今日の思いは、
- カテゴリ:日記
- 2016/07/15 22:24:00
お友達(と、一方的に思っています、笑)のトコに書き込んだものを、
先ずは全文、
比較的に若い人がその行為に走るのは、
社会状況が彼等を苦しめているからかも知れません。
現実と理想のギャップを埋められないまま、
社会と対峙させられている現状に追いつめられているのかも。
宗教は心の拠り所なのでしょうが、
戦う言い訳に使われて良いわけはありません。
過去の多くの宗教戦争の歴史を顧みれば、
その多くが、結局のところ、経済戦争であると言えると思います。
戦いの最前線で華々しく散る人達は神のため、と、思っているのかも知れませんが、
彼等を唆しているモノ達は、社会不安を利用して巨額の富を築いている。
若くて情熱があればあるほど、理想と現実のギャップに絶望している程、
甘美な言葉の罠に捕まり易いのかも知れません。
後世にならないとその繋がりに気づけないほど、
巧妙に隠されたなにかがあると、わたしは思います。
無作為に攻撃の対象とされて亡くなった人々も、
唆されるままに行為に身を投じた犯人も、
もしかしたら同じ被害者なのかもと思ってしまいます。
静かな怒りと哀しみを感じ、
どうしたらこの状況を止められるのか
真剣に思いを巡らして、注意深く
これから起こることを見て行きたいと思います。
先日起こった事件で亡くなった方達は
(経済的な、)発展途上国支援の方達ばかりでした。
犯人はその国でも比較的には富裕層の若者達と
富裕では無かった若者達、
自国と他国の社会状況を学ぶことが出来ていたハズの
彼等はなぜそういう時、そういう行為に及んだのか、
うがった見方をすれば、あるいは、
その経済援助行為によって、不利益を被っているダレカが、
この時この場所を指定していたとしたら、
…作為を感じられると思うのは、疑い深過ぎるでしょうか。
お互いを憎しみ合わせる様に仕向けているのは、
それで利するところがあるからではないのか。
本当に危険なことは、
見落としてはいけないことを、憎しみで見失ってしまうこと、
冷静さを欠いたまま、間違った判断をしてしまうこと。
多くの目で見て、多くの耳で訊いて、
本当の姿を暴かねばならないのかも知れません。
無関心でいてはいけないと思います。
無差別とみられる発砲事件が発生してしまいましたね。
ドイツ国籍だったのかも知れないけれど、
イラン系の18歳の男性、若いですよね。とっても、
物静かな方だったと、隣人の証言があると伝えられています。
また孤独な魂の叫びを聞き逃してしまっていたのかも知れません。
被害にあったのも、14〜21歳の若者だったと…
テロ組織との関係は否定的ですが、
他の犯人の犯行が心に何かを産んだのかも知れません。
本人に事情を訊く機会は失われてしまいました。
米国の銃規制、持たせないことが抑止になるとは思います。
でもー、それよりも人の心のケアがもっと効果的なのではないでしょうか。
18歳頃の自分がどうだったか、思い悩む日々があったと思います。
まして、周囲の人達と違うところがあるならば、余計に、でしょう。
必要だったのは友達、信頼出来る友情、支えてくれる大人たち、
周囲に居たハズの人達が気付いてあげられたら、
もう、今となっては、後付の理由、思いでしかありません。
しかし、わたしたちの身近にもそういう孤独な人が居ないでしょうか、
見回してみて下さい。手を差し伸べて下さい。
変えることができるのならば、やってみるべきです。
大好きな漫画家さん高橋 由佳里さんのマンガ
「トルコで私も考えた」で良く読ませて頂いて、
行った事ないけれど良く知っている処でもあり、
イラン・イラク戦争でお世話になった経緯をありがたく思う、
多数の被害者が出た事に慙愧の念に絶えない年寄りであります…。
だもので、今回のトルコのクーデターは何故起きたのか
国民の支持がなかったと言うけれど、なぜ失敗したのか
現政権の何が問題なのか、自分の知る限りでは、
今の処まだ良くわかっていないのでなんとも言えませんが、
行った事はなくても自分の知っている処が血で染まるのは嫌ですね…。
トルコ現政権が今後どの様な方向に舵を切って行くのか、
又日本のメディアはどこまで放送するのか(これ結構自分内は重要)
正視したいと思います。
平和的に何とかならんかったのかなぁ…。
