脳活『為ブログ』388
- カテゴリ:日記
- 2016/02/28 12:08:41
理念の漂流。
約束したことを守らない。これを理念の漂流という。「理念」という概念を哲学用語として把握したなら、何も分からなくなるだろう。ソクラテスやヘーゲルに還元しては何も得るものはない。それこそ思考の漂流になってしまう。理念の一般的な辞書的解釈としては「物事のあるべき状態についての基本的な考え」(スーパー大辞林)とある。俗的に言えば、あなたが好きなので結婚して下さい。好き=結婚。このパターンの完成を理念の条件として認識することである。
もっと平易に言えば、言葉が形となって、契約となって定着することを言う。物事の状態を表す言葉は、角度を替えて表現すれば、無数に考案できるが、客観的に確認できる形=法的に保証された形態を理念と定義したい。だから、「口約束」は理念にはならない。言葉が第三者の検証を受けて理念の階段を登ることになる。政治的スローガンはどうか。これは言葉のアドバルーンである。何ら保証されたものはない。
我が党の理念としてマニフェストにも書いてある通り約束しているではないですか、と声高に言ったとしても、屁の突っ張りにもならない。単にラッパを吹いているにしか過ぎない。政治家は宣言した理念を法案として成立させて、初めて理想とする理念の実現が可能となる。分かり切ったことである。
政治家に限らず、個人の言動においても、理念がないがしろにされるケースが実に多い。理念と言っていることが、ちぐはぐバラバラだから、何を言っているのか、何を言いたいのか、さっぱり分からない風潮になってきた。己も染まってきたかな。
統計、みんな、まわり。
で、物事が、進まなくなる。逆も、しかり。