Nicotto Town


小説日記。


主よ、人の望みの喜びよ【短編】




 きっといつかは救われるから、私は待つの。

 きっといつか救ってくれると信じているから、私は誓うの。

 神様、貴方だけを愛しています。




 赤、黄、桃色のコントラスト。
 広がる鮮やかなキャンバスに、波紋を広げて歩む。

「お父様、お母様」

 キラキラ光るステンドグラスの表面に、飛び散るグロテスクな斑紋が綺麗だった。
 鼻を突く異香と惨憺たる血肉の絵筆が黙って私を出迎えた。
 踏みしめる真っ赤な水溜りが黒い修道服に跳ねて染みれば、私もこの惨劇の一部となる。

「ただいま帰りました」

 反響する声がやがて私に戻ってくるまで、聖書を抱えて立ち尽くしていた。
 そこへ足を踏み入れる勇気が無かった。
 分かっていた、転がっている彼らが誰なのかくらい。
 でも、でも、見たくなかった。

 生活が苦しいことくらい分かってた。
 私を養うお金がもう無いことも分かってた。
 今晩のお夕食が腐りかけの林檎一つだけなのも分かってた。

 嗚呼、神様。
 自ら罪を犯してしまうほどに、追い詰められた私たちを救ってくださらなかったのは何故ですか。
 私たちが何をしたというのですか。
 それとも、これが救いなのでしょうか。
 生きている苦しみから解き放たれることが史上の喜びだとでも仰るのでしょうか。
 涙も出ない私はとんでもない薄情者なのでしょうか。
 私は狂っているのでしょうか。
 私は、わたしは。

「おかえり、メリエッタ」

 遠のきかけた意識の端を、白い手が掴んだ。
 黄色い瞳を瞬かせて、メリエッタは前を見た。
 パステルカラーの薄紫の髪をした少女が佇んでいた。
 アメジストの瞳と目が合えば、抱えていた聖書が彼女の髪と同じ色をした魔道書だと気付いた。
 ステンドグラスの下で燃える紫色の炎の正体を、私はもう知っていた。

 小さい頃から、ずっと彼女と一緒だった。
 どんな時も、何をする時も、彼女と一緒だった。
 でも、姿を見せてくれたのは初めてだった。
 彼女が本当は居ないことを分かっていた。
 けれど、いま目の前で八重歯を見せて微笑むのは、間違いなく彼女だった。
 彼女にヒルデガルトという名前を付けたのは私だった。

 彼女は私の光だった。

 生ける光の影が私、2人はいつも一緒だった。
 そうか、私が持ってたのは最初から聖書なんかじゃなくて、

「ただいま、ヒルデガルト」

 握られた手はとても冷たかった。
 踏み出した足は血だまりの中で沈み、彼女と共に踊る。
 心から笑った。
 これが私に与えられた素敵な運命で、彼女は私の最高の友達で。

 彼女に差し出された黒い便箋を片手に、私は学園の門を叩いた。
 もしも私が志半ばで倒れたら、その時は貴女が私のことを食べてね。



 ね、約束よ。



*****


オリジナル創作企画⇒即興の茶番劇-トッカータ・バーレスク-

終わり




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