近代むかしばなし3 なかはままんじろう 2.
- カテゴリ:人生
- 2009/10/03 01:38:51
(よい子のむかしばなし“3”となっていますが、、紹介したい人の年代順で行くと、、中濱万次郎は3番というだけです。。)
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まんじろうとなかまは、ぶじにみつけられて
たすけられました。
“あめりか”というきいたこともない国の、くじらをとるための船だという
【ジョン・ハウンランド号】
というへんななまえの見たこともない、おおきなおおきな船でした。
その船にのっている、みたこともないかおつきの、こがねにひかるかみの、ひとたちにやさしいほどこしをうけもしました。
なかまたちとまんじろうは日本に、ふるさとのなかはま村に、
かえることをきぼうしましたが、それはかなわない話でした。
そのときのまんじろうたちの国、
日本はがいこくがきらいでした。
“さこく”というものを
していて、“おらんだ”と、“ちゅうごく”というところいがいの国はなかよくするきもちがなく、、
日本ではない船をひとつもちかづけたりして
いなかったからです。
もし港にちかづきもしてみれば、たちまち、たいほうでうたれて船をこわされてしまいます。
それをきかされたまんじろうとなかまたちは、
どうしようもないことを、、うけいれました。
船長の“ほっとふぃーるど”さんが、
「海でそうなんしたものは“はわい”という島でおろしていくよ」
ということだったのでそれをうけいれたのです。
しかし、、
まんじろうだけは“はわい”で船をおりずに、ホットフィールド船長とその船のもとにのこりました。
それはまんじろうにとってその船のうえでみるものきくもの
すべてがしんせんであたらしいものだったからでした。
まんじろうは
しんせんないろんなものにきょうみをしめしました。
船のなかのいろんなところをうごきまわり、ほっとふぃーるど船長や船員さんたちにいろいろしつもんしてみたり、目をきらきらかがやかせていました。
はじめて、せかいちずをみて、
自分の国、日本のほかにいっぱい国があることもしりました。
どうじに
自分の国が、いかにちいさいものかということも知ったのでした。
そんなようすを見ていた
ほっとふぃーるど船長は、
「まんじろう、君はぼくたちともにぼくらの国にこないか?」
と、さそいました。
まんじろうはみたこともない国のいろんなかがやくものに
きたいときぼうをよせて、その小さなむねをおどらせて、
ほっとふぃーるど船長たちについていくことにしたのでした。
そんな、まんじろうが、船長の国“あめりか”に向かうふねのなか、ホットフィールド船長と船員達はどうしてもまんじろうの、
“まんじろう”
という名前がよびにくかったので、まんじろうに
“ジョン・マン(Jonh Mong)”
という呼び名をつけたのでした。
つづく。。
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※注釈
・鎖国のため、アメリカの船はこの後(万次郎たちが遭難救助された年は、天保12年=1841年)のペリーの1853年(嘉永6年)の浦賀来航、1854年(嘉永7年)の日米和親条約経るまで、寄航および入港を許されていなかった。
・当時の日本の造船技術は
アメリカの船には遠く劣り、日本のものとはくらべものにならないくらいの大きさだった。
・有名な【ジョン万次郎】という呼び方は、
1938年(昭和13年)に、第6回直木賞を受賞した井伏鱒二の『ジョン萬次郎漂流記』で使われた愛称が広まったもの、それ以前には使用されていない名前の呼び方。
実際の呼び名は、“ジョン・マン”。
※今回もアノニムの文章のアドリブがてんこ盛りとなっております<(_ _;;)>人に話すときなど、、本当に><;;ご注意下さい(-人-;;)
夢がいっぱいだ。
小さな子供がいたら、読ませてあげたい。
大人は、思ったよりも、ひら仮名ばかりの文章が読みずらい><
わかりやすいから、続き楽しみにしてるね~。
楽しみにしてるから、次もがんばって~ o(^_^)o