本来無一物という禅語。
- カテゴリ:日記
- 2017/04/16 00:29:56
本来無一物。
有名な禅語です。
何も持たない。ゆえに禅語は
「いずれのとこに塵埃をひかん」と、続きます。
本来人間は汚れてなどいない。
と、解釈する事もできます。
しかし、それではボクは納得できませんでした。
そこでここに。
般若心経の言葉を付け足します。
不垢不浄(ふくふじょう)
垢があるわけでもないし、清らかというわけでもない。
まあ、これで納得できる人は少ないかもしれませんけど。
コラム。
超 簡単な瞑想。
疲れている身体の部位。
今日のボク。
頭を捨てます。
目を捨てます。
耳を捨てます。
脳を捨てます。
鼻を捨てます。
心だと思っているモノを捨てます。
心臓を捨てます。
それでもあなたは存在しています。
自分が自分だと思っているモノ。
または疲れている部位を「捨てる」と、思考する。
つぶやく。
すると「悟り」の一部を「感じる」ことができます。
これは「悟り」という体験ではありません。
現実に比叡山延暦寺で和尚さんが参拝者に教えておられる、リアリティーある「悟り」の「感じ方」です。
以上、コラムでした。