんね。
お互いを理解し思いやる、それこそ人が人である美質で
あって欲しいですね。本当に…。
このドキュメンタリーは、二十代の若い監督なんです。全く、戦争から遠い世代が
動き出しているんです。
彼らの先入観に捉われない視点が、昔も今も変わらないじゃないか、なんです。
過去を見ることは今を知ることなんだ、それが自分の国を知ること
また変えていく足掛かりになる。
そんな風に感じることができて、これは嬉しいことです。
何よりも若い監督さんがインタビューに行く。受ける老いた元兵士たちも自分の若い頃
兵士だった自分をオーバーラップさせたかもしれません。
わたしたち一人一人が、平和であることのありがたさを忘れず
何かする機会があれば選択できる、それは、いろんなことを知ることから
始まるのかもしれませんね。
そして何よりも、弱く辛い人への想像力を枯らさない
思いやるということを。。
南方の戦場にはたくさんの日本兵が送られました。
過酷な戦いだったようですね。
故郷を捨て、その地で生きることを選ぶにはそれなりの強い何かが
あったのでしょうね。
歴史の教科書にはほとんど語れることがありません。
アッシュさんは貴重な経験をされましたね。
元日本兵の方が喋らないと言葉を忘れていくように
折に触れ考えないと、大事なことを忘れ去っていくのでしょうね。
人間は暴力以外で物事を解決できないのか、永遠のテーマですね。
かりに、運よく奇跡が起きて、世界中で戦争が回避できたとしたら
次はきっと人口抑制の問題が浮上すると思うんです。
これは生き方、宗教上の問題も絡み、管理社会への危険性が残ります。
膨大に人間が増え、食糧問題と格差がとてもリアルな問題となる
そんな先のことも想像できたりします。
人間とはとても厄介な生物です。
それでも、人である以上、人の未来に希望を見つけたい
願いみたいなものを持っています。
すごい動画をご覧になられましたね。
しばらく眠れなくなったのではないですか。
わたしもチベットの民間人が撃ち殺される映像(かなり遠いのですが)
抑えがたい憤りに捕らわれました。
暴力は憎しみの連鎖しか生みません。
一度始まると、悲劇に疲れ果てるまでやむことはありません。
それぞれ個として、簡単に憎しみに乗らないと、強い自覚を持たねばなりませんね。
臭いものには蓋をしろに近いものがあるかなと。
曖昧に隠された過去から目を背けないためにも
非常に意味のあるドキュメンタリーだと思います。
人間に限らず群れを作る生き物は味方と敵に対する差は歴然としている。
敵に対してはどこまでも残酷になれるし残酷にならなければならない。
先日、米国で行われた「日本に原爆を投下したことは是か非か?」というアンケートに
半数以上が正しいと答えたといいます。
もちろん、それを正しいとジャッジした理由はさまざまでしょうが。
限られた世界、限られた資源、そのなかでも人間の持つ理性は同時に欲も持つ。
世界平和が叶うとすれば
それは残念ながら世界が同時に危機に見舞われ誰でも彼でも力を合わせなければいけない
そう思うまで、きっとない。
世界に散らばる厳しい現実。その情報が昔よりも簡単に手に入りやすくなったのは
ネットの世界の充実ですね。
http://democracynow.jp/
このサイトはご存じですか?知っておられたらすいません^^;
もし、まだなら、お気に入り登録されていて損はないサイトです。
米国の独立系メディアの日本向けサイトです。
見るたびに、まだまだ知らないことが多いと実感します。
父にとって、わたしは孫のようなもの、いわば人生の晩年に登場した娘でした。
年齢差がものすごくあったのです。
そして、頭の隅で、性格が破綻した原因が若くして行った戦場にある可能性も
どこかで感じていました。元来、性格の弱さもあったのかもしれません。他にも原因はあります。
幼いわたしに戦争はとても遠いものでした。父本人から、直接聞いたこともあませんでした。
父はフィリピンに行き、部隊で一人生き残ったと知ったのは、父と別れてからです。
亀吉さんがフィリピンに住んでおられると聞き、アア…と思ったのです。
そして南の島のヒロさんも登場されました。
極めつけはぷっちょ会長さんのブログでした。
父との関係は複雑だったので、わたしにはぷっちょ会長さんの愛あふれる文章は
眩しいものでした。
逃げられないゾ。そんな感じがしたのです。
縁ですね。
個人的に驚いているんです。
軽い気持ちで入り込んだニコタで、いろいろと考えさせられる日々です。
亀ちゃん、ありがとね。
告白を胸に収めたのは、お孫さんや家族などがおられたせいもあるかもしれません。
告白された方は奥さんも亡くなり、独りだったから話すことができたのではないか
パンフレットに、監督の感想として、そう書かれていました。
イラクの反戦運動の中心になったのが、兵士の母でした。
息子の死に、何のための戦争だったのかを調べ愕然としたといいます。
60年以上前も今も、変わらぬ風景ですね。
わたし達人間の歴史は殺戮ばかりです。どこでその連鎖を断ち切ることができるのでしょうか。
暴力以外の解決方法を、見出すことは不可能なのでしょうか。
戦争で生むものは負の遺産しかないのに、なくなることがありません。
今もどこかで争いが行われてます。
