魔女が思うこと
- カテゴリ:日記
- 2017/12/25 00:03:49
魔女は教会(のヒトたち)と、仲良くしたい。
神様は居るかも知れないけれど、
ヒトとは違う価値観を持っている。
ヒトに極力干渉しないのは、
そーゆーことなんでしょう。
魔女はヒトと共にある。
教会が説く隣人じゃないかな。
唯物的なわたしでも、子供の頃は、
名も無き神に祈ることもあった。
神にすがり祈る人たちを否定は出来ない。
優しく見守ることは、神様以外の
わたしたちにも出来ることだろう。
手を差し伸べて手を取ることも出来るだろう。
共に歩む道がひとつでは無いと信じたい。
樹木葬ですか~
植物にとってもカルシウムは必要な栄養素だと、
ウィキペディア先生も言われてるので、
植物の一部になれるのは、良いことに思えます。
亡くなった方たちの様に、多彩な樹木が植えられて、
森が出来るとすてきですよね。
資産価値の無い土地を国へ寄付することが
議論されて、裁判が起こされているそうなので、
そういう土地を、樹木葬をしつつ、長期的には
植林の結果として森に出来るといいなと思います。
Palさん、
おひさしぶりです~
お仕事忙しいみたいですね。
オウムの元教祖は、
政治に参加しようとしてたらしいですね。
本当にあれは宗教と呼べるものだったのか…
実の娘さんが最近になって、法律的に縁を切って
ネットニュースの記事になってたみたいですね。
本文は読まなかったんですが、
どんな思いを持たれていたのか、気になっています。
親と子供は別人格であると、分かってはいても、
周りのひとたちは、どう向き合ってゆけばいいのか、
難しいと感じるのかも知れませんね。
子供たちには、素直に優しく育っていて欲しいですね。
急がないと手配が間に合わないかも^^;
神もいろんな形があるよねー
他者が大切にしている神は尊重するべき
と思うけど
それが相容れない信仰形態だった場合は
敬して遠ざかるしかないのかもね
リアルタイムで見てたんだよなあ。
コメントありがとうございます。
オウムのことは…
将来を期待されてた若者たちが、聡明なひとたちが、
目隠しをされて、正常な判断力を放棄して、恐ろしいことに与する、
テロというものの本質が、
後日のいろいろな証言を通して分かって来た気がします。
同じ様なことの繰り返しが、
ISに力を与えていたのではないでしょうか。
正しい価値観と思いやりを持って導くひとが居なければ、
正しいことを教えるだけではダメなんでしょう。
思いやりをもって、ひとらしく尊重されて、大切にされなければ、
ひとをおもいやる気持ちが湧き出る心は育まれないのでしょう。
伝統は尊重されなければならないのでしょうけれど、
人々の心が移り変わり、社会の有り様も変わってゆけば、
葬儀やお墓も変わってゆくんでしょうね。
昨晩、NHKでお墓と葬儀について番組がありました。
火葬の後に、お骨を自然へ返す、自然葬というのを
台湾の自治体が行っているとゆーのが、なるほど、と思いました。
日本で増えている散骨よりも、
自治体の事業として秩序立てて行われていることが
なにより良いなと思いました。
わたしは、たぶん、
神様の作ったものでは無く、自然の一部、
やがて自然の中へ還ってゆくもの、
わたしの営為も自然の一部なのでしょう。
わたしが死して地上に残るものはすべて、
花になれるといいな、と、思うこの日の夜
魔女も時代ごと色々あったから。
行い・思う事全てを受け入れてこその神。
縋る事を否定はしません。
差し出す手をつかんでくれずとも横を歩くのは人にも出来る^^
因みに自身は決まった信仰を持たず。
1 オウム関連で長い時間信者や家族でない身近な人の自由が奪われた為。
2 長女は墓守という家長の言葉への反抗(故に今後墓守が必要ない方法を希望)
3 信仰で思いが全てを叶うなら時間薬も必要ない。
↑他者の信仰は否定しませんよ~
道連れになるのは嫌ですけどw
おはようございます。
意外な方がコメント下さると、
びっくりして、すっごくうれしいです。(笑)
ありがとうございます。
そうですね~、
大抵の神様は、許すことを説いているのに、
ヒトは、自身に都合の良いことしか、
心に残らないみたいです。
新しい宗派は出来るけれど、
宗派同士が許しあい、ひとつになって行く、
そういうことが起こる様になれば、
変わって行くかも知れません。
人口が大きく減って行けば、
あるいは…
異質な隣人を許容できなくなりますねえ><