Nicotto Town



被造物と作者 解決万能主義と素読


ある私学の報道で世間が賑わっており、興味深く眺めております。
いつものように世論の論調や道義的問題などとは無縁なことを考えています。
この件から連想し考えたことは多岐に渉ります。少々長いのでご容赦あれ。

被造物と作者の関係とは、と尋ねられた場合、私は偶然の産物だと答えたい。
テクスト原理主義といいますか、被造物のみをアレコレ考えるという立場です。
刻苦勉励の人生も、放蕩無頼の果ての死にざまも、どちらも同様にドーデモイイ。

ティツィアーノやプーシェの欲望に忠実な官能的な作品群が大好きです。
どんな背景で描かれたかということよりも、ルノアールもクリムトも及ばぬ、
あの放埓な肢体の見事な美を論じれば事足りると思っております。

白塗りの化粧して赤いランドセル背負ってハコに現れる阿部薫の奇行と、
傲岸不遜な発言、誤謬と虚偽で固めた連合赤軍的なガキの理論武装は、
彼の奏でた垂直に立ち昇り続ける彗星の如き音の軌跡とは一切無縁です。

文学、学問、科学も然り。考案者と被造物の関係なんてどうだって宜しい。
鴎外がドイツで若い娘ひっかけなくても『舞姫』は書かれたかもしれぬし、
大統一理論の底にある西洋的自然観を敢えて批判する必要もないだろう。

……わ、かなり話が離れてしまった。軌道を修正し明確にします(無理か)。
被造物は創造者の意図を離れた解釈・評価を受ける権利を持って生まれる。
価値や有害性の判定は他者に委ねられる。私の嫌いな『歴史』もソレ。

さて、合理主義万能の現代、答えのないものを教えることが忌避されている。
だが知性とは問題解決力の量的差異ではなく、問題を見つけ抱え続ける力だ。
問題を発見する。自分だけの、誰も考えたことのない謎を見出し、内に抱える。

この点で私は無神論者であろうと思われる。究極の答えなど存在しないのだ。
未知を既知に置き換える知性とは逆に、既知の未知性に驚き思索を続ける生。
これが私の考える(また信じたい)知性の本質だと妄想して生きております。

ワケ分からないものを、前時代の思想をただ暗唱させる行為が非難された。
何を暗唱させたかが問題となっているようだが、問題の本質はそこなのか?
古典の素読という行為の強制は、決して否定されてはならぬと考える。

オマエが切り捨てたテキストの思想が問題なのだ、と非難する方もいよう。
では相田みつをの詩を暗唱させれば賞賛するのか? 国際人権規約か?
どうでもよろしい。我が闘争でも、シュールレアリズム宣言でも一向に構わない。

暗唱は強制されるべきである。自発的学習は望むべくもない。
素読は人ならざるものを人に仕上げるための有効な方法の一つであろう。
もちろん、こう付け加える事を前提としたうえでの話なのだが。

・あなたにひとつの『かたち』を伝えました。そこに依って立つ方々がいます。
・あなたはどこに立ちますか。そこでも、そこと正反対の位置でも構いません。
・あなたの『かたち』を見つけるため、命の限り、考え続けてください。

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現象学的アプローチも好きなので、非常に偏った内容になりましたです。
私が切り捨てた部分はマスメディアと善良な市民の方々が補完しているし。
その切り口にも思う所はありますが、とりあえずこれで充分です。陳謝。

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2017/03/11 07:39
>ヘルミーナさん

付け加えた三行は……私の道楽であり趣味に過ぎぬ。そう考えるようにしてます。
多様性を容認することは善や正義ではなく、おそらくは一種の趣味、嗜好なのでしょう。
垂直進歩と良識が跋扈する現代、おそらくは『ぬるい』『偏向』と批判され消滅するのだと思います。
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2017/03/10 12:23
>古典の素読という行為の強制は、決して否定されてはならぬと考える。

とっても同感です。
素読、がATOKでも変換できない(!)現在、
素読が教育に取り入れられていれば、
べつの知性を獲得できていたと考えるからです。

そして「こう付け加えること」は、
本来ものを考えるときには、というべきものではありませんか?



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