涙はいっぱいあります
- カテゴリ:小説/詩
- 2018/01/13 21:41:50
私の両手から溢れてくる
紅い涙は何処へ流れていくのでしょう
悲しみを載せて
きっとはるか遠くまで
それは私の動かなくなった心から
絞り出された生きている証
そっと触れていたやさしさが
遠くへと行ってしまったから
叶わない願いが
涙を絞り出す
さよならのリズムが
鼓動となって響きわたる
明日は来るのですか
ねぇ明日は来るのですか
そう
そっと呟いた
見ると手のひらに溜まった紅い涙に
私の悲しみが映っていた
「涙はいっぱいあります」って
身体を拘束された認知症の母親が
涙を流しながら自分の息子に言った言葉です
自分の身に今起きている事への悲しみの心
例えようもなく辛かったのでしょう
読んでいてぽっと浮かびました
そうですね
65歳以上の15%位は罹ってしまう
しかも年々増加傾向に・・・
自分もそうなっちゃうのかな?
なんて思います
介護は家族個人で行うのはもちろんですが
地域とか国がしっかりフォローをしてくれないと負担が大きすぎます
認知症の本人と同様家族ケアにも手を差し伸べないとね
なんて言うのが最近の世の動向です
なんか
明るい詩を書きたいですね
恋をしているアレクの心みたいな・・・^^
考えただけで苦しくなってきます
今は元気な親が そうはならないという保証は無いですね
拘束しなければならない そう考えてしまう状況もあるでしょう
医療 介護の現場にいる方には
闇雲に「拘束するな」とも言えない・・ じゃないですか
だって 家庭で介護できないから施設なり病院なりでお世話してもらってるんですから・・
拘束をしないで済むように家族も施設等に置き去りにしないで
積極的に関わっていかないといけないですね・・
セカンドさんの詩は
こういう問題でも優しいんですよね
人柄かな^^
うちの祖父が施設に居たとき
息子以外の人を全部忘れてる痴呆でしたけど
人が良いので 職員さんのお手伝いとかしてて
可愛がってもらってたみたいでした
幸せな人だったんだな・・
病院の中を徘徊してしまい
他の患者のベッドで寝てしまう母親
手足の紫色のアザ
それはベッドに縛られたから出来た物でした
母親が無くなってから
病院へ入れた事を後悔したそうです
当時はそれが当たり前の事だったのですが
認知症や障がいを持っている方と接する・・・
それは一人の尊い人間として接する事が必要だと思います
耐えがたい辛さが伝わって来ますね。
なぜそこまで嘆くのかは
読み進めていくうちに分かるのですが
嘆きながらも優しい言葉
優しい想いも「私」から伝わってきて
より一層、辛さが増しました。
最後のセカンドさんのコメントを読んで
成程と納得したものです。
これが愛する息子に対しての嘆きでなければ
もっと、負の感情が表に出ているのでしょうね。
無理心中とはちょっと違うのですが
母親の介護に仕方を巡っての話しです
老人専用の病院に入院させた
自分の行った選択は正しかったのか?というものです
病床で涙を流していた母親に
「どうして泣くの」とたずねたら「涙はいっぱいあります」と答えた・・・
徘徊をするのでベッドに縛り付けられていたのです
今はそのような拘束は無いみたいだけど数十年前は当たり前
認知症の方の扱い方への反省の一部ですね
私=母親で書いてみました
介護=マスコミは暗い方ばかり取り上げます
自分もそうなんですけど・・・
明るく?介護が出来る世の中に変えていきたいですね
こんばんわ
介護疲れで無理心中を図った小説でしょうか?
現実にあるある物語ですね、他人事ではないです。
心のある記者なら、この手の話はニュースにしないですよね。
未来のある子供を道連れでなく、全く未来が見えない介護老人の悲劇。
自分の子供にはこんな思いはさせたくないですね、ぽっくり逝きたい。
自分のためでなく、家族のために……
かってに空想して物語を語ってしまった。
それでは、良い言の葉と共にあらんことを