ゴタぴょんの日記 2014年4月29日 Ⅱ
- カテゴリ:日記
- 2018/02/07 05:23:37
4月29日 (火) Ⅱ
Ⅰからつづく
【祗園・白川】
巽橋にて、写真。新橋通りを散策。花見小路へ。
休日なので、マイカー規制。
「すみません。通して下さい。関係車両です。」
意味不明な発言で、ゴマ化して、
ガードマンの前を素通りして、進入。
真似したら、あかんよ。
(報道と書いた腕章を持参することネ。)
(何の報道やねん。) (ゴタの日記の取材じゃ~)
ヾ(@^▽^@)ノ
【五重塔】
お客様から、リクエスト。
Would you take us to a five -story pagoda ?
「五重塔が見とうござんす。」
ゴタ、in accordance with the request. (応えて曰く)、
Yes. There is one around here.
It's a five-story pagoda Prince Shotoku
built 200 years before the establishment
of the old Heian-Kyo capital.
ありまっせ。
この近所に。
聖徳太子の建てた五重塔ですわ。
平安京造営の200年前でっせ。
ヾ(@^▽^@)ノ
高台寺参道の信号で左折。
そして、この辺りなら、どこでもいい。
駐車場を探す。
すぐ左にありました、駐車場。
おひとりだけ、疲れた、とのことで、車に残ります。
ゴタ、3人をお連れして、
法観寺(ほうかんじ)の五重塔まで、歩きます。
五重塔は592年に
聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、
その際仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。
以上が寺の伝承にであるが、
この聖徳太子創建という説には、いろいろ諸説あり、
有力なところでは、
朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として
八坂氏が創建したという見方が有力である。
境内から出土する瓦の様式から、
創建は7世紀にさかのぼるのは、確かとの
ことである。
五重塔は平安時代末期の治承3年
(1179年)に火災で焼失。
その後、建久2年(1191年)
源頼朝の援助により再建された。
さらに、1291年の焼失し、
(1309年)後宇多天皇の援助で再建。
そして、1436年に焼失。
現存する五重塔は15世紀の再建である。
(1440年、足利義教の援助を受け再建)
拝観時間は、10:00~16:00。
ただし、受付係の都合で、
早く閉まることがある。
拝観日、休館日は、寺院の都合による。
なもので、いつ見学できるかは、誰にもわからない。
これだけは言える。
見学しようと思って、ここに来て、
見学できた人は、ラッキーである。
塔の内部の階段は、
とても、急です。
登りたい女性の方は、
ハイヒールをやめて、べた靴でどうぞ。
もちろん、短いスカートも、だめ。
ただし、下にいる、すけべなおじさんを
喜ばせたい方は、スカートOK.
塔内部は、暗いので、よく見える白い下着が
喜ばれます。(誰に?) (ど変態め。おまはんや!)
(あ~れ~)
本日は、雨。受付係がお休みのためか、閉門休館。
ここのお寺は、儲ける気はないので、こういう感じです。
ヾ(@^▽^@)ノ
【帰路へ】
以上で、終了の旨を告げ、大阪へ戻ります。
東山通(東大路)を南。
東福寺の陸橋を渡って左折(河原町通り)。
河原町十条から、阪神高速~第二京阪。
ニューオータニに帰るには、
高速は、どこで降りるのがいいでしょう?
ひとりで、このクイズに答えなければ、なりません。
司会者 : 解答者、ゴタさん、どうぞ。
ゴタ : はい、森の宮で降りました。
司会者 : それで?
ゴタ : 右折して、上町筋を
突き当たりの土佐堀通まで出ます。
あとは、片町に出て、城見町に進みます。
検察官 : 裁判長、異議あり。
裁判長 : 被告は真実を述べて下さい。
ゴタ : 誰が被告じゃ。あほ。
真実というか、理想を述べると、
緑橋にも、出口を作って下さい。
NEXCOさん、たのんまっさ。
そしたら、わざわざ、遠回りしなくても、
玉造筋で,曲がって、
すぐに、ニューオータニに戻れたのです。
天の声 : もうええやん。
ゴタ : せやろ?このルートが正解やで。
司会者 : では、正解です。
ゴタさん、おめでとう。賞金100万円・・・
は、ありませんが、
ガイド料金もらって、きょうは、うまいもん、
おとうちゃんに食べさせたってや~。
ゴタ : へえ、そうしまっさ。ほな、さいなら。
おしまい
ゴタぴょん