Nicotto Town



自作小説倶楽部1月投稿

『エクシー』

あれは僕がまだガウェインから見下ろされるような背丈の子供だった頃です。ガウェインというのは父が飼っていたボルゾイ犬の名前で、時々僕を鼻でつついたり押したり、自分手下だと思っていたようです。当時は父が海外で長く仕事をしていて、母は社交で忙しく。僕の世話は家庭教師のミス・ルートと数人の召使の仕事でした。ミス・ルートは青白い顔に時々口をへの字に曲げる癖のある陰気な女性で彼女の眼鏡がきらりと光ると何か叱責が飛ぶきざしで、僕は何度ひやりとしたかわかりません。大人に囲まれた僕は当然、ひどく退屈した気難しい子供になっていました。そのころ僕が考え出した遊びが一人かくれんぼです。示し合わせてやるのではなく。ミス・ルートやほかの召使から隠れるだけです。食事や勉強の時間に僕がいないことに気が付いてみんなが僕を探し回る気配を楽しむのです。しかし、子供の浅知恵では広い屋敷のどこに隠れてもすぐにミス・ルートかガウェインに見つかるようになってしまいました。僕は躍起になって屋敷のあちこちに隠れる場所を探しました。
そして屋根裏部屋の鍵が開いているのに気が付いたのです。
中に入ると小さな天窓からかすかに明かりが漏れて中の様子がわかりました。
多くのものは布が掛けられています。天井から伸びた鎖に鉄製の鳥かごがつりさげられていました。その時です。歌が聞こえたのは。美しい声でした。
「誰?
声を掛けると歌が途絶えます。急に部屋の空気が冷えたような気がしました。 
「ねえ、誰?
「坊ちゃん。ここに入ってはいけません」
問いに答えず、声は言いました。僕は少し怖くなったものの。無視されることに腹を立てました。
「一体誰だ。僕に失礼な態度をとるとミス・ルートに言いつけるぞ」
 
「それは止めてください。私には、名前が無いの」
どこかに隠れたまま姿が見えず、そんなことを言う声の主に僕は驚きました。名前は誰にだってあるものじゃないか。
「そろそろ出て行って。ミス・ルートがここに来る前に」
「ここなら大丈夫だよ」
 
「いいえ。あの犬があなたの臭いを覚えていて、鼻で見つけてしまう」
ひどくおびえた声にさすがの僕もかわいそうになり。一旦引き上げることにしました。
「ねえ、出て行くから、僕に姿を見せてよ」
僕の前髪に生温かいため息が当たりました。
「坊ちゃん。私はあなたの目の前にいます。でも誰にも私は見えない」 

僕は見えない相手に興味を持って時々、屋根裏部屋に通うようになりました。彼女、そう、女の子だということは何となくわかりました。名前が無いと不便なので僕は彼女をエクシーと呼ぶことにしました。時々どこかに出かけたのか気配がしない事もありました。いる時は僕の話相手になって僕が知らない屋敷のことや町のことを教えてくれました。執事が年代物のワインを盗み飲みしていることやミス・ルートがへそくりをためていることを知ったのもその時です。僕が一番知りたかったのはエクシー自身のことでしたが、彼女は遠くからやって来たとは話したものの、どうして僕の屋敷の屋根裏部屋に居るのか、決して肝心のことを話そうとしませんでした。 

 
たまたま、年明けには父が帰国するという知らせが来ていて、母は珍しく家の模様替えを召使たちに指示して、買い物のために僕をあちこち連れまわしました。僕は自分に与えられるものにはさほど興味を示さず、雑貨屋でリボンに目を止めました。それは白くて金ラインが入ったつやつやした生地で出来ていました。美しくて色の無いものがエクシーにはぴったりのような気がしたのです。
「これが欲しい」
「こんなものどうするのよ?
当然母は不思議そうにしました。
「友達に上げるんだ」
 
「どこの子?
「知らない」
納得のいかない顔でしたが母はリボンを買ってくれました。

 

寒い日に人ごみを歩き回ったせいでしょう。僕はその晩高い熱を出しました。うなされて目を覚ますと部屋は真っ暗、看病していたはずのメイドも側にいませんでした。僕は心細くなって呼び鈴を鳴らそうとしましたが身体が鉛のように重くて思うように動きません。
「大丈夫?
すうっと冷たいものが僕の額に触れました。エクシーの手でした。僕は喜びで人が涙を流すのだということをその時知りました。
「坊ちゃん。」
 
「マシューと呼んでよ。友達だろう。ねえ、歌ってよ。最初に歌っていた歌を」
少しためらったようでしたが、僕の耳元で歌声が聞こえました。注意して聞いてみるとどこか外国の言葉のようでした。
「ねえ、その歌はなんていう歌?」
「知りません。死んだ私の母が歌っていた歌」
「悲しいね」
「大丈夫。母はきっと天国にいるから」
 
急にエクシーの手が僕から離れました。僕は引き留めようとしましたがもがくことしかできません。ドアが大きな音を立てて開き、部屋の明かりがつきました。
「奥様、落ち着いてください!」
ミス・ルートの悲鳴のような声が続きます。
部屋の入り口で母が仁王立ちになっていました。それは僕が良く知る優しい母ではなく瞳の奥に地獄の炎を燃やす女でした。
「どうして」
母がかすれた声を吐き出します。
「どうしてお前がここにいるのよ」
僕はやっと気が付きました。母が睨みつけている者、それはベッドの陰に必死に隠れようとしていました。逃げきれないと悟って顔を上げた少女は黒髪と浅黒い肌をしていました。それがエクシーなのだと。 

 

情けないことに僕はそのまま気を失ったようです。
思い出に浸っていた青年は悲しそうに現実に戻ってきた。
「当時の僕にとっては忘れるよりほかない辛い出来事でした。ミス・ルートとメイドが首になり、両親と残った召使たちは全てを僕から隠ぺいしたんです」
青年の人差し指と親指が落ち着きなく白いリボンをなぞる。
「今になってすべてを思い出した僕は母や当時のことを知っている人間にすべてを聞き出しました。エクシーは僕の腹違いの姉だったんです。外国の短い恋愛の末に彼女が生まれたんです。不幸ないきさつで身寄りを失った不義の娘を父は引き取り、母は彼女を家に入れることは黙認したものの徹底的に無視することで己の精神を保ちました。召使たちはその娘の扱いに困り、女主人に習うことにしたんです。それまでエクシーはいつだって僕のそばにもいたはずです。僕の周囲の大人たちが無いものとして扱うために僕は彼女の存在に気付くことが出来ませんでした」
「それで、お姉さんの行方を捜したいということですね」
 
確認すると青年は頷き、学校の名前を告げた。遠い地方の寄宿舎からエクシーは脱走したらしい。
青年が帰ると俺は出張の日程を調べ始めた。調査費は出してくれるだろうが、厄介だ。
日が傾き照明をつけようとして俺は青年が座っていたソファの上に白いリボンが落ちていることに気が付いた。大事なものなのになんてことだ。

それを拾おうと手を伸ばした時、どこかで歌声がしたような気がした。

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2017/02/05 14:49
最後の一文が救いかな^^
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2017/02/04 08:42
お姉さん、ドラえもんのあの「石ころ帽子」をかぶせられていたかのような……@@;
周りがいないものと扱うと、実際に目に見えなくなる。人の心理、不思議で興味深いです。
姉弟に幸あれ、なのです;ω;
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2017/02/04 08:16
お姉さんと再会できますように
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2017/02/04 01:16
この弟である「僕」の存在は幽霊のような姉にとって救いだなあと感じました
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2017/02/02 12:15
秀逸な掌編ミステリー
読んでいて判るけれども、語り手が探偵に切り替えるところで、一行あけしておいたほうが読み手には親切かなあとも感じました。
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2017/02/01 21:40
子供達が受け止め受け入れるには辛い事ですね。



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