わたしたちは、どこへ行こうとしているのか。
- カテゴリ:人生
- 2016/02/18 09:05:55
大阪の「天王寺動物園」、もうずいぶん長いこと行っていませんが、
公園もリニューアルされて、それはそれは綺麗なところになったと聞いています。
でもその昔、大きな駅から動物園に行くまでの地下道は、
暗く湿った、地べたをうごめく人々に覆われた恐ろしいところだったんです、
すくなくとも、わたしには。
電車を降りて、改札を出てしばらく行くと動物園の入り口にたどり着くのですが、
この地下道が、まるで羅生門のような恐ろしいところだった記憶があります。
地下道には、浮浪者・ホームレス-むかしはお乞食さんと言われていた人々が、
所狭しと寝転がっていて、
いつも、動物園に行く前に、父に「目をあわせてはいけない」
「絶対に、ひそひそ話したり、笑ったりしてはいけない」
「ポケットに手を突っ込んだまま、まっすぐ前だけを見て歩け」と、
何回も繰り返し、繰り返し教えられて、動物園に向かったものです。
今思えば、動物園のライオン舎より恐かったこの地下道。
わたしの両親は、「働かない人間はこうなるのだ」と、
今では大問題になりそうな教育をしていたのですが、
もう両親も死んで時効だから、許してあげてくださいね。
それでも、その教育方法は、わたしには効果絶大でした。
わたしは、大人になるまでに「学校を出たら働くものだ」と言う考えに、
疑いをはさんだことなどありませんでしたから。
初めて一人暮らしをした安アパートで、
夕方、薄暗くなった壁を見て、ふっと言いしれない恐怖におちました。
この壁、この柱、この畳はわたしが家賃を支払っている限り、
わたしを守るものになるんだけど、
ひとたび家賃を払えなくなると、わたしを押しつぶす恐怖に変わる・・・
そんな風に考えると、もう怖くなってしまって、
先に家賃を1年分払ってしまおうかとオロオロしたものでした。
働かない人間は、生きて行けない。
その考え方が、今、根底から覆されようとしています。
あまりな変わりようではありませんか。
どっちが正しいとか、間違ってるとかそういう話じゃなくって、
人間の生き方に関わるこの根幹が、
こんなに簡単に移り変わってしまう・・・
そんなものなんでしょうか。
両親の教育方針もかなり極端なものだったのでしょうが、
わたしに「生きて行く方法」を教えるのには成功したようです。
昨日のYahoo!ニュースに、こういうのが出ていました。↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00000089-san-soci
生きて行くのに、いろんな方法があるということには賛成です。
だから、わたしは、
まだ、あの無謀なキャンパーたちが大好きなのです。
彼等は、動きながら考えている、あがきながら試行錯誤している。
自分の好きなことに限定して、だけど、
メシ食っていく方向を考えて考えて考えて行動している(まだ、未知数だけど)
http://camp-in-japan.com/
聖書時代、人間がエデンの園に暮らしているころは良かったのだろうけど、
楽園追放になった人類は、
額に汗して食べるものを得なければいけなくなりました。
あの天王寺動物園が綺麗になったのも、
多くのホームレスがところ払いになったからだと聞きました。
そのうちの何割かは、長居公園に流れ着いたらしいです。
あなたの若さを、無駄なことに使ってはいけない。
それで,あなたの若い成年*の日にあなたの偉大な創造者*+を覚えよ+。
災いの日々がやって来る前に+,
「自分はそれに何の喜びもない」と言う年が到来する[前に]+。
伝道の書12:1
子供のときのいい思い出がたくさんあるほど、
自殺衝動が減るという調査がありました。
わたしたち、みんなにも言えることですねえ。
考えさせられました。
もちろん人とか組織とか制度とかもそうですけど
経験とか思い出とか
守るべきものとか
そんなものでも あればいいのですけれど。
だって、一生懸命やって来た人たちにだって、
当てはまるリスクだもの。
「アリとキリギリス」のお話しでは、キリギリスは容赦なく冬の寒さの中で凍え死ぬでしょ。
