Nicotto Town



今は昔

先日、久しぶりに思いで横町で夕ご飯を食べました。思い出横丁と言うのは、新宿の西口大ガード脇の狭い一角にバラック長屋のような店が軒を連ねる、戦後すぐから続く飲み屋街です。

学生の頃、ここでご飯を食べて西新宿の中古レコード街なんぞに出向いたものです。なにしろ安くてたくさん食べられましたからね。思えば洋服を買うのも本を買うのも、なんでも新宿でした。その後に思い出横町も火事でずいぶん焼けたりしましたが、いまでも頑張ってるようです。

そんなこんなで、10年ぶりくらいに足を踏み入れた思い出横町は、まあ昔と同じと言えば同じ。。。でもない感じ。店子も多少入れ替わり、いかにも今時の若い人がやってそうな店がチラホラ。そして、若い女の子や外国人観光客がビックリするほどいます。ウチの近所で言えば、野毛の商店街と同じような流れでしょうか。

良いことだと思います。ラーメン屋にすら女性が一人で入れないなどと言う自意識過剰な時代が終わり、ここ10年くらいでまともになってきたのかとは思います。ただ教条的なことを言う気は無いのですが、ここが元々は闇市の一角であったという事実とその意味もどこかで覚えておいて欲しいし、夜に来るのであれば、昼に定食を食べにもくればいいのにとも思う。昼に来るという発想があるかな。。。

それっぽい雰囲気を味わいながら、夜にモツ焼きを食べる今時な観光地となってしまうのであれば、潔く消えていくのも文化というものかと思います。もちろん私の決めることではありませんが、ここでサバ味噌定食を食べながら若いころを過ごした身としては、どこか居心地の悪さが拭えないだけです。それこそ、自意識過剰なのかもしれませんが。。。

先述のとおり、思い出横丁はそもそも闇市の流れです。社会事情としていうのであれば、すでにその存在意義はありません。金のない学生が喰いに来るなどという私の昔話の様なものは、オマケでしかありません。それでも続いているのは、そこに純粋な社会事情とは異なる価値があればこそです。もちろん現在の団塊世代あたりまでは、まだ思い出横丁が十分に本来の出自としての思い出横町の在り様として存在していた時代を知っているわけで、そのある種のノスタルジーとしていまも通っているというのであれば、まあそれはそれです。

人間には自身が直接的に体験していない(=意識的に体験を捉えられていない)、少し前の時代性のものにノスタルジーを感じるという不思議な特性があって(社会学的にも概念化されていることなんですが)、わたしの世代はギリギリで思い出横丁をそういう擬似ノスタルジーとして実感できる世代ではあります。少なくとも私がまだ小さかった頃、ちょっと街はずれに出れば、そこにはまだ思い出横丁のような世界があたりまえに広がっている時代でした。つまり、まだ「戦後」という時代区分での捉え方が有効な時代だった、ということです。

しかし戦後生まれと言うラベリングが意味をなさないほどに若い世代にとって、思い出横丁にはどういう意味があるのでしょうね。そこに思い出横町が持つ元々の意味とは異なる、また新しい価値感が発生しているというのであれば、それは何だろうかと思います。

もしかしたら、人が集い、食べ、飲むという活動の生理現象とは違ったところでの、文化性としてのプリミティブな心地よさを体現すると、実は結局ああいうスタイルに落ち着くという普遍性なのかもしれません。



すみません、また詰まらない話しにつき合わせてしまいました。。。




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