Nicotto Town


THE・脱力浦島ZiZiI日記(老)


近代むかしばなし3 なかはままんじろう 2.

(よい子のむかしばなし“3”となっていますが、、紹介したい人の年代順で行くと、、中濱万次郎は3番というだけです。。)


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まんじろうとなかまは、ぶじにみつけられて
たすけられました。



“あめりか”というきいたこともない国の、くじらをとるための船だという

【ジョン・ハウンランド号】

というへんななまえの見たこともない、おおきなおおきな船でした。



その船にのっている、みたこともないかおつきの、こがねにひかるかみの、ひとたちにやさしいほどこしをうけもしました。




なかまたちとまんじろうは日本に、ふるさとのなかはま村に、
かえることをきぼうしましたが、それはかなわない話でした。



そのときのまんじろうたちの国、
日本はがいこくがきらいでした。



“さこく”というものを
していて、“おらんだ”と、“ちゅうごく”というところいがいの国はなかよくするきもちがなく、、



日本ではない船をひとつもちかづけたりして
いなかったからです。



もし港にちかづきもしてみれば、たちまち、たいほうでうたれて船をこわされてしまいます。



それをきかされたまんじろうとなかまたちは、
どうしようもないことを、、うけいれました。



船長の“ほっとふぃーるど”さんが、



「海でそうなんしたものは“はわい”という島でおろしていくよ」



ということだったのでそれをうけいれたのです。









しかし、、
まんじろうだけは“はわい”で船をおりずに、ホットフィールド船長とその船のもとにのこりました。



それはまんじろうにとってその船のうえでみるものきくもの
すべてがしんせんであたらしいものだったからでした。



まんじろうは
しんせんないろんなものにきょうみをしめしました。
船のなかのいろんなところをうごきまわり、ほっとふぃーるど船長や船員さんたちにいろいろしつもんしてみたり、目をきらきらかがやかせていました。
はじめて、せかいちずをみて、
自分の国、日本のほかにいっぱい国があることもしりました。
どうじに
自分の国が、いかにちいさいものかということも知ったのでした。



そんなようすを見ていた
ほっとふぃーるど船長は、



「まんじろう、君はぼくたちともにぼくらの国にこないか?」



と、さそいました。



まんじろうはみたこともない国のいろんなかがやくものに
きたいときぼうをよせて、その小さなむねをおどらせて、
ほっとふぃーるど船長たちについていくことにしたのでした。



そんな、まんじろうが、船長の国“あめりか”に向かうふねのなか、ホットフィールド船長と船員達はどうしてもまんじろうの、



“まんじろう”



という名前がよびにくかったので、まんじろうに



“ジョン・マン(Jonh Mong)”



という呼び名をつけたのでした。







                               つづく。。




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※注釈


・鎖国のため、アメリカの船はこの後(万次郎たちが遭難救助された年は、天保12年=1841年)のペリーの1853年(嘉永6年)の浦賀来航、1854年(嘉永7年)の日米和親条約経るまで、寄航および入港を許されていなかった。


・当時の日本の造船技術は
アメリカの船には遠く劣り、日本のものとはくらべものにならないくらいの大きさだった。


・有名な【ジョン万次郎】という呼び方は、
1938年(昭和13年)に、第6回直木賞を受賞した井伏鱒二の『ジョン萬次郎漂流記』で使われた愛称が広まったもの、それ以前には使用されていない名前の呼び方。

実際の呼び名は、“ジョン・マン”。



※今回もアノニムの文章のアドリブがてんこ盛りとなっております<(_ _;;)>人に話すときなど、、本当に><;;ご注意下さい(-人-;;)




アバター
2009/10/03 15:54
面白いなあ^^
夢がいっぱいだ。

小さな子供がいたら、読ませてあげたい。
大人は、思ったよりも、ひら仮名ばかりの文章が読みずらい><
アバター
2009/10/03 10:15
「ジョン万次郎」って飲食店あるよね?(笑)
わかりやすいから、続き楽しみにしてるね~。
アバター
2009/10/03 09:56
この話の対象にしてる人は低年齢みたいだけど、
楽しみにしてるから、次もがんばって~ o(^_^)o




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