Nicotto Town


五飯田八宝菜の語学学習日記


ゴタぴょんの日記2012年12月11日 Ⅰ

2012年  12月11日 (火)


【 ブラジル人のご案内】


午前8時30分。ニューオータニ正面玄関。 


きょうのご案内は、外国人10名
・・・・のはずが、

人数が増えて16人。 

但し、日本人の添乗員さんが1名ご同行。 


さて、その外国人というのは・・・・英語ではなく、
な、な、何と、ポルトガル語を話している! 

ポルトガル語は、本国ポルトガル語と、
ブラジル・ポルトガル語があります。
違い目は、 
たとえば、グッド・モーニングに当たるボン・ジーア 

Bom dia 

と綴りますが、これを本国では、
ボンディーアと発音します。 

おおざっぱに分けると、
軟音のボンジーアがブラジル、
硬音のボンディーアが本国。 

まあ、それは、いいとして、きょうのお客様、 
ホテル側の説明では、 


「英語のガイドで大丈夫ですので。」 


ということでしたから、快諾したのですけど・・・ 

英語は、ほとんど、誰にも通じません。
何?お前の英語がでたらめだから?すまんのう。 

ご同行の添乗員さんが、
見事な、ポルトガル語を話します。

もう、実質この人が通訳ガイドでした。
ゴタは、日本語で、
この添乗員の加奈さんに説明し、
加奈さんがポルトガル語に通訳します。 

それで、ゴタは、英語の通訳ガイド料金をもらったの。
(サギやで。) 


交通手段は、マイクロバス。
これは、ゴタが運転を担当。 

行程は、 

ニューオータニ ~ 奈良・東大寺 ~ 
 ~ 京奈和自動車道 ~
 京都駅(昼食) ~ 清水寺 ~ 金閣寺 ~
 阪神高速京都線・第二京阪 ~ ニューオータニ 


何が悲しい、口惜しいといって、
ゴタの英語の出る幕はありません。 

たとえば、戦艦大和が、
大砲を撃つ機会がなかったように。 
そして、敵機の襲撃を受けて、
海のもくず(もずくちゃうで)となったように。 

そのように、ゴタは、英語での説明をあきらめ、
もずくだか、
もくずだか、ゴボゴボと沈んで行った。   
たった1回、それも朝、拍手を受けたのは。 

それは、ポルトガル語で、次のようにバスの中で、
みなさんにご挨拶したときでした。 

 ボン ジーア       (おはようございます) 
 メウ ノーミ エ ゴタ。 (私の名前はゴタです。) 
 ムイント プラゼール   (どうぞよろしく) 

ちょっと、ポルトガル語、まじめに勉強して、
今度、ポルトガル語で、ガイド試験受けてみようか?

ふと、そういうアホな考えが脳裏をかすめた1日でした。 



   【東大寺】 

元タクシー運転手のゴタが県営駐車場
(シーズン中はバス専用になります)に、入るのは、 
実は今回が初めて。
たいていおみやげ屋さんの駐車場に入れていた
(買い物をすると無料) 
ものですから、入る前は、やや不安。 

  (どこで、曲がるんだったかな?) 

それをお客様に悟られると、
不安を与えるので、知ったかぶり。

外は鼻歌、内ドキドキ。
目はギラギラに、弁舌たくみの役者ゴタ。 

 (駐車場じゃなかったら、どうしよう? 
そのときは、転害門(てがいもん)
まで行って、そこから歩いてもらおう。 


  「お客様、この門を通れば、
   神々の祝福があるんですよ!」 


   とか何とか、話をでっちあげよう。 

  ( 何ちゅうガイドや!
    資格剥奪ものじゃ。
    一般公開は今夜終了予定。) 


ブラジルのお客様のうち、英語がOKなのは、
15名中、やく半数。 
コンシェルジュさんの方では、
この半数の方々が、

  英語=ブラジル語

という間の通訳が出来るから、 
というので、
ゴタを指名してくださったのであろう。 

だが、そういう通訳をするなんて、
お客様サイドでは、了解してはりませんで。 
こういうときは、添乗員さんが頼みのツナサラダ。
ベーコンエッグ。何のこっちゃ。 



【南大門】 

添乗員さんがおっしゃるには、 

  「ゴタさん、説明を私にしてくだされば、
   彼らには、私がブラジル語で説明しますから」 

助かります。
見渡せば、我らツアー一行の中に、
ツアー旗を掲げている人がいます。 

   (おお、すっげー。) 

その旗はブラジルの国旗です。
何と、先にマスコットをつけています。 
まるで、日本の添乗員のもつ旗さながら。 


説明は、日本語でしまして、
そのあと、添乗員さんが、ブラジル語で、
さらにゴタが英語で説明。 

    

ゴタ  : 南大門は国宝です。
      建造は、大仏開眼の
      あった年と同じく742年。 
      寺の創建741年の翌年です。 

      高さ25m。
      天井覆いのない柱組が見えるこの作りは、
      天竺様(てんじくよう) 
      と呼ばれます。 
    
      左右には、金剛力士像が
      仁王然と立ち守ります。 

      1180年の平家焼き討ち、
      また、戦国時代(1567年)の戦火により、 
      焼失されたこの門は、鎌倉初期の再建です。 

      運慶と、快慶、そして、
      その弟子18名による合作で、
      わずか、69日間で制作されたといい伝わっています。
      
      高さは8mとプラスアルファ。国内最大です。 


      Nandaimon (south big gate) is designated
      as one of national treasures. 
      They date back to AD 742. 
      one year after the temple was constructed. 

      The style of the gate is called "tenjikuyo" 
      or tenjiku style that derived from old Indian.    

      On both sides, two Buddha images stand watching. 
      But they were destroyed by either fire 
      of Heike clan in 12th century 
      or the fire of Sengoku medieval battle
      in 15th century. 
      This one was reconstructed later
      in Kamakura period around 13 century. 

      Unkei and Kaikei ( who were ) noted sculptors 
      and their 18 pupils at that time
      carved and completed them 
      only in 69 days. With the height of more than
      8 m the two are said to be the biggest of all in Japan. 

これと同時に加奈添乗員さんのブラジル語。
ゴタも昔は勉強していましたが、 
もう、さっぱり忘れてしまいました。 
       

Ⅱにつづく
ゴタぴょん






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