期待と約束に関する重要な法則
- カテゴリ:30代以上
- 2017/03/12 18:47:24
期待を込めて相手に要求する場合、それを了解と言うことはできません。
実際、それはむしろ命令に似ており、相手がそれに従うことを要求している
わけです。本当の了解がないときに、相手が自分の言うことに従うと、
私たちはそれを愛の証しであると考えますが、
その考えは明らかに間違っています。
相手に何かを強制することは、「無条件の愛の法則」に反している以上、
相手が愛の証しを私に与えてくれるはずがありません。
それは、タマネギの種をまいておきながら、ニンジンを収穫しようと
するようなものです。まいた種を刈り取る、という法則は、物理的、心理的な、
あらゆる領域に適応されるのです。
もう一つ覚えておく大事なことは、自分の在り方に関しては、
何も約束できないということです。したがって、相手に対しても、在り方に
関して約束させることはできません。私たちにできるのは、なにをするか、
何を持つか、ということに関する約束だけです。
人生が終わる時は魂の思い出しか持っていけないんだ、と
「期待」というものを持たないようにしています。。
なので、友人には感謝の言葉しか出ないかも・・・
私の高校はミッションスクールでしたので
当時の聖書の授業を思い出しました。
でも時が経ち、このような境遇に自分が立たされた時に
また困ってしまうのです。
いつまでも成長していません。
「愛」にも色々な「愛」がありますよね・・。
神様や親・子に対する「愛」は無償と考えますが
異性への「愛」は(従うことを要求)されると、たったそれだけで
嫌な気持ちになります。
そしてそれが重い要求の場合、関係も修復出来ずに終了。
しかも厄介なことに相手から強制された事実をその相手に
気付いて欲しくて醜い言い合いにもなります。
そのような理不尽なことを要求された場合、聖なる方々は
どのような態度で臨むのでしょうか?
何十年生きても分からない自分がいます。
どこかで期待するから、 腹が立つから、 期待しない方がいいといわれました。
私は当たり前のことをしないと思っているのに 人参に玉ねぎを期待してるんでしょうか??