草葉の陰でアタチュルク初代大統領が啼いているぞ…。
あ、今更ですが「お友達」って思って頂けて、もんのすんごく光栄です(照れ照れ)
優しい知古が居たとしたら、
動転してしまうでしょうね。
ひとりの人がいたら、その家族や友人、知人、
だれかしら繋がりがある人が大勢いて、
巻き込まれてしまったかも知れません。
古くから日本と関わりのある国で、何かあると、
つらい思いをするひとがこの国にもいるということ、
そういう人のつながりを肌で感じていれば、
他人と思えるひとにも、優しく出来ると思うのに…
逆に、そういう行動を起こしてしまった人達は
どこか、孤独を感じてしまっていたのでしょうか。
泣いたりしてなかったのかな。
アタチュルクが泣くぞ・と言いたくなった。
あの橋を戦車が行き交ったのかと思うと頭痛がしてくる。
自分が行ったことのある場所にクーデターというのは、
初体験だったのでとても怖い思いがしたよ。
私が写真を撮った警官の中でも亡くなったひとがいたかもしれない。
市民でも。
しかし、亡くなったかたが多く居たのは残念です。
しかし、市民の抵抗に対して、武装した軍の人も、
撃つ人も居たのでしょうけれど、虐殺の様なことに
ならなかったのは、たぶん、クーデターの動機自体が
国の有り様を思ってのことだったから?
国民が支持出来ないことを
続けることは出来なかったのでしょう。
世界を混乱に陥れている者達にとっては、
好都合だったのでしょうか、
それとも、思惑は外れてしまったのでしょうか。
できれば後者であって欲しいと願ってしまいます。
世界は2分されているわけでは無く、
多くの違った思いが隣り合って共生しているのが
普通のことなのだと思います。
できれば、武器を持つ手ではなく、暴力では無く、
言葉と微笑みで、思いの違いを埋めて行って欲しいものです。
世界の子供達の生きる
この世界を心配していようと思います。
お引き取りください。
コメントありがとうございます。
…逆に原稿の進行を遅れさせちゃったかな〜(汗)
と、ちょっと後悔してたりしています。(ごめんなさい、)
米国大統領が広島市の平和公園を訪問したり、
平和への思いと、戦争への誤魔化し様の無い思いが
米国の人々にも届きつつあるのは、その足元に、
ああいう恐ろしい事件が頻発する様になって
しまったからかも知れません。
卑劣な手段を用いているとはいえ、
討ち滅ぼすのでは無く、思い止まらせる様に
働き掛けることができればという思いは強く持っています。
届けることは出来ないかも知れませんが、
あちら側へ行こうとしている若い人達を
思い止まらせることは出来るんじゃないでしょうか。
それが出来る社会であれば、
あちら側の力が及ぶ範囲を
狭めることが出来ると思います。
わたしに出来ること、か、
いつもお気遣い&書込みありがとうございます~。
お言葉に甘えて…でも原稿が真っ白なんで(をい)
ちょこっとだけおじゃまします。
nekoyamaさんの文章を拝読して「雨ニモ負ケズ」を思い出しました。
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
って、処です。
何が是で何が非か、常に自分の頭で考え続ける事。
それが今全人類に課せられていると思います。
又、糸井重里さんが書かれていましたが、
「非常事態で誰を信じて良いのか解らなくなったら
僕は「笑っている人」を信じる
「笑っている」と言う事は冷静に全体を見られるから笑えるのである。
不謹慎と言う人もいるかもしれないが「笑い」は強い。」
と言う事を思い出します。
また、フランスの人達が
テロに対して「憎しみ」ではなく「日常」で対抗する所も好きです。
(とは言え、あの新聞社はどうよ?って思いますが)
平和は良いけれど平和ボケにならない様、知らないでいるよりは知って考える。
無関心でいない事がテロに対する最大の防御であり攻撃であると
非戦闘地域の自分の役目だと思っています…。
…ってな~、Y須賀に住んでいる&叔父が元海自だと
嫌でも色々考える羽目になるんですがね…。
や、今朝から戦闘機の発艦訓練だかでうるさいんですよ~。
一連(バングラデシュや北朝鮮や中国やら)の関連なのかなぁ~。
Y須賀は発艦訓練域じゃなかったはずなんだけれどな~。
又、お邪魔します…。