題:「カメ虫」
- カテゴリ:小説/詩
- 2017/04/26 13:22:24
一
実父は、停年を向かえその後嘱託で仕事をしばらく続けていましたが、ある時足の動きがおかしいと言い出しました。何か違和感が有ったらしいのですが申し込んでいた海外旅行ツアーの日が間近だったのでそのまま旅行に出発しましたが、やはり現地でも立つ事もままならなくなったので途中キャンセルして帰国し、近所の市民病院で診察してもらう事にしました。
するとそこで即入院決定! 特殊な病気のようで、そこでは診断や治療ができないと大学病院を紹介され、準備が出来次第そちらに転院する事になりました。
その大学病院での診断の結果、100万人に一人なるかどうかの病気である事が判明!神経線維が抹消から壊死(死ぬ)して行く稀な病気であると。詳しく言うと、それは手足抹消から徐々に神経線維が死んで行き、最後は呼吸筋を動かす神経をも障害される。と云う恐ろしい病気でした。
そうです。人工呼吸器が無くてはもう生きていく事が出来なくなる、スタートボタンが押されすでに秒読み段階である事が宣言された訳です。
何とか治療の方法が無いかと、医師に検討してもらった結果、過去数例ではあるが正常な自己血液の幹細胞を増殖して、それを体中の血液と入れ替える治療法で、似たような症状の人が良くなった例があるとの事で、次はその血液専門病院に紹介状を書いてもらい転院する事になりました。
ただ、年齢的に体力がもつかどうか、それに少し進行しすぎていると担当医から説明されましたが、本人(実父)はイチかバチかこのまま寝たきりになる位なら死んだほうがまし。との回答だったのでその治療を行ってもらうようお願いしました。
すでに、その時点で発覚から1年が過ぎでおり両足は動かすことが出来ず、嚥下運動を支配する神経もダメージを受けているらしく食事が口から取れないので、頚管栄養(IVH)で直接血液中に必要最低限のエネルギーを供給するだけの状態で、呼吸筋を動かす神経も同じように機能が低下しているらしく呼吸補助装置器も装着しました。
しかし、脳はまだしっかりしていたので、会話は あいうえお表 の文字をかろうじて動く手で指差してして会話している状態でした。
母親も、車の免許を持っていなかったので、毎日バスと電車を乗り継ぎ病院まで着替えや身の回りのものを持って看病しに行っていましたし、自分も仕事が早く終わった日は、そのまま病院まで行き帰り母親を乗せて帰る日々がしばらく続きました。
体力がかなり低下していたので感染症は大敵ですが、個室病室は1日1万5000円近くするので本人の希望もあり相部屋にしてもらっていましたが、それでも1日約5000円 1ヶ月で約15万円 1年では180万円が現金で必要な訳です。
医療費は控除が受けれますので後で変換されますが、食事代や部屋代はホテルと同じ扱いなので全額患者負担です。
しかも、生命保険では同じ病名の病気で入院した場合、最高6ヶ月までの保障しか受けれない。それも生命保険は何社何口かけていてももらえる額は総合して決まった金額以上はもらえないので、半年以降はすべて持ち出しでした。
(がん保険などそうでないタイプのものも有るかもしれませんが)
さらに、難病指定の病気で無く補助金制度も受けれませんでした。
体力が低下しているので、気道感染他で常に喀痰が出るのですが嚥下も咳をする事も出来ないので、定期的に真空ドレインを鼻から肺の方に入れ引いてこないと窒息死しますので、ナースコールのボタンは命のボタンな訳ですが、抹消の神経が障害を受けているので指はちゃんと動きませんし、一度手から落としたら自分では二度と拾うことはできません。
なので、家族がいる日中は良いのですが、夜間がくるたびに恐怖だった事でしょう。しかし、自分も弟も仕事はあるし母親も離婚した弟の子供(当時2歳)の面倒も見ていたので病室に寝泊りする事はできませんでした。
ある日、担当の先生から自分含め家族が呼ばれ、体力の回復があればすぐにでも完全輸血の準備はできているが、どんどん低下していっている今の状態では治療に耐えれないだろうから、喉に穴を開けて大型の人工呼吸器を装着する事をお勧めをします。
との説明がありました。
なので自分はその事を親父に説明して、やってもらおう!と言ったのですが、親父は目を1回閉じ(YES)の返答は絶対しませんでした。
そして、涙を流しながら、あいうえお表の文字を順番に指で、 か・あ・さ・ん・を・た・の・む っと。
自分は、親父の手をにぎり、何度もうなずき 先生に、このままで良いですと伝えました。
それから何日その状態が続いたかは覚えてませんが、ある日母親から携帯に電話が入り「父さんもう息してないよ。」と
確かにその電話の入る数分前に、自分の視界の横の方で赤い光がしばらく見えていたので、ああ、親父ここに来たんだな。と思いました。
二
11月の中旬との事もあり葬祭場から車で数分である火葬場の木の椅子も冷たく、お骨を拾う順番待ちをしている時に弟が遠くを見ながら「親父うちで死にたかったかなあ?」とつぶやいていました。
・・・自分が死ぬ時はどう思うのだろう?とか考えているうちに、放送が入り長い箸で親父を小さい箱に詰め 人間ってあっけないものだなと感じながら、お墓に向かいそこで半分お骨を収め、残りは実家に持って帰って来ました。
そして、子供の頃から家族で過ごした実家に帰って来て、母が、「とうとういなくなっちゃったね。」っと言いながら、買ったばかりの立派な仏壇に残りのお骨の骨壷を置きました。
その時どこから入ってきたのか、1匹のかめ虫が部屋の電灯の周りをくるくる飛びまわり出しました。
自分は、なんでこんな寒い時期にかめ虫が!? っと思っていると 弟が
「お父さんがかめ虫になって帰ってきたんじゃない!!」っと。
しばらく飛んでいたかめ虫は、スーッと部屋の真ん中の絨毯の上に舞い降りました。
兄弟でそれを覗き込んで見ていると、後ろから母親がテッシュペーパーを取り出しそのかめ虫をそっと包み上げました。
そして、指で プチッ!
平成29年4月26日
高齢女性は特に、転倒すると骨折ですからご用心くださいませ。
りょうちん様もご無理なさらぬように。
おだいじに。
また自分の方は、だいぶ良くなりビールも飲めるようになりました(爆) #^^)
小桃さん> それは、大変でしたね。 そうですね、この世界は人間が目に見えるものだけでは出来ていないようですので、必ず見守っていてくれていると思います。(^-^)b
kokuotyaさん> はい。良いお嫁さんが来てくれると良いですね。 っと言うか近代日本国家では逆かな?(笑)
きっと婚活どころじゃなくなると思います
その前に 結婚して両親を安心させてあげたい気持ちもあります
脳出血で7ヶ月入院していました。
いまは 天に召され わたしたちを
見守ってくれていると思っています。
身につまされます。 胸が痛いです。 <(_ _)>