Nicotto Town



過去にも書いたと思うが母は帯状疱疹であった

過去にも書いたと思うが母は帯状疱疹であった。
所謂大きな繋がった「蕁麻疹」と呼ばれていた。

妹が生まれてどれ位で始まったかは解らない。
生まれてすぐに妹を抱っこしている写真が在るので其の時は
大丈夫だったのだろう。

もしかしたら1歳過ぎた頃かも知れない。
私は小学校に入る前の頃だったと思う。

私は母の体を見せて貰って私を抱っこできない理由を母に言い聞かせて貰った。
其れを見た衝撃は覚えている。
そして納得をした。
だが、妹は理解できない年齢だった。

妹を専門に面倒を見る「お手伝いさん」或いは「子守り」の若い子が雇われた。
彼女は怪我をさせてはと真剣だったのだろう。
何時も抱っこしていた。
下に置くと妹はぐずるので気にして何時も抱っこしていた記憶がある。
だが当時は若くで結婚していた。
ちょうどお嫁さんを探している人が居て
若い女の人が居ると言うので話が進んで彼女は嫁いで行った。
妹が3才くらいだったと思う。
既に「子守り」を雇う年齢でもないので妹の面倒は私に来たと
言うか、妹は私にしがみついていた。
記憶では私はしがみつく妹を引きづりながら遊んでいた様に思う。

話すと少しの段差で良く転んだ。
長い事抱っこされていたので足が弱っていたのだと思う。

何度か私は必死に縁側から石段に転げ落ちそうな妹を引き上げた記憶がある。
其れ以外にも良く転んで溝にはまって私は引き上げた。
小さな足首位の川でも気が付くとうつぶせになっていた。
そんな小さな流れでも持ちこたえられなかったのだろう。
ずるずると引きずりながら岸辺にあげた記憶がある。

私は母の体の状態を見て知っていたから
抱っこして貰う事は出来ない事と心に刻みつけていた。
妹はおんぶをして貰うと私は母の服の裾を掴むより他に無かった。

私も妹も大切な時期に何かを与えて貰えなかった。

確かにもっと過酷な境遇の人は大勢いるだろう。

だが、全く影響が無かったのかと言うとそうではない。

強烈に私の中で母が座っていても抱きつくのを我慢していた
自分が居る。

妹は其の意味も解らず其の環境の中で
神経質なまでにクズるので抱かれて居て
其の後に突然其の人が居なくなった。

其の当時の時代だ。
嫁の母は朝から晩まで働かされた。
其れが当たり前の時代で在った。

だが姑が母を気遣って無かったとは言えない。

皮膚病に良いと言う湯治場に母は私と妹を連れて日曜日には通った。

冬も妹をおんぶして私は吹雪の中を母のオーバーの裾を掴んで
通った記憶がある。

其れでも何年も治るまでかかった。

其れが治ると10円禿が母の頭にできた。

余程のストレスと疲労の連続だったのだろう。


国際社会でじわじわと治安が悪化してきている。
移民との格差は必要以上に広がっている。
何重にもはっきりとした格差が広がりつつ
重く現実がのしかかっている。

何が起きるだろうことは推測が付く。

こんな時に日本は何を言っているのかと思う。

明らかに工作員だと言う奴が堂々と「毛沢東派」をなのって
大勢70年代に組織を前面に出して居たではないか。
彼らは其のまま普通に日本で活動をし続けている。

あの国際凶悪残虐テロリスト集団赤軍派が日本に当たり前の様に
存在しているではないか。

そしてオウムに破防法をかけなかった政治家議員達の存在が
現実に日本で議員をやっているではないか。

そんな国だと言うのに「共謀罪」が出来て当然だと
今まで何で作らなかったのかと思う。

地下鉄無差別サリンテロ事件が起きた国である。

亀井戸のビルの屋上から炭疽菌を撒かれた国である。

赤軍派が存在している国である。

毛沢東派の組織が存在して其の過激派が議員をやっている国である。

大勢のテロ犯が潜在している国である。

そして「共謀罪」が出来て都合の悪い奴が平然と顔を出して反対を
している国である。

普通に多くの国が持っている法律が日本になかったのである。

マスコミのコメンテーターのあの白々しい発言。

何が「議論が尽くされて無い」だ。
議論をそらして肝心の議論が出来て無い様にさせている野党の批判は
どうして其の言葉の前に出て来ない!?