平和ボケしてる一人ですが、争いがなくなり
世界中の人が平和ボケできるようになればいいと願います。
経験したことのない者には想像すら絶する時間と空気が、その時はあったのでしょう。だからこそ、リアルに、耳を塞ぎたくなるような事も、私たちの世代は拾わないといけないのかなって思います。
何故映画館にまで足を運んでお金を払って悲しい思いをして帰ってこなくちゃいけないの??なんて
思っていました。
戦争番組も見たことがありませんでした。
でも祖父のブログを書いたことで考えが変わりました。
今は知りたいと、強く思います。
映画を見て知り、考え、勉強させていただくのだと感じています。
西の魔女さんのブログもこれから拝見させていただきたいと思います。
ワテ、戦争を否定も肯定もしまへん。 人間の業と言うか性ですわ。
ですから、何度、こうした悲劇を紹介されても、止まないんですわ。
ほんまにアカンね。 そもそも、宗教なんてものを作って、それが戦争の元になってることにも気づかないとアカンのやわ。 神が創った人間だとしたら、不良品を創ったドジな神やんかぁ。
そやから、人より強くなって、獲物を沢山取ろうと考えた人間が、神を創って、仲間を洗脳して戦いに向かったと言うのが事実でしょう。
平和ボケの一人ですから。
プロ野球に一喜一憂して、夜は何を食おうかと昼のうちから考えています。
火垂るの墓と言う映画、なんとなく悲惨すぎて見る気がしないんです。
でも本当は、目を背けちゃいけないと考える自分がいる。
戦争を伝える事は、戦争を知らない我々のひとつの使命かもしれません。
せめて学ばなければ。
知っておかなければいけないんですね・・・。
>戦争とは、人間であることを捨て去れと、命じられることなのです。
この事だけでもせめて、息子たちに伝えなければいけませんね。
人と人と、考え方が違うと必ずそこでぶつかり、
国と国とがぶつかると、何人もの人を巻き込む戦争になる。
一度始まった戦争は、必ず負の遺産を遺して終わります。
そう、なんども過去から教訓を得ているのに、
今でもどこかで、国と国との戦争が行われている……。
国が、どうにかしないといけないのに。
ひとりの力で、どうにもできないことがもどかしいです。
けれども、ドキュメンタリーというチカラで、
わたしたちに訴えてくれる。伝えてくれる。
わたしたちは、その想いを汲み取ることも、また伝えていくことも出来る。
ホントウに、素晴らしいドキュメンタリーだと、黒猫手毬さんのお言葉から察することが出来ます。
人間同士だって、必ずしもうまくいくわけじゃないです。
お互いを思いやる気持ち。
結局、最後はココに頼ることになるけれども、わたしたちは人間です。
人と人とが争うなんて現在、そして未来。
どうにかしたいと、必死にあがいていきたいです。
日本食材を現地駐在の日本人に販売されていました。
もう、日本語を忘れかけてましたね。
見た目は、現地のヒトと見分けがつきませんでした。
亡くなった祖父が、生前、インドネシアで亡くなった日本兵?のお墓を管理する役割をもっていたのですが、いろいろと語り聞かせてもらいましたよ。
かなりの人数が、戦後も留まったとのことです。
祖父は軍の通訳をしていたそうです。
祖父から聞いたいろいろも、その記憶がかなり薄くなってきていますね。
いろんなことが、意識しないと風化してしまいます。
何百年も前の戦国時代から絶えず戦争はありました。
きっと人が人として地上に誕生した瞬間から争いもまた人と同じように歩んできたのだと思ってます。
だから戦後60余年、反戦や停戦を叫んでも人はそれに耳を貸さないのだと思います。
海外の動画サイトで見た若いロシア兵捕虜が次々とチェチェン兵に首を切られていく動画があります。
一方ロシア兵に捕まったチェチェン兵も同じような捌きで殺される・・・
これが21世紀の現在、地球の何処かで今も現実に起きてる惨劇なんですよね。
どちらが被害者?
どちらが加害者?
現実に起きている事に目を向けたいと思っています。
戦争は一人の人間でなくなってしまうのが怖いです。
両者共に心や身体に傷を負ったまま生きるなんて辛すぎます。
事実を知り、目を向けることを覚えました。
今は、自分に何が出来るから、模索中です。
この言葉は重いですね・・・
封印してしまいたい記憶を、この方はあえて胸に抱いて自責を背負って生きていらっしゃるのですね。
母には6人の兄がいました。
当然、全員出征しました。
彼らの母親である祖母は、軍国の母として表彰されましたが
表彰自体は粛々と礼を尽くして事を荒立てずに受けたものの
「息子を殺されて嬉しい親などいない」
と日頃は公然と怒って、周囲をハラハラさせたそうです。
6番目の息子は戦病死、優しすぎる性格だったので真相は違っていたのかもしれません。
「卑怯者と謗られようとも、コッソリ生きていて欲しい」
というのが家族の祈りだったそうです。
ダンナの仕事上の知人で傭兵経験のある人がいました。
命令に従った結果の誤爆(?)により、自分が攻撃した車両から転がり出て逃げ惑う民間人を見てから
1日たりとも安眠できる日は無いと言っていました。
この国の過去に殺戮の記憶があり、世界のどこかで残忍な殺人が行われている。
人の命を奪う正義など無いという当たり前のことを、忘れる愚かが繰り返されています。