ちょっと気疲れする謎
- カテゴリ:30代以上
- 2016/06/02 16:03:25
疲れてて、外へ出る元気はないけど、
なんとなく、家じゃないところに行きたい気分になる。
そんな時に、ぼんやりとタウン見学に行ってたの。
ちょっと前まで。
扉の奥とか、そういうところに入る勇気が無くて、
まだ、タウンを全部見てない気がするけどね。
そんな状態でも、最近はイベントも少しやれるようになってきたわ。
ただ…ね。
よくわからず…困ることがあったんだ。
タウンって通りすがりの人でしょ。
すれ違う時に「あら、ステキね」と言うのは失礼じゃないと思えるから、
ステキボタンが押せるときは、わたしも押してみるよ。
で…そうやって見学中にね、
行きずりの人が、話しかけてくれる時があるんだけど…。
呼びかけてこちらを足止めして、何も話をふらない。
自分のことは何も話さず、「お友達になって」。
根掘り葉掘り聞くだけで、自分の情報は出さない。
そういう、本来的な意味での「会話」になってないチャットの謎。
ただ、ぼーっと人待ち顔(アバだけど)に立ってるだけの人の謎。
きっと、タウンの遊び方とかで何か意味があるんだろうなー。
そもそも、チャットって言いっ放しが普通なのかな?
今の世の中、リアルでもそんなものなのかもしれないんだけど。
長らく社会と強制的に隔離されていたから、
リアルの社会もご無沙汰な上、
ニコタで生まれて初めてチャットとか、アバターとか、
こういうネットの仮想空間を体験しているわたしには、いまだ謎ばかり。
タウンでの「友達」という言葉の意味は、
普通の「友達」とは違うみたい。
ほかの言葉もなんか、普通の日本語と微妙に意味が違うのがあるみたい。
「知り合い」の中で、お互いの事がなんとなくわかってきて、
その中で分かり合えそうな人とよく交流するようになって、
気づいたら自然に「友達」になってたなー、
というのが、
まあ、わたしぐらいのオバサン的「友達」解釈。
例えば、クラスメートは「友達」じゃない。
致し方なく付き合ってる人も、中にはいるじゃない。
「知り合い」とまでもいかないかもな…あくまでクラスの人。
オバサンとしては、「友達」という言葉は
もっと深くて重い意味なんだけどな。
せめて、通りすがりでお天気の話レベル以上のことを聞くなら、
まず、自分のことを話してくれなくちゃ、って思っちゃってねー。
自分のことを伝えていない人とも仲良くなれないから、
こうやって、ブログ書いてる。
相手の人となりが見えないと怖いわたしには、
チャットする人より、ブログ書いてる人が安心なのね。
ブログの方がその人の考え方が見えるものね。
要するに、
わたしのような昔の人の場合は、
疲れているときにはタウンに出ちゃだめなんだなーって、
最近気づいてきたわ。
そういう時は、タウンでドキドキしているより、
ニコみせが気楽でいいわ。
価値観の違いというものかなーとも思うのです。
でも、それだけじゃないような…。
そういう方に遭遇しては、
なぜか、日本社会をちょっと憂いているわたしがいるのです。
申し訳ないけど、理解しがたい…。
牛成さんと同じで、「?」としか表現できない。
よく、「友達整理します!」というタイトルをブログ広場で見かけますが、見かけ始めた頃はぎょっとしたものです。
現実ではないからとライトにとらえている人もいますし、現実もネットも等しく関係を大切にする方もいて、人それぞれとしかいいようがありません。
私はめのめのさんのお考えと同じです。
いきなり友達になってっていったこともないなぁ。
ああいう人ってなんだろう・・・?