何なんだ!完全にマスコミが工作活動をやって居る事がバレバレであって
其れを隠しもしない。

民主党政権時代に日本がどんな状態になったのかも
まるで無かったかのように隠し続けるマスコミ。

東北震災の復興の遅れを言うのなら復興財源が何処に流れたのかを
何故取り上げない。

其れに触れもしないマスコミが東北震災の復興の遅れを良く言うよと思う。

余りにも此の国のマスコミは酷過ぎる。

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2024/11/29 15:23
ゆずちゃん様
母は嫁と言う立場にありました。
誰よりも早く起きて一番最後に寝ると言う生活をしていました。
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2024/11/29 07:09
のたもた様
最近あなたのブログを発見して もっと早く知れば良かったと思います。

このブログを拝見して 涙がこぼれました。私も母に 抱きしめられたことがなく。。

お金には不自由しませんでしたが 一度でいいから母に 抱いてほしかったです。
母は長いこと心臓病でした。

59歳で亡くなりました。もう逝くという母が息を引き取るまで 私は母を抱きしめました。

心の中で 私もこうやって抱きしめてほしかったと 叫んでいました。

文章が拙いので すみません。

今自分がコロナ後遺症で 寝たり起きたりの生活から 少しずつ良くなってきています。

今は とても幸せに暮らしています。たくさんのあなたの日記 これからゆっくり
読ませていただきます。ありがとうございます。
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2017/06/17 11:57
竜胆様
私の母は首の横からお腹の近くまでななめに横が20cm位の大きさだと思います。
だからスカートのウエストの部分も辛そうでした。
我子を抱く事もできません。
原因は当時は解りません。
だけど長い其の期間が治って数年後に10円禿が出来ました。
其れも当時は原因が解りません。
良い鬘が無い時代でした。
今はストレスが原因の一つと言われて休んでリラックスする環境も治療の一つにされて居ますが
当時の嫁に其の環境は与えられませんでした。
一番理解を示さなければならない家族や身内が其れをしないのはどんなに酷い仕打ちなのかを
私は其の病気をネットで調べてからつくづく母にとって厳しい環境だったのかと思いました。
高齢になって周りの上の物が無くなって親戚とも疎遠になって
母はやっと気兼ねなく私と街に買い物に出れる様になりました。
其れでも最初のうちは突然飛び上がる様に立ち上がって「帰らなきゃ、今何時!」と声を上げました。
其れ程嫁ぎ先の「家」に縛られていたのです。
「お母さん、もう誰も咎める人はいないよ、もっとゆっくりしようよ」と言う私の言葉に「はっ!」と
我に返って私の顔をじっと見た事が忘れられません。
其れからしばらくしてやっと其の生活に慣れた時は60歳を過ぎていました。
近所の同じ年齢位の昔の尋常小学校の友人や姉妹や姉妹の友人達と
無料パスを使って日帰り温泉を楽しみだしました。
待ち合わせ場所は我が家で帰ってからも我が家でおしゃべりをして帰りました。
息子夫婦や娘夫婦に水入らずの楽しみをさせる為で在ったとしても
お茶とポットを出して顔を出さない様にしていたので
大きな笑い声もしょっちゅう聞こえて来て足を延ばして座る座り方も
脱ぎ捨てたソックスも履く時に其々の靴を差がう脱ぎ方も
皆子供時代に戻った様でした。
そして私は母におしゃれを奨めました。
やっと気兼ねなく自分の為にお金を使えるのです。
せめて自分のおしゃれの為にショッピングを楽しんで欲しかった。

此の時代に原因の一つが解っているのなら、周りも多くの人が
少しの思いやりの心を傾けるだけでも良いのだと思います。
時代が嫁の立場はこうあるべきだ。
嫁の行動はこうあるべきだと言う制約の中で必死に其れを背負ったのでしょう。

でも此の時代になってまで其の病気に無理解になる必要はないと思う。

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2017/06/17 11:25
りら様
幸せのお水と素敵をありがとう♪
良い週末をお過ごしください。
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2017/06/17 06:37
おはようございます。
突然お伺いしてすみません。
私も帯状疱疹に罹っていたため
タイトルを拝見してブログ広場からお邪魔いたしました。<(_ _)>
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2017/06/16 23:33
こんばんは~☆幸せのお水と素敵をどうぞ♪
平安なよい週末でありますように~♪(⌒o⌒)ノ.+゚



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