水色の傘
- カテゴリ:日記
- 2016/11/14 22:19:44
入院してる父に会って来ました。
小柄だけれど筋肉質でスポーツ万能だった
以前の姿は見る影も無くなって、
痩せて骸骨の様になっていました。
手をとると、皮膚の下の肉は無く、
半透明の皮膚の下には骨が透けて見えそうでした。
体温は低くひんやりした細い指先。
兄は今年いっぱいだろうと言ってました。
わたしの顔を見て、
名前はなかなか出て来ませんでしたが、
数年前に脳出血で倒れた頃よりも、
視線ははっきりしていて、言葉もはっきり、していて、
やがて、わたしの名を呼んでくれました。
元気でいるんだよ、元気が一番だよ、と
繰り返し言ってました。
胸がつまって、涙がこぼれ落ちて行きました。
父の頬を涙が伝って行きました。
水色の傘を差して、降りしきる冷たい雨の中を
公園の縁を回る道をゆっくり歩いて行きました。
傘の中で、ゆっくりと涙は引いてゆき、
許す気持ち、許された気持ちになってゆきました。
もう、会えないかも知れません。
それでも良いという気持ちに次第になってゆきました。
きっと、今生の別れになるのでしょう。
お父さまにもnekoyamaさんの気持ちは伝わっていると思います。
その手をこころの中で抱きしめて…
お父さまはわかってくださいます…nekoyamaさんのこころ…
お父さまご病気なんですね。
私はだいぶ前に父を亡くしましたが生前の父を思い出してしまいました。
・・・・・
人は死から逃れることはできませんが
今を大事になさってください…
今の私残された母はアルツハイマーで父のことはもう記憶から消えてしまっています。
今年も父の墓参りに行きますが…実家からも遠く母も行くことはないので思えば少し寂しくなります。
父のことを書いたブログが過去にありますので
よかったらお読みになってください。
父はこわいだけの人でしたがやはり私のことを大切に思ってくれていました。
http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=925722&aid=53827307
心配してたんだねー
ウチの父も亡くなる前に
すっごくつまらないことで電話してきた(生まれて初めて てか一生一度か)
後で
「きっと会いたかったんだよ」と
近所のおじさんが言ってた