Nicotto Town



頼むよ大学講師

だいぶ昔、わたしのここではない本体のブログで、あまりにも脳の緩んでいる某大学教授をこき下ろしたことがあったのですが、本日の朝日新聞朝刊の読者投稿欄のとある投稿を読んでいて、ため息が出てしまいました。

話を要約すると…

希望の党は今回の選挙の公約でベーシックインカム導入に向けた取り組みを掲げていたのだから、小池さんのお膝元の東京都で実験的にやればいい、カナダや欧州では部分的な実験が始まっている(始まろうとしている)。小池さんは、国政の前に都を使って新たな社会保障精度の在り方についてしっかり取り組んで欲しい

…というようなものです。

あのさ、国保や色々な補助とベーシックインカムを一緒くたにして社会保障制度としてか語らないのは、もういい加減やめてもらえないだろうか。もちろんベーシックインカム(以後BI)には社会保障としての側面はあるのですが、本題はそこではないはずです。

ハッキリしたいのだが、BIの本質は社会投資であって社会保障ではありません。
少なくとも私はそう思っています。


賃金を皆国民的に補助する発想の起源は16世紀イギリスの救貧法だと言われているようですが(実は私もよく知らない…)、いゆるBIとして定義できるアイデアは、18世紀にトマス・ペイン(高校生の社会の授業で出てきましたね)が自著で発案をしています。私もあまりよく知りませんが、19世紀には有名どころでジョン・スチュアート・ミルがBIと言えるような案を提示しています。他にも、散発的にBI的な発想は政治学や経済学、社会学の世界では続いてきていたようですが、初期のBI的なものは社会主義的というか、要するにあくまでも社会保障としての位置づけだったと私は捉えています。

ですが、20世紀になると異なる位置付けの制度としてBIが語られ始めています。ジュリエット・ウィリアムズが提唱したBIの注目すべき点は、家事従事者(つまり専業主婦/主夫)以外で、就労をする意欲を持たない者にはBIを配分しない、というところでした。その心は、BIのポイントは労働インセンティブの向上にあり、ゆえに財源は所得に比例した所得税だと。

私は、これが少なくとも現代においてのBIの本質だと思っています。

BIは、結果的に貧困救済の側面も持ち合わせますが、本質はそこではないのです。むしろ、現状で施行されているような社会保障や国家による保険にとって代わるもとしてBIを施行すると、従来の概念に照らし合わせれば、それは確実に弱者が不利になるのです。現代におけるBIの本質は、そういった社会保障ではなく、本当はベンチャーマインドを持ち、新し取り組みにチャレンジをしたいものの、現実的な生活などを鑑み踏み出せない層まで含めた闊達な労働投資意欲を、最低限の生活保障をすることで下支えし、産業、経済活動を活性化させることにあります。冒頭に言った通り、「社会投資」なのです。

今時のことです。本気でやる意思があれば、なんらかの補助金を得たり、クラウドファインディングなどで資金を集めたり、新しい取り組みへの資金集めはのやりかたは色々とあるはずです。でも、そうは言ってもそこまで踏み出せない、でもアイデアはあるんだ、という人は少なくはないはずです。あるいはそこまでの心意気ではないにしても、とにかく最低保証がされたんだから、むしろ思い切り頑張るぞ!という就労意欲を発揮できなくてはBIは意味がない。逆の見方をすれば、それができる民度を持った国民を多数抱える国でしか、そういう積極的な、攻めのBIは実施不可能なのです。


いや、そんなの当たり前でしょ、なに言ってんの?と言われてしまいそうです。いやその通りなのです。私が鼻息を荒くして言うまでもなく、そんなものはそっちの世界では常識なのです。何が専門だか知りませんが、非常勤とは言えど仮にも大学講師を語る人が、如何に新聞投稿の短い文字数制限の中だとは言え、社会保障としてしかBIを語らないなどと言うことを恥ずかしげもなくよくも出来たものだ。



と、また批判的なことを書いてストレス解消をしてしまった。
すみません。。。




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