脳活『為ブログ』364
- カテゴリ:日記
- 2016/02/03 12:29:49
人生は事務処理でもある。
家族、親戚、兄弟といった関係で煩わしい出来事が発生した場合、まず、話し合うことが大切である。ところが、話し合いが喧嘩にならないとも限らない。話し合うということは、一面で譲り合うことである。逆に、我欲丸出しに対立して、話し合いでは纏まらずに弁護士の御厄介にならざるを得ない場合もある。
人間の社会的関係というのは二人以上から始まる。兄と妹、親と子、夫と妻、嫁と姑など、たった二人なのに巨大な対立の関係に発展することだってある。憎しみ合うことになれば、怨念はなかなか薄まらない。兄と弟の関係において揉め事の要因は相続のことである。正直、私も弁護士を介して問題の解決をした。こうなると関係の修復というより、一種の事務処理である。人間というものは納得できないと脳に刷り込まれてしまうと、傷跡はなかなか消えない。他人なら一杯飲んで、トラブりましたが快くご理解いただいて厚く御礼申し上げます、と言葉だけでも交わせるが、血縁関係があれば、「どうせ、あの野郎のことだから、ことは収まったが、先々、どうなるかわからない。せめて、迷惑だけはかけてもらいたくない。」というのが本当の心境なのではないだろうか。
兄弟といっても、他人の目から見ると、よく似ておられますと言われるかもしれないが、似ていても偽物の関係にならないとも限らない。ただ、いくら喧嘩して別れても、血縁関係は切ることが出来ない。夫婦関係は戸籍上、離婚してしまえば、完全に他人である。きっぱりと他人の無縁になれる。夏目漱石の『道草』を読んで、漱石も兄弟、親と子、妻との関係、妻の父親(義父)との金銭問題、姉と夫との関係において悩んでいた。煩く付き纏われた養父との関係などでも苦労した。
『21世紀の資本』を書いたピケティは相続中産階級のことを指摘した。この傾向が世界的に顕著になってきたらしいが、その背後で相続に纏わる骨肉の争いがあることは無視できない。世界経済の危機の中で更なる争いが始まるのだろうか。
確かに、そういった部分もあるよね。
誰しも1人で生きてるわけじゃないんだし。
親族の問題なら尚更だわ。
ちなみに、ウチは財産も無いから(笑)
遺産相続で揉めたりはないよ。
あるのは土地と家だけ。
あたしは、お一人さまだし。
弟くん一家が全て引き継ぐんは当然だと思ってるの。
あたしが生きてるウチは?
2つある一方の母屋。
今の平屋のボロ家に住まわせてもらうけど。
仮に死んだりしたら。
嫁ちゃまが速攻!取り壊すだろうな。
あ、嫁ちゃまは、あたしよか年上だけどね〜(笑)