「コクリコ坂から」を敗戦記念日に観る
- カテゴリ:日記
- 2016/08/15 18:25:44
8月15日敗戦記念日にちなんで
毎年、何か反戦記や映画を観たりデモに行くことにしている
今年は録画してあったジブリ作品「コクリコ坂から」を観ることにした
なぜ、敗戦記念日に観たかというと
物語が「朝鮮戦争で死んだ父親の帰りを待つ少女」だったからだ
わたしの家は海にかかわる仕事に従事する人間が多く
この物語の時代に父親は海運業をしていた
太平洋戦争敗戦後の日本の船舶は戦地からの引き揚げ船や
交換船、あるいは朝鮮戦争で徴用されていた
敗戦後も徴用によって沈没した船舶や戦死した船員がいた
今は観光の装いの氷川丸も徴用されていた
氷川丸を見て「敗戦」はあっても「終戦」はないことを
思い出す世代として
「コクリコ坂から」は敗戦後の横浜物語なのだ
日本各地でそうであったように
横浜も連合軍に接収された
住宅を追われた市民が板張りの小屋を建てて暮らしていた
コクリコ荘があると設定された港の見える丘公園は
当時まだ荒涼としたすすきの原で
港側の斜面である「フランス山」は
立ち入り禁止のフランス領だった
金網を破って入りこみ補導されたクラスメートがいた
金網が国境なのだと知った事件だった
物語は横浜ネタが随所に盛り込まれている
横浜で生まれ育ったわたしには
懐かしい景色ばかりだ
ポンポン船の走るエンジン音
汽笛の音
海から急に高い丘になる横浜の
明治時代に建てられた建築物や石垣
敗戦後の街並みや板小屋
代官坂で生まれたわたしには
この店構えは宮崎生花店に似ているとか
主人公たちが買ったコロッケを見て
プール遊びの帰り道に食べた
丸栄精肉店のコロッケの味を思い出した
雨の日に傘を持って父を迎えに行った
市電の停車場に寒い冬の日を思い出し胸がきゅんとなった
マリンタワーが建つ前には連合軍の倉庫が建つ広い芝生だったから
自転車の練習は皆あそこで始めた
主人公の少女は、
逆算すると、わたしと同時代に生れたのだろうと取れる
少女は母子家庭で、留守の母親の代わりに
家事と祖母の経営する下宿の労働を荷っている生活も
クラスメートや近所の幼馴染を思い出す
私自身、結核療養所に入院した父と働きにでた母の代わりに
船の甲板掃除や家事労働をするために
学校の部活をあきらめたころの自分の気持ちに触れたようで
感情が揺れた
こういうのを自己憐憫っていうんだなあと考え
このまま自分の中にしまってはいけないと
この日記を書くことにした
さて「コクリコ坂から」は
戸籍記載と出生事実が異なる少年との恋物語になっている
戸籍制度は戦後、戸主制度から世帯主制度に変わった
届け出婚をしなかったのか出生届を偽ったのか
大人の都合や社会制度によって家族身分に組み込まれた悲劇を
乗り越えて恋を実らせる純愛が
途中で「父親が同じでも愛している」と告白する場面で
ぎくりとしない大人がいるだろうか
あわや兄妹愛と思わせて実は父親は違う人間だったという
落ちで幸せなハッピーエンドになる結末が腹立たしい
自分の出生の経過を知らされない人間にとって
ぞっとする事実に遭遇した気持ちはどんなだろうか
差別に対抗する手段が麗しい恋愛物語であるだろうか
いや、差別は再生産されていくだろう
差別される側の心に沿った一言がほしかった
戸籍差別と出生差別を見えなくさせる「美しさ」をわたしは許せない
尚、「コクリコ坂から」は性別役割分業を助長するアニメ作品なので
子どもさんにはみせたくないアニメです
コメントは控えますが、父は満州、母は朝鮮半島から
引き上げてきております。自分の子どもたちが、父や母が
引き上げてきた年齢のときに「この年頃で引き上げてきたのか」と
驚いたと言うか、なんかもぉ必死だったんだろうなあと思うのです。が、最近の
ご高齢の方のキレた振る舞いは、はっきりいってその時代の副産物だとしてもガッカリ・・・。