ゴタの日記 6月22日(日) Ⅳ
- カテゴリ:日記
- 2018/03/11 08:02:47
6月22日(日) Ⅳ
Ⅲからつづく
入場料は50円。出来る限り、
多くの人に見てもらいたい、
そういう意向が伝わります。
1945年8月6日、
テニアン島を午前2時45分に、
エノラ・ゲイ(B29)は、
リトル・ボーイ(原子爆弾)を積んで、
離陸しました。
午前6時30分、四国上空に達しました。
リトル・ボーイの
安全プラグが抜き取られました。
しかし、日本軍のレーダー照射にあい、
回避のため、高度を上げた。
その後、日本軍戦闘機が
攻撃をかけたが、これも回避。
午前7時、エノラ・ゲイの先行機、
ストレート・フラッシュ号(同じくB29)が
広島上空に到達。
このとき、エノラ・ゲイは、四国沖を航行中。
ここで、原爆投下目標が、広島に定められた。
先行機・ストレートフラッシュ号から、
その旨が、エノラ・ゲイに無線で、指示された。
午前8時1~3分、日本軍は、広島上空の2機を発見。
午前8時9分、エノラ・ゲイ、広島市街を目視。
午前8時12分、エノラ・ゲイ、攻撃目標地点に到達。
同時刻
爆撃手、フィアビー少佐が、投下目標を相合橋にセット。
午前8時13分、
2機を発見した日本軍は、各機関を警報を発信。
午前8時15分、
機長ティベッツ、投下命令を発す。
午前8時15分17秒、原爆投下。
約43秒後、高度600mの上空で、爆発。
当時の広島市の人口、35万人。
約半数の人が、亡くなった。
被爆者は、高度の爆風熱で、
水分が無くなった状態で、死亡。
爆心地から、2キロメートル以内の家屋は、
爆風で、すべて、吹っ飛んだ。
水道管が破壊されたため、
多くの人が、水を求め、川に飛び込んだ。
爆発時の地上温度は、
3000度~6000度。屋根瓦が溶解した。
生き延びた人も、ついには、
数ヶ月後に亡くなったケースが多い。
身体中、ケロイド状態で。
この資料館に来たひとは、
みな、思うことでしょう。
「 絶対に、地上から、
核兵器をなくさなくては、なりません。」
資料館の窓から、灯火が見えます。
あれは、地上から、すべての
核兵器が無くなるまで、消さないのだそうです。
資料館から出て、原爆ドームに行きました。
亡くなられた方々の冥福を祈りました。
(・∀・)
【午後6時30分、タクシーの契約時間
(午後7時終了予定)のため、駅へ出発。】
帰路は、こだま(各駅停車)です。
こだまの欠点は、車内販売がないこと。
せめて、コーヒーの一杯でもほしかったが。
がまんせよ。ゴタ上等兵。
広島で死んだと思えば、コーヒーぐらい、何だ!
まあ、何とか、午後10時過ぎ、
新大阪に帰って参りました。
ここから、タクシーに分乗して、ANAクラウンプラザに戻ります。
ただし、ゴタは、
ここで、ガイド料金を収受して、ゴタの巣に帰りました。
家に着いたのが、午後11時20分。
遅くなりました。
これまでの仕事で、一番遅かった時間は、深夜0時。
まだましです。
明日は、ゴタ事務所、お休みにしまーす。
おしまい
ゴタぴょん
PS: 爆心地という英単語を知らず、
epicenter を使っていました。
みなさん、hypo center と
おっしゃっていましたので、調べたところ、
震源地: epicenter
爆心地: hypo center
でした。今のゴタの実力では、
ガイド試験に、落ちるどー。勉強しいや~。
【復習】 地震の震源地=エピセンター
覚え方=地面を揺らすエビセンベイ
爆心地= ヒポセンター
覚え方= ヒポピカドン ドッカ~ン