Nicotto Town



2がつ9にち

窓の外が昨日までと違う景色、、、


雪 降ってるー


といっても少しだけどね

まだまだ寒い日が続くのでしょーか、、、



さて、今回はこんな記事を

改めて読み直すと、、、イイこと書いてあると思う


http://yocchan31.blogspot.jp/2017/02/11.html
フィンランド式学校教育は「詰め込まない方がいい」と示している - 11の要素

国際機関のひとつに経済協力開発機構(OECD)という組織がある。

たとえば、2003年のPISA調査の結果によると、日本の15歳児の数学的な読み書き能力全体の平均得点は534点で、香港、フィンランド、韓国、オランダ、リヒテンシュタインと統計的な有意差がないため、1位グループであるといえる、と要約されている。

しかし、ここで注目したいのは日本の生徒が1位グループにあるかどうかではない。

フィンランドやシンガポール、あるいは、日本やエストニアの生徒は1位グループの常連である。中でも、フィンランドでは授業時間が短かく、宿題は皆無だという。それでも、トップグループにいられるのは何故か?要するに、トップグループの間ではフィンランドは他の国とはまったく違った教育方式を採用しながらも、好成績を実現しているのである。

 

<引用開始> 以下抜粋


私がフィンランドに到着した時、数学の授業に挑戦させるような偉大で、派手で、独創的な考えを自分の目で見ることはなかったし、特に数学に秀でている生徒や数学の内容を奥深くまで理解している生徒を見い出すこともなかった。事実、中学校や高校での数学の授業はインディアナ州で私自身が典型的に経験してきたものとほとんど同じであった。(基礎的な事柄を記憶してはいない生徒のように)苦労させられる課題や内容はほとんど同じである。フィンランドでの数学の授業やその構成の仕方は何世紀にもわたって数学の先輩教師らによって編み出されてきた方式を踏襲している。つまり、教師は宿題を復習し、知恵を与える(何人かの生徒は先生の言うことを良く聞き、何人かの生徒は聞こうともしない)。そして、宿題を課す。いくつかの授業は素晴らしく、立派な先生を何人も見た。その一方で、全体としては、米国の中学校ではもっと興味をそそる授業をし、生徒たちと一緒になって数学の問題を解こうとする先生たちをたくさん見て来た。数学の授業が私の勤務する学区よりも素晴らしく、それを測定することが可能な事例に遭遇することは非常に稀であって、むしろ、実際にはもっと貧弱な例がいくつもあった。

いったい何が違うのか?中学校での数学の授業が米国で見る授業と同じであって、ややもするともっと貧弱でさえあるとするならば、どうしてフィンランドの生徒は高成績を収め、米国の生徒は貧弱な成績に終わるのであろうか?授業そのものにはそれ程の違いはない。上手な教え方はどこの国でもほぼ同じだ。上手な教え方はフィンランドでも米国でも見い出すことができる。(悪い教え方についても同様なことが言える。)その違いは形としては現れにくく、より根源的だ。フィンランドの人たちは「少ない方がいい」と本当に信じている。この国家的な合言葉はフィンランド人の信念に深く刻み込まれており、フィンランドの教育哲学の指針となっている。

少ない方がいい。 

これを彼らは信じている。彼らはこの信念に従って行動している。彼らの家屋は快適に生活するのに必要な面積よりもはるかに大きいわけではない。彼らは決して多くを買わず、浪費はしない。彼らは単純で謙虚な生活を送る。10種類ものシリアルがあれば事足りる時、300種類ものシリアルを持つ必要性はまったく感じないのである。女性は化粧を少ししかしない。男性は巨大なトラックを所有しようとはしない(あるいは、車を持とうとさえも思わない)。何百点もの安物の衣料を購入する代わりに、フィンランド人はたった数か月ではなく何年も持つような高級品を何点か購入する。彼らは「少ない方がいい」という考え方を本当に信じており、それに従って行動する。

それとは反対に、米国ではわれわれは本当に「多い方がいい」と信じて、自分の生活においてもわれわれは常にあらゆる面でより多くの物を求め、より多くの物を購入する。自分たちの生活の質を高めるために、われわれは新しい物や輝かしい物、あるいは、刺戟的な物に憑りつかれている。古いものは捨て、新しいものを取り込む!この「多い方がいい」という考えはわれわれの生活のすべての面に忍び込み、それはわれわれの教育制度をも混乱させ、窒息させる。

ひとつの教育哲学が実際に役立つのかどうかを見極めるために十分に長い期間その哲学をしっかりと守ることさえもわれわれにはできない。われわれは常に新しい手法や考え方、あるいは、構想を試そうとする。当面、われわれは「もっと多く」がわれわれの教育課題のすべてに対する答えであると信じている。より多くのクラスを編成し、毎日の学科編成を長時間にわたって埋め尽くし、より多くの宿題を与え、生徒に対してはより多くの圧力をかけ、盛りだくさんの授業を行い、より多くの会合に参加し、より多くの課外個別指導を行い、そして、もちろん、より多くの試験を行う!その結果、すっかり疲れ切った先生が多くなり、疲労困憊した生徒が増え、欲求不満は高まるばかりだ。

ところが、フィンランドでは「少ない方がいい」と皆が信じている。これは先生方や生徒たちの両者に対して幾つかの例証を挙げることができる。

詰め込まないことが結果としてはより多くの成果をもたらす!


1.  公式の義務教育はより少なく - より多くの選択肢を

2.  学校での時間はより少なくする = より多く休ませる

3. 授業時間をより短くする = 計画を練る時間をより多くする

4. 先生の数をより少なくする = 一貫性を高め、生徒の世話をする 

5. 先生を志望する申請者のうちで受理される数はより少なくする = 先生に対する信頼をより高める

6. より少ない授業 = より多くの休息

7. 試験はより少なくする = より多くを学ぶ

8. 授業の課題はより少なくする = より深くする

9.  宿題を少なくする = もっと多くの事に参加させる 

10.  生徒数をより少なくする = 個々の生徒により多くの関心を

11.  組織化をより少なくする = より多くの信頼を


この方式でもっとも重要な点は信頼だ。組織化ではない。不信の目でお互いを眺めたり、そのシステムがうまく稼働しているのかどうかを確認するために組織化し、膨大な量の規則を設け、テストを行う代わりに、フィンランドでは単に自分たちのやり方に全面的な信頼を寄せる。学校が立派な先生を雇い入れることに関して社会は信頼している。学校は個々の先生が高度な訓練を受けた個人として信頼を置き、先生には自由を与える。その結果、先生は個々の生徒にとって最良の授業環境を構築することができる。親たちは子供たちが良く学び、立派に成長していくように支援をしてくれる先生方に信頼を置く。先生たちは勉強をし、学習の利益のために学ぶ生徒たちを信頼する。生徒は自分たちが成功裏に勉学を続けるのに必要となるあらゆる術を与えてくれる先生を信頼する。社会はこの方式を信頼し、この教育方式が享受して然るべき尊敬の念を持ってこれを受け入れる。これはうまく機能し、決して複雑ではない。フィンランドの人たちはそれを巧みに見出したのである。

少ない方がいい。 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 




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