脳活『為ブログ』465
- カテゴリ:日記
- 2016/05/21 12:41:49
交流と送受信の自由。
人との交流は封建時代に比べて自由になった。通行手形というものが昔にあった。今はまったく自由であると思うが、そうでもない。サミットの警備体制などで人の交流にチェックが入る。秘密の核心に迫れば、セキュリティが厳しくなる。建物に入ることが制限されるだけでなく、入っても部屋ごとにIDカードが必要なところもある。それだけでなく、何時、誰が、どこへ移動したかを管理するシステムも完備されるようなっている。
監視カメラもいたるところにある。自由に動けるようになったことは事実としても、管理・監視するシステムが変わってきている。統制されているのである。極端に言うと、人が生まれると同時に体の中にICチップが埋め込まれたら、地球上の人間を簡単に把握することができるだろう。将来は、こうした恐ろしい管理社会がやって来るのではなかろうか。そんな不安を覚える。
何故なら、地球外生命が発見され、この生命が地球の人類よりも進んだ生き物であったら、地球の人間が宇宙人から監視される可能性がある。「星の王子さま」ではないが、夢物語では決してないのである。私はこんなことを想定している。いわゆる恐竜時代が終わってから、人類というか哺乳動物が誕生したことになっているが、恐竜時代を終焉させた巨大隕石の衝突がなければ、恐竜はさらに進化して、人間と同じように考える脳を完成させたかもしれない。このように推測したならば、恐竜人間だって存在するかもしれない。ウルトラマンと対決する怪獣がいるかもしれない。自由は進歩だが、それ以上の統制も進んでいる。
何かの進化で、恐竜時代が、淘汰(とうた された。
で、もれなく、「人類時代」も、淘汰 と、いっていた。
凄い、俯瞰だ。凄いスパンだ。