私の家がゴジラに潰されていたら…
- カテゴリ:映画
- 2016/08/23 20:45:10
今日の午前中は、年に一度の健康診断。
午後は時間が空いたので…
庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』を見てきました。
映画の情報を見ると、
今度のゴジラは、
私が住んでる街を破壊していくようなので、
私の家が潰されていたら、
東宝に損害賠償請求を起こしてやろうかと… ☆\(ーーメ) やめなはれ
…で、見たら、結構、面白かった!
以下、ネタバレ注意!
そして安寿のオタク知識、フル・スロットル! ☆\(ーーメ) いい歳して
この映画は要は、
エヴァンゲリオンが出てこない『エヴァンゲリオン』。
そして『エヴァンゲリオン』で、
国連軍の防衛ラインを次々に突破して、
第三新東京市に近づいてくる使徒に該当するのが、ゴジラなわけです。
そして、『エヴァンゲリオン』に登場する対使徒特務機関ネルフ。
そこには一癖も二癖もあるスタッフたちが集まっていて、
対使徒殲滅作戦を展開しているわけですが、
この映画で、その役割を果たすのは「巨大不明生物特設災害対策本部」
通称「巨災対」(笑)。
各省庁や研究機関の精鋭というか、はぐれ者というか、
ともかくそんなメンバーが集まって、
自衛隊やアメリカの特務大使や米軍と共に、
対ゴジラ殲滅作戦を展開していくわけです。
『エヴァンゲリオン』では、
日本中の電源をエヴァンゲリオンに送って使徒を倒すという
ヤシマ作戦なるものがありましたが、
この映画で行われる自衛隊・米軍・巨災対合同の作戦名は、ヤシオリ作戦(笑)。
これでもかこれでもかと、
畳みかけるように攻撃パターンを変えては、
ゴジラを攻撃していく自衛隊のリアルな戦闘シーンは、
『エヴァンゲリオン』の初回放送シーンそのもの。
ゴジラが吐く放射能なんて、
庵野秀明監督が描いたという『風の谷のナウシカ』の巨神兵のシーン、
その巨神兵が吐く光線になってますよ。
覚醒し、荒れ狂う破壊の神になっているのです。
つまり『エヴァンゲリオン』では、
覚醒し、暴走し、神に近づいていくのが、
エヴァ初号機であるのに対して、
この映画では、ゴジラが覚醒しちゃうのです。
『エヴァンゲリオン』の
少年少女の心理描写や人間関係みたいなものはすべて捨象して、
覚醒し、暴走し、荒れ狂うゴジラと、
そのゴジラを、テンポよく、かっこよく攻撃していくこと、
この点に特化されている映画だと言えましょう。
次に興味深かったのが、
このような事態に対して、
首相官邸を中心に政府各機関がどのように動き出していくか、
そのプロセスの描写。
最初は、事なかれ主義で片づけようとしていた政府閣僚たちですが、
事態が徐々に明らかになるにつれ、
自衛隊による救助活動ではなく防衛任務、
すなわち、巨大不明生物駆除のために、
住宅密集地での武器使用を許可する判断を
首相官邸は余儀なくされていくわけです。
前例のない事態に対して、
情報の不足や事態の思わぬ展開に振り回されつつ、
それでも対策本部が設置され、
有識者の意見聴取が進められ、
首相や官房長官による会見が開かれ、
自衛隊法など、法治国家という枠組みに縛られつつも、
最後は超法規的措置として、
首相の裁量の下、対ゴジラ戦への態勢が整っていく。
政府、あるいはすべての大きな組織は、
トップが動かしているというよりも、
様々な人間が様々な思惑を抱え、
押し合いへし合いしながら、
どこかに向かって動いている一つの生き物。
それはどう変化し、どこへ動いていくのか見当もつかない
もう一つのゴジラのようなものなのです。
それでも混乱した事態の中から、
次第に運営態勢が整い、
官僚制組織の弊害を乗り越えて
各組織が有機的に動くようになり、
最終的には首相の決断による、
多摩川での対ゴジラ戦が開始されていく。
そういう様々なしがらみを抱えつつも、
組織が立ち上がり、曲がりなりにも機能し始め、
皆が一つの目的に向かって力を合わせていく描写が
結構丁寧に描かれているのでした。
そして第三に、既視感があるカタストロフの描写。
「巨大不明生物」が狭い川を遡行してくる際、
係留されていたボートや漁船が、
押されるようにして川を遡り、
住宅地に溢れてくる光景は、
正に東日本大震災の津波そのもの。
その「巨大不明生物」が通過した後のがれきの山もまた、
津波が引いた直後の被災地の光景でした。
ゴジラを横倒しにするために、
周囲のビルを爆破していく光景は、
9・11で世界貿易センタービルに旅客機が突入し、
爆発した時の光景そのまま。
やがて事態は、
米軍や国連を巻き込み、
国連軍による熱核爆弾攻撃が予定され、
各地の受け入れ態勢も整わぬ内に、
2週間以内に東京近辺から住民の強制避難が始まるのですが、
これもまた突然の原発事故によって、
着の身着のままの避難を強いられ、
今なお避難生活を余儀なくされている方たちの姿と重なります。
このような既視感のある光景が挟まれていることで、
この映画はもはや怪獣映画などではなく、
壊滅的なカタストロフの記憶を呼び起こしつつ、
そのような状況の中でも、
なんとか事態の打開に向けて人間たちが苦闘していく、
そういう運命の暴威と
それに立ち向かおうとする人間たちの映画になっているような気がするのでした。
そして最後に触れておきたいのが、伊福部昭の音楽。
伊福部昭は、ゴジラのテーマ曲を初め、
東宝の怪獣映画で有名ですが、
私は日本の作曲家の中で、伊福部昭が一番好きです。
「シンフォニア・タプカーラ」を聞いてみて下さいな。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=6C_mpoYSkfg
北海道の雄大な大地の中で生きるアイヌの人々が曲のモチーフなんです。
伊福部が怪獣映画のために書いたテーマ曲やマーチは、
当然のことながら、異なる怪獣映画の中に分かれて使われているわけですが、
今回は、それらの中でも特に人気のある曲が
この映画のここぞという場面に惜しげも無く使われているのです。
Youtubeに『エヴァンゲリオン』と伊福部マーチを合成した動画がありましたが、
↓
https://www.youtube.com/watch?v=nmwU9B1LLBY
要はこれを実写で、ゴジラ相手にやってしまったのが、
今回の映画と言えるでしょう。
…というわけで、
予告編ではなく、どなたかが編集したYoutubeの映像ですが、
これが『シン・ゴジラ』の雰囲気をよく伝えているかと…
↓
https://www.youtube.com/watch?v=KP9YMR-QW4s
それにしても…
京浜急行、弱っ。
江ノ電、避難命令が出てるのに走っていてはまずいだろうに。
そしてJRよ。特攻兵器になってしまったか…
なんのことかわからない人は、映画を見てね。