(最近の童話では、アリが暖かい部屋にキリギリスを招き入れるエンディングになっていて驚きましたが。)
一生懸命働けるときに働いていても、たいへんなのに、
大丈夫かなあと思ってしまいました。
だけど、幸運ってこういう人たちのためにもあるし。
凡人のわたしには、分かりません。
体も心も元気なうちはいいんですけど、
健康を崩したり、怪我したり、
一度誘惑に負けて道を外れることにこだわらなくなったり
ささいなことで敵を作ったり
いつでもいつまでも強いままでいられないから
ちょっと弱った時にどうするか
支えてくれるものがあればいいのですけれど。
あの二人組は、たくさんのモノを諦めたんだって。
よく諦められたな~って思うものもありました。
わたしも一番に考えたのが、家族とか動物とか、いっぱいありました。
本はね、今、kindleってのがあって旅先でもかなり読めるようですが、
わたしだったら、化石とかお布団とか、やっぱり諦められない。
だからねえ、えらいなあって思えたんです。
彼等は、最終的にどうなるのか、
今度会ったら、そこんとこ突っ込んで聞いてみたいなあと思っているんです。
この世も人生も天国・楽園・極楽にするのも、地獄・煉獄にするのも、その人の心次第。
私、あのキャンパーの方々のように、俗世の色々を捨てられません。
猫様と暮らしたいんですもの。
私と彼らが最終的にどこに行き着くかも未知数ですが。
猫様にてちてちされて起こされる幸せとは取り替えたくないです(笑)
それなりの雰囲気の場所でしたねえ、あ、思い出した。
音楽は・・・どうだったんだろ?
地球一番快適音楽ってやつでしたよ。
ロックは、わたし!
どこにでもあったんですね。(^^;
ミュージシャンって好きなことをやって飯を食ってる・・と思ったら
そうでない人もいるんですね。
前夫さん、「労働」を語るんだから音楽は好きではなかったんでしょ!?
そういうひとの音楽が「ロック」だったらガッカリだなぁ。。(--)
古書店は、そんなに良かったんですか。
お金は、無くなってからが、「あのとき、こうしておけばー」と思うものです。
うんうん、そんなもんです。
「人間はパートタイムでキ○○イになる」「狂人テーマパーク」時代ですね@平山御大
『二十歳を過ぎたら家を出る』と思っていたのですが、いまだ実家です…
いろいろな「if」があります。
ただ、古書店時代だけは戻れるなら戻りたいし、あの時のお金を!!!と思います。
そしたらウチの改築くらい出来たかもしんない。
わたしもそういう意味では「嫌な事をやって金を稼いだ」
ということは無いかもしれません。対人系の飛び込み営業に近い
私の最も苦手とするアルバイトをやったこともありますが(大手音楽教室の勧誘)
あれは時給が良かったし、やってみて面白かった。うん、多分見かけの言葉は違うけど
はなこさんの考えている事と私の思っているのは近いとは感じます(笑)
わたしは、わたしなりに一生懸命働きましたが、
それは、広告業界にいたり芸能界の端っこにいたり、また世界各地で恐竜を掘ったりと、
好きなことに関して一生懸命だっただけで、
前の夫は、わたしに向かって
「おまえは人生で、ただの一度たりとも労働を経験したことが無い」と言い切りました。
好きなことでメシを食べるのは、労働ではないと。
たまたま嫌なことをして時間を労働の対価として売ったことが無いだけで、
やりたかったレストランも、イヤになったらさっさと閉めたし、
わたしは、前夫の言う通り労働を語る立場にないのかもしれません。
好きな事だけをやって、生きて来れたことには、感謝していますが、
じゃ、誰に感謝してるのかと聞かれると・・・返事に困ってしまうのです。
大阪に行ったときにネットの友人たちと
通天閣に登ったときに見ました(笑)
あの通天閣に行く途中の細い小道の雑然として
薄暗くて、なんともデンジャラスな香りのする雰囲気を
思い出しましたね。実際はそんなに危険ではないのでしょうけど。
ある意味、わたしははなこさんと逆の思想かもしれません。
若いうちの無駄は無駄ではない。
いまだに無駄の多い人生のわたしなので
説得力に欠けるかなー(